第35話 プラチナ・チケット
新進気鋭の〈
「
スーニャンの飛行訓練を見世物にするつもりはなかったが、聞けば聞くほど魅力的な提案のように思えた。まずもって安全面に配慮しているのが素晴らしかった。
「隣駅まで張る安全ネットですけど、スーニャンは小柄なので網目状ではすり抜けてしまう危険性があると思うんです」
ポポロが心配を口にすると、アナベルはすんなり解決策を提示した。
「じゃあ、風呂敷状のネットにしましょうか」
「出来ますか?」
「それぐらい楽勝」
アナベルは腰に手を当て、ふふんと胸をそやした。
「ああ、でも勝手にネットを張ったら、景観が崩れると文句を言う人外がいるかもしれないです」
地下トウキヨにも、作り物ではあるが「空」がある。
人外たちは好き勝手に町を拡張しているが、見慣れた空が見えなくなると、景観を崩しやがって、と文句が出る。空を見えなくさせてしまうネットは歓迎されまい。
「普段見えなければいいんでしょう。飛行訓練しないときの安全ネットは無色透明にしておいて、スナネコちゃんが飛ぶときだけ空色になる。着地を受け止めるときは、スナネコちゃんの体色と同じ砂色になるとか」
「それは良い考えですね」
「もしくは安全ネットを滑走路に収納しておくのでもいい。飛ぶときだけ、ばーっと絨毯が敷かれるみたいに空の道ができたら格好いいじゃないの」
「実現したら、とても素敵だと思います」
「そんなの楽勝よ。あたしを誰だと思ってんの?」
アナベルはちょちょいとスナネコ専用滑走路を作り、空の道となる安全ネットを張って見せた。どちらも素材は「砂」であるが、地下トウキヨの町並みに違和感なく溶け込んでいる。スーニャンの飛空に合わせて色が変化する様は単純に美しかった。
スーニャンは逆さま列車すれすれに飛ぶが、決してぶつかることはない。たとえ風に流されて衝突しそうになったとしても、アナベルの妖力が込められた空の道が意思を持ったように動いて、すっぽりと受け止めてくれる。
安全に飛べるようになったおかげで、スーニャンの飛行訓練はいっそう熱を帯びた。町が寝静まった夜だけでなく日中も飛ぶようになった。着地に失敗して生傷をこしらえてばかりだった身体もすっかり癒えている。
「ポポ先生ぃ、行くよぉー」
目標の隣駅まではまだまだぜんぜん届かないが、着々とその距離を伸ばしつつある。ポポロはただ黙って見守っているだけだが、スーニャンを応援する声は日に日に増えていった。
猫の分際で、なんで空なんて飛ぼうとしているの。
そんな懐疑的な声もあったが、ひたむきに空を飛び続けるスーニャンの姿が日常になると、非難の声も薄れていった。
飛びたいから、飛ぶの。
ただただ内なる衝動に突き動かされて、スーニャンは空を飛んでいる。
「頑張れよ、スーニャン!」
「スーくん、がんばれぇ!」
「すーーーーにゃぁああああぁああぁああん! 好きぃいいいぃぃ!」
逆さま列車の窓越しに応援の声が響く。
野太い声もあれば黄色い声もある。狂信的なまでの声もあるが、それはご愛嬌。
小さなスナネコの挑戦を祝福するように紙吹雪が舞う。
逆さま列車はいつもガラガラで、四つの車両がぎゅうぎゅうの満席になることなどなかった。それがスナネコが空を舞う姿を間近で見られる特等席として脚光を浴びた途端、予約が必要なほどの
夜な夜な弾丸のように降り注ぐせいで〈スナネコ注意報〉と揶揄していた観測団は、今やスーニャン推しの筆頭格となり、〈スナネコ
スーニャンは今日も喜々として空を舞っている。
「……笑わない?」と上目遣いに訊ねてきた昔日が懐かしく思い返される。
ごめんね、スーニャン。
君が飛んでいる姿を見ると、どうしたって笑ってしまうよ。
幸せな気持ちになって、こみ上げてくる笑いを止めるのはむずかしい。
「うーーー、またダメだあ。しっぱい、しっぱい」
スーニャンは空の道に頭から突っ込み、ぼふっと包み込まれた。
逆さま列車の滑走路を見上げるいつもの場所で佇んでいるポポロのもとへ、一目散に駆け寄ってきた。
「ポポ先生、あのね、あのね。背中に小っちゃな羽根が生えてきたの!」
ポポロはスーニャンが自慢げに見せてきた背中をまじまじと見た。
それはおそらく、「砂」を固めた借り物の羽根であろう。身体の内側から生えてきたものではない。専用の滑走路と空の道を築いてくれた妖術師からの贈り物だ。
自然な羽根ではない。
でも、それがなんだというのだ。
「スーニャンが頑張っているから、ご褒美に羽根が生えてきたのかもしれないね」
「この羽根、もっと大きくなるかなあ」
「スーニャンの耳よりも大きくなるかもしれないよ」
「……ほんと?」
「ほんと、ほんと。教え子に嘘は言わない」
「やったあ! せんせい、だいすき!」
スーニャンが満面の笑みを浮かべている。ポポロにはそれが何よりも嬉しかった。
スナネコの被毛の色は、砂に溶け込む色をしている。
砂でできたちっぽけな羽根は、いつしか立派な本物になるだろう。
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