第24話 小さな太陽
……モシュが死んだ?
……そんな、まさか。
頭の片隅ではうっすら覚悟していた。しかし、いざ目の前に突き付けられると、おいそれと受け入れられるものではなかった。ミリクはモシュの亡骸にそっと触れた。
「冗談でしょう、モシュ」
ふさふさの毛の下に隠れて見逃していたが、硬直した皮膚は腐って黒ずんでいた。首筋に星のような赤い斑点があり、大小さまざまな橙色の斑点が地図状に飛び散っている。
モシュ録⑥:【モシュは悲しい】
胎児のように丸まったモシュはよりによって悲しみの外郎碑を胸に抱いている。う
いろうに刻まれた言葉とは裏腹にモシュの表情はどこか晴れやかだ。モシュは悲しい、と外郎碑に代弁させるぐらいなら、もうちょっと悲しい表情をするべきだろう。
「嘘だって言ってよ。モシュ、ねえ、モシュってば」
ミリクがおいおいと泣きじゃくった。背後でモシュの声がした。
「悲しみはモシュが引き受けた。なにを泣くことがある」
「だって……」
どうせ幻聴だ。振り返ったってモシュはいない。ミリクがうなだれたままでいると、目の錯覚だろうか、モシュの亡骸の隣にモシュがいた。
「どういうこと? モシュは生き別れた兄弟でもいたの?」
「そんなものおらん。モシュはモシュだ」
「待って! モシュ、待ってったら」
すっかり機嫌を損ねたモシュはさっさと立ち去ろうとする。ミリクが慌てて抱きつくと、モシュは抵抗らしい抵抗をしなかった。直に触れられるけれど、そこにあるはずの体温がなかった。ひんやりと冷たくて、紛れもないその事実に打ちのめされる。モシュはやっぱり死んでしまったんだ。忘れかけていた悲しみが込み上げてきた。
「モシュ、どういうことかちゃんと説明してよ」
「モシュは死んだ。死霊として蘇った。それ以上の説明が必要か?」
「そんなのじゃぜんぜん分からないよ。モシュは死んでるの? 生きてるの?」
ミリクはモシュの頭をぽかすか殴りつけた。モシュは反撃らしい反撃もせず、ただ黙って遠い目をしている。やがてぽつぽつと語り出した。遅効性の毒術〈
「子供というのは温かいものだな。あの日のミリクは小さな太陽だと思ったよ」
モシュがあまりに真面目な調子で言うものだから、ミリクは黙って耳を傾けた。
「ミリクという名前はモシュがつけた。断じて
「ミリクの名前はモシュがつけてくれたの?」
モシュが厳かに頷いた。
「この世には三つの苦しみがある。寒熱、飢渇、病気などそれ自体が苦の〈
「ミリク……」
モシュが授けてくれた特別な名をミリクは改めて口にした。ミリクの名の由来を知ると、悲しみはモシュが引き受けた、と告げたモシュの言葉の重さがよりいっそう際立つように思えた。モシュは苦しみだけでなく悲しみさえも遠ざけてくれようとしている。
「モシュにいろんなものを貰ってばっかりだ」
ミリクはぎゅうっとモシュを抱きしめた。
「アガリコが〈
体温を失った死霊のモシュは、亡骸となって横たわるモシュにちらりと目をやった。
「〈赤星病〉、またの名を〈錆病〉。樹木の葉の表面に橙色の斑点が現れ、徐々に大きくなる。病斑は赤みを帯び、星のように見えるから赤星病の名が付いた。病斑はやがて腐って黒ずみ、葉が枯れる。元来は樹木にしか罹らない病気だが、モシュは〈逐爽亡〉にやられて、身体中ガタガタだったからな。あまりにも弱っていて赤星病にも感染した。どうやらモシュは木であったらしい。笑えるな」
モシュがけらけらと笑い声を上げた。
「ぜんぜん笑えないよ」
葉の表面に橙色の斑点が現れる、という部分がどうしても引っ掛かる。ストーブの近くでモシュと一緒に眠っていたとき、モシュの目は決まって橙色だった。
ミリクにとって橙色の目は安息の象徴だったが、モシュにとっては病状の進行を意味していたのだろう。人知れずモシュは病魔に苦しんでいた。それをミリクは気が付きもしなかった。
「もしかしてモシュの目が橙色だったのは〈赤星病〉の影響もあったの?」
「さあ、どうだかな」
モシュが答えをはぐらかした。モシュはいつもこうだ。肝心なことは滅多に口にしない。
「モシュはオジュマコジュマみたいな死霊になったってこと?」
「名実ともに〈
「オジュマコジュマを踏んづけても〈真の大樹魔〉として認められなかったんだけど」
「当たり前だ。死霊の上に立つには死霊でなければならん」
モシュの説明を素直に信じるならば、〈
そうであればこそ、オジュマコジュマを使役できたのだ。道理でミリクが〈真の大樹魔〉と認められないわけだ。死霊でないミリクはオジュマコジュマの上位には君臨できない。
「死霊になってもモシュはモシュだよ。モシュの存在を忘れさせるために忘却のういろうをばら撒くなんて、ちょっとやり過ぎだったんじゃない」
事情はおおよそ理解したが、モシュが〈太陽に見捨てられた町〉の皆に忘却のういろうを配ったことについてはまったく解せない。付き合いの浅いシャア・アカシャザ・ビエルなどはともかく、マザラの記憶まで奪う必要などどこにもなかった。
「モシュの存在を忘れさせるため? それはただの副産物だ」
「どういうこと?」
「死霊が実体を伴って存在していられるのはアガリコの木が近くにある場合に限られる。妖術師どもが〈
妖術師一人一人は甚だ無力だが、数は力だ。地下組織〈兎の足〉に大勢の妖術師が集まり出したことで、反逆精神旺盛なアカシャエビの魚人シャア・アカシャザ・ビエルが俄然強気になった。シャアが旗振り役となって〈太陽に見捨てられた町〉上空に張られた黒紗の結界に風穴を開け、シト・トウキヨに一泡吹かせてやろう、という太陽奪還計画が水面下で進行していたという。
「僕、そんな計画知らないんだけど」
「それはそうだ。ミリクは妖術を使えないからな」
妖術を使えないミリクは太陽奪還計画のメンバーから漏れていた。モシュが妖術を覚えることにあれほど反対だった理由が窺い知れた。そんなこととは知らず、ミリクはシャアとダギャダギャ音楽隊を結成し、ナアゴヤ・ダギャダギャ節をがなり立てていた。
「ごめん、モシュ。妖術を使っちゃった」
ミリクが言いづらそうに小声でぼそぼそ謝った。
「妖術を使うことが悪いのではない。力を行使する際、罪の意識を微塵も感じない者はいずれ力に溺れる。危うさを理解した上で使うならモシュは止めはしない」
モシュがそれほどまでに妖術の使用に敏感になっているのは、〈逐爽亡〉を振りかざしてアナウサギの殺戮に加担した苦い過去があるからだろう。
「使ったのは〈
「知っている。アウラ・ガイストから報告を受けている」
「そうなの?」
「シャアの計画に感付いたのもアウラだ。太陽奪還計画はあまりに杜撰で、失敗するのが目に見えていたからな。くだらん計画を白紙にするため、忘却のういろうを食べさせて綺麗さっぱり忘れさせた。モシュのことを忘れさせるために配ったわけではない」
「マザラにもういろうを配ったのは?」
「アウラの手違いだろう」
モシュが危惧した太陽奪還計画とは、いったいどこが駄目だったのだろうか。
「太陽の光が届くようになるのは良いことだと思うんだけど何が駄目なの? ストーブも要らなくなるし、アガリコの木を切らなくても済むんじゃないの」
ミリクが率直な疑問を呈する。
「太陽を遮断する紗幕を力ずくで取り除けば、シト・トウキヨは調子に乗った妖術師どもの反乱だと見なすだろう。即座に鎮圧されるのがオチだ。その上、アガリコの森は跡形もなく焼き尽くされ、今度こそ〈
モシュの未来予測は限りなく暗いものだったが、そうならないと考える方が難しかった。
「アガリコの森が焼けちゃったら、モシュは死霊として存在できなくなるの?」
「おそらくな」
モシュが言葉少なに頷いた。
「太陽を取り戻しても、アガリコの森を燃やされちゃったらどうしようもないよね。それに森がなくなったらモシュも存在できなくなる。そんな計画、白紙で当然だよ」
「しかし、紗幕が張られたままでは太陽の届かない常闇の村であり続ける。いずれにせよ、暗い未来しかないな」
太陽を取り戻して、森を焼かれるか。
太陽に見捨てられたまま、暗黒の村であり続けるか。
モシュの言うように、どちらを選んでも暗い未来しかないのが面白くない。
「あのね、モシュ。ミリクは小さな太陽だって言ってくれたの、すごく嬉しかった。それで考えたんだけど、紗幕の内側に新しい太陽を作るっていうのはどうかな」
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