スナネコ・パニック

第36話 スーニャン駅

 しとしとと、死都トウキヨに降り続いていた雨があがった。


 死霊さえ寄り付かぬ死んだ都と悪名ばかり囁かれるシト・トウキヨに、ちらほらと死霊を見かけるようになった。


 一転、シト・トウキヨは死霊が我が物顔で彷徨く都と噂されるようになった。


 死霊がいようがいまいが、いずれにしても死都と呼ばれる宿命にあるようだ。


 死んだ都を仰ぎ見る地下トウキヨでも死霊は珍しくもなんともなくなった。よほどの死霊愛好家でもなければ、行きずりの死霊なんぞには目もくれない。


 今、地下トウキヨでもっとも熱い流行の盛り場ホットスポットはどこか。


 そう問われれば、人外たちはこぞって「スーニャンステーション!」と声を揃えるだろう。


 地下街の住人たちは、もっぱら〈スナネコ飛空挑戦チャレンジ〉の話題で持ち切りだった。


 スナネコの獣人スーニャンは愛くるしい容姿も相まって一躍人気猫となった。


 当のスーニャンはどこ吹く風だが、その人気ぶりは日に日に加熱するばかり。根が心配性なタヌキの獣人ポポロは、ちょっと異常ではないかと思い始めていた。


 スーニャン愛好家マニアの熱狂ぶりは少々度を越していた。


 スーニャンの挑戦をかぶりつきで見られる逆さま列車モノレールの窓際席は入手困難切符プラチナチケットとなった。


 スーニャンといっしょに写真を撮れる撮影会フォトセッションは長蛇の列となった。


 出待ちする愛好家は引きも切らず、無理やりスーニャンに触れようとしたり、果ては盗撮まがいの行為まで横行するようになった。礼儀マナーのなっていない不心得者は看過できず、ポポロはそれとなく壁となってスーニャンを守った。


 撮影会はスーニャンに負担をかけるだけなので、幾度か開催してみたものの、次回未定と発表した。根強い要望があるのは理解していたが、警護がポポロひとりでは、スーニャンの身の安全を守ることができないと判断した。


 もともと、人外には写真を撮るという文化が根付いていなかった。


 多機能携帯電話スマートフォンが普及しているのは人間の間だけで、スマートフォンを持ち歩いている人外は極めて珍しかった。


 規格品のスマートフォンは人間の手にちょうど収まる、ほど良いサイズなのだろう。人間は似たり寄ったりの背格好をしているからスマートフォンの大きさも同一でいい。


 しかし、人間が使うスマートフォンはゾウの獣人には小さ過ぎ、スナネコの獣人には大き過ぎる。キリンの獣人が自撮りするには撮影範囲が狭く、とかく使い勝手が悪い。


 人外たちにも人間のように写真を撮ってみたいという思いはあったが、願望を叶えてくれる手頃な製品がなかった。


 そこに登場したのが妖術フォン――Yo-phonだった。


 宙に浮いた〈フレーム〉があるだけの驚くほど単純な構造だけでも画期的だったが、機能はそれ以上にシンプル。枠を自在に広げたり狭めたりして「はい、チーズ」というだけで写真が撮れた。


 妖術の心得がなくても、枠がベストアングルを見つけてくれる。枠には妖術が込められているので、規格品の機器のように持ち運ぶ必要はなく、写真を撮りたいときにだけ、「Yo」と呼び掛ければよかった。


 撮られた写真は〈クラウド〉上の〈画像庫フォトギャラリー〉に保管され、気に入ったものを〈焼き増しプリント〉できる。「Yo」と「はい、チーズ」、ともかくその二語だけ発せれば、どんな人外であっても簡単に写真を撮ることができた。


 あまりの簡単さゆえ、人外の間で妖術フォンが爆発的に普及した。


 人外がこぞって写真撮影をするようになるのと歩調を合わせるように、スーニャンが劇的に登場した。スーニャンは絶好の被写体となり、スーニャンを撮りたいがために妖術フォンを駆使する〈撮影者カメラマン〉が激増した。


 どんなに人気になろうと、スーニャンの生活はこれっぽっちも変わらなかった。


 砂穴で眠り、起きたら逆さま列車の駅に向かい、黙々と空を飛ぶ。


 空を飛ぶこと以外にはほとんど目もくれず、関心があるのは昨日よりも遠くへ飛べたかどうかだけ。無名だった逆さま列車駅に自身の名前が冠されるようになっても、さして驚くことはなかった。へえ、すごいね、ぐらいの塩対応。


 そういえば駅に名前がなかったねえ、とスーニャンは笑っていた。


 これまでは利用客の少なさゆえに、駅に名前がなくともさしたる問題はなかったが、逆さま列車の各駅にもちゃんとした名前が必要だろう、との機運が高まった。


 逆さま列車の駅名を公募したところ、スーニャンが出発する駅は「スーニャン駅」、スーニャンの目指す隣駅は「空飛び猫駅」という案が圧倒的な支持を受けた。


 これという特徴のなかった無名の駅がスーニャンの名を冠するや、地下トウキヨでも指折りの名物スポットとなった。


 大衆は諸手を挙げて歓迎したが、不満の声もくすぶっていた。


 陽の当たらない鳥人のやっかみなのか、「くたばれスナネコ駅」、「ちょっと飛べるぐらいでいい気になるなよ駅」といった辛辣な駅名も寄せられた。


 無記名での投稿であったため、誰が送って寄越したのか、募集者である駅員たちはさしたる関心を払わなかった。しかし、ポポロだけは見過ごさなかった。このような少数意見ほど疎かにはできない。


 人外たちの噂を頼りに投稿者を突き止め、ポポロは直々に説明した。


 スーニャンがなぜ空飛び猫に拘るのか。なぜ空を飛びたいと思うのか。


「スナネコの人気は人間たちの間でも高まっていて、スーニャンは砂漠で生まれてすぐ人間の世界に連れてこられました。愛玩動物ペットにしようと思ったのでしょう。ですが人の手の及ばない砂漠で暮らすスナネコは、人の手に飼われる生活には馴染みません。ああ見えて性格は獰猛なところがあるので人間には懐かないし、飼おうとして飼えるほどやわではない。それを無理やりに飼おうとしたら、どんな悲劇が起こるか、容易に想像がつきます」


 まったく人間に懐こうとしないスナネコを飼った主人は、きっとこう思うだろう。


 思っていたのと違う。


 その先に待ち受ける運命はひとつ。


 捨てられる。


 スーニャンは人間に捨てられる前にベランダから脱走したけれど、自分から飛ばなくたって、遅かれ早かれ結果は同じだったろう。


 スーニャンは人間に飼われる生活に我慢がならなかった。


 だから、飛びたがった。


 飛びたいがあまりに空飛び猫に憧れたのか、スーニャンを不憫に思った空飛び猫が道を示してくれたのか。それはどっちだっていい。鶏が先か、卵が先かを論ずるのと同じぐらいに不毛なことだ。


 重要なのは、スーニャンが心の底から空を飛びたいと思ったこと。


 それに尽きる。


 ポポロは辛辣なネーミングを送って寄越した相手に切々と訴えた。


「いつ捨てられるか、びくびく脅えながら人間に飼われて生きる道もあった。動物園という檻の中で管理されて生きる道もあったでしょう。でもスーニャンが選んだのは、空を飛ぶという自分だけの道だった」


 妖術師訓練校の教師という立場も忘れ、ポポロはひたすら真っ直ぐにスーニャンの思いを代弁した。


「応援してくれとは申しません。温かく見守ってくれとも申しません。そんなの夢だと切り捨てたり、いい気になるなよと笑ってくださっても結構です。ただ、邪魔だけはしないでいただきたい」


 最後に「貴重な駅名をお寄せいただき、ありがとうございました」と付け加えて、ポポロはその場から立ち去った。


 スーニャンの人気が高まるにつれ、ポポロの役割は妖術師訓練校の教師というより、ほとんど付き人のような立ち位置となっていた。新参のスーニャン愛好家はポポロが教師であることを知らず、スーニャン劇場を取り仕切る「運営さん」だとばかり認識されている。


 乗客たちが逆さま列車にスムーズに乗り降りができるよう、誘導係を務めてもいる。スーニャン見たさに逆さま列車のプラットホームに人外が溢れ返り、押し合いへし合いの大混乱に陥った。景観優先のため、プラットホームには安全柵がなく、幾人かの人外が駅から転落した。


 落下したのはカエルの死霊である〈大樹魔小樹魔オジュマコジュマ〉、すでに死んでいる死霊であったことが不幸中の幸いであったが、一歩間違えれば、あわや大惨事となるところだった。


 衆目監視のなかであったため、落下事故をなかったことにはできない。まさか駅員たちは「死んでも自己責任です」などとは言えず、誘導係にポポロを任命することで、事故の幕引きを図った。


「運営さんの指示に従ってくださいね。指示を守れない方はご退場ください」


 駅員たちまでもがポポロを「運営さん」と呼ぶ始末。おかげでポポロは〈スナネコ飛空挑戦〉のたびに駆り出され、誘導係を務めざるを得なかった。


 本音を言えば、逆さま列車の滑走路を見上げるいつもの場所に佇み、喧騒から一歩引いた位置から見守っているのが性に合っている。


 誘導係を務めることはやぶさかではないが、せめて落下防止柵を設置したらどうか、と具申した。よけいな柵があってはお目当てのスーニャンが見えなくなってしまう、との意見が根強く、柵の設置はうやむやのうちに見送られた。


 ならば、プラットホームを拡張したらいかがか、とポポロが意見するも、希少プレミア感が薄れる、触れ合いの機会が減る、思い出の地を取り壊す気か、などと反論が続出し、これまたポポロの意見は無視スルーされた。


 ポポロは名実ともに「運営さん」であるはずなのだが、いざ運営に口を挟むと駅員たちは良い顔をしない。何様のつもりだ、という敵意さえ向けられることもある。


 適当に逆さま列車を運行していても、〈スーニャン飛行訓練〉のために列車を増発しても駅員たちの給料は同じだ。受け取る給料が同じならば、仕事は楽であるに越したことはない。


 だがそれを言うなら、ポポロはすべて無償で働いている。人気者のスナネコを利用するだけ利用し尽くして金儲けをたくらむ興行師イベンターではないし、ましてやスーニャンを演出プロデュースする劇場支配人でもない。


 ポポロが妖術師訓練校の教師であることを知っている親たちには、手っ取り早く人気者になるコツを教えてくれ、とせがまれた。


「うちの子、どうしたらスーニャンのようになれますか」


 そんなことを聞かれても、ポポロが助言できることなど何もなかった。


「自分の夢を追いかけてください。他人から笑われても情熱に従うべきです」


 具体的なことは何も言えないせいで、そんなものは精神論じゃないか、と逆切れされたことは一度や二度ではない。依怙贔屓教師と陰口を叩かれることもあった。


 口に出した言葉はすべて本心からだし、スーニャンばかりを依怙贔屓しているつもりもない。教え子には皆、それぞれに愛情を持って接しているつもりだ。


 けれど、世間はそう見ない。


 ポポロはただスーニャンの夢に寄り添っているだけなのに、それを理解してくれる人外は滅多にいない。ポポロに取り入ればスーニャンを操れる、という下心を持って近付いてくる輩があまりにも多くて辟易する。


 逆さま列車の滑走路を見上げる神聖な場所に立ち、ポポロは静かに目を瞑る。


 ここからスーニャンの飛行を見守っているときがいちばん幸せだった。


 今は何もかもが騒がし過ぎる。

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