第31話 温泉

「スーニャン、温泉に行こうか」

「……おんせん? なに、それ?」

「気持ちのいいところだよ。汚れが落ちて、さっぱりする」


 鼻がもげそうな臭いにやられ、スーニャンはぐったりしている。


「大丈夫かい、スーニャン」

「お鼻がつんとする」

「温泉に行けば治るよ」

「ほんと?」


 スカンクの悪臭ガスをまともに食らったスーニャンを連れて温泉へ赴いた。


 ひとまずシャワーで丸洗いしたが、体毛にこびりついた臭いはなかなか落ちない。砂漠の生活に適応したスナネコは、砂が耳に入らないように耳も毛で覆われ、肉球も長い毛で覆われている。洗っただけでは悪臭をそそげなかった。


「ポポ先生ィ、お水やだぁ!」

「我慢しなさい、スーニャン」

「先生のいじわる! きらい!」


 がぶっと噛みつかれそうになったので、ポポロはシャワーをかけて応戦した。


「うにゃあぁぁああぁぁああああぁああ!!!」


 頭から水を浴びせられたスーニャンは温泉中に響き渡るような悲鳴をあげた。ぶるぶると全身を震わせて水気を払う。ポポロが首根っこを押さえていたので逃げられはしなかったが、スーニャンは水が大の苦手だ。温泉に来たのも初めてである。


 砂漠に生まれた血がそうさせるのか、スーニャンが水を飲んでいるところを見かけたことがない。水分は基本的に獲物の血を摂取することで得ている。シャワーでさえこんなに嫌うのだから、温泉に浸かるなどは拷問と感じるかもしれない。


「ほら、スーニャン。ここが温泉という所だよ。お湯に浸かって温まるんだ」

「うーーーーーーーーーーーーーー」


 片足をそろそろ伸ばし、おっかなびっくりお湯に浸かったスーニャンは、なんとも言えない表情を浮かべている。すぐに顔が真っ赤になった。涙目で今にも泣きそうだ。


 妖術師訓練校は地下トウキヨの全てが「教室」だ。


 生徒の特性に応じていろいろな場所に行き、都市生活を直に体験する。


 苦手なことでも体験してみれば意外に平気だったりする。今まで連れてくる機会はなかったが、温泉という場所がどんな所であるのか、自分の肌を通して知ってくれたらいい。


「気持ちいいかい、スーニャン」

「うーーーーーーーーーーーーーー」


 もう我慢の限界だ、と言わんばかりにスーニャンはお湯から飛び出した。


「スー、もう帰る! おんせん、きらい!」


 スーニャンはポポロを置き去りにすると、猛烈な勢いで浴場を駆け抜けた。石鹸を踏んずけて、つるりと滑った。そのまま転んでしまうかと思われたが、器用に石鹸を乗りこなし、左右に蛇行しながらタイルを滑っていく。


「にゃあぁぁああぁぁあ!」


 お湯に浸かって怒っていたかと思いきや、今度はとてつもなく楽しそうにしている。けしてお行儀は良くないが、今回ばかりは大目に見よう。


「ポポ先生ぃ、おんせん、たのしい!」

「よかったね、スーニャン。でも騒ぎ過ぎてはいけないよ」


 ポポロはスーニャンを抱き上げると、ちびた石鹸を石鹸置きに戻した。


「先生、もう帰っちゃうの?」


 タイルの泡立ちを見つめ、スーニャンは名残惜しそうにしている。


「砂風呂に行こう、スーニャン」

「す、なっ!」


 温かい砂の上に寝転んだスーニャンは蕩け切った極上の笑みを湛えている。ポポロは手で砂を集め、スーニャンの首から下を埋めてやる。


「どう、スーニャン。気持ちいいかい」

「うーーーーーーーーーーーーーー」


 まったく言葉にならないが、さも嬉しそうにひげがひくひく動いている。


「こういうときは極楽、極楽って言うんだよ」

「ごくらく、ごくらく」


 心ゆくまで砂風呂を堪能したスーニャンはすっかり上機嫌だった。

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