第22話 黄金色の灯り
幸福な夢を見た。
モシュと一緒にストーブの前で丸まって眠っている、何気なくも特別な光景。
これがはっきり夢だと分かるのは、安心し切ってすやすや寝息を立てているミリクがモシュと変わらぬぐらいに小さいから。
幼い日のミリクは、モシュのふかふかのお腹を枕にして眠りこけている。
枕代わりにされているモシュはちょっぴりうざったそうに尻尾を左右に振っているが、黙って枕代わりにされたまま、慈愛に満ちた目を細めた。
今更ながらにモシュの優しい一面を思い出し、心がほの温かくなる。このままずっと幸せな夢に浸っていたかったけれど、しっかりと目を見開いて現実と向き合うことにする。
モシュとの関係は、とても一言では言い表せない。ミリクにとってモシュは兄弟であり、親でもあって、友達でもあり、師でもあった。これからモシュの死を受け入れ、喪主を務めなければならないのかと思うと気が滅入る。
夢の世界から浮上すると、聞き慣れた声が耳に届いた。
「おい、コジュマ。生きてルか?」
「おいがオジュマさ。おみゃーがコジュマ」
「たーけ! おいがオジュマさ。おみゃーがコジュマ」
オジュマコジュマが横たわったミリクの顔をまじまじと眺めている。夢から覚めた先もまた夢であるのか、いつかの光景とまったく同じ会話をなぞっている。オジュマコジュマも忘却しているらしい。ミリクがゆっくり身体を起こすと、オジュマコジュマが騒ぎ始めた。
「いごいてかん! おい、コジュマ。生きとルぞ!」
「とろくせゃあ。おいがオジュマさ。おみゃーがコジュマ」
「たーけ! おいがオジュマ、おみゃーがコジュマだがや!」
アガリコの木に宿るカエルの死霊〈
相手の上に乗った方がオジュマを名乗り、乗られた方がコジュマに甘んじる、という不毛なマウント勝負はいつもながらに見苦しく、体格差も何もないため一向に決着が付かない。目の前で延々繰り返されるマウント行為を中止させるには、オジュマコジュマを踏みつけにして、ミリクこそが上位者であることを知らしめてやらねばならない。
モシュは喜々としてオジュマコジュマを踏みつけにしていたけれど、ミリクはどうにも気が進まない。空飛び猫に踏まれるならまだしもバネ足人間に踏まれて大丈夫だろうか。
「ごめんね、オジュマコジュマ」
まかり間違っても全体重はかけず、そっと、そおっとオジュマコジュマの頭を踏みつけた。しかし、ミリクの踏みつけが甘かったのか、オジュマコジュマは飽くことなく馬乗り勝負を続けている。
「おいがオジュマさ。おみゃーがコジュマ」
「たーけ! おいがオジュマ、おみゃーがコジュマだがや!」
今度はやや強めに踏みつけたが、それでも変化なし。仕方がないので思い切り踏みつけてみても、オジュマコジュマはペチャっと潰れ、それから何事もなかったかのようにムクムクと復元して、馬乗り勝負を再開させた。
「おいがオジュマさ。おみゃーがコジュマ」
「たーけ! おいがオジュマ、おみゃーがコジュマだがや!」
さすがは死霊と言うべきか、踏みつけにされたぐらいではまったく堪えない。ミリクは改めてオジュマコジュマの復元力の高さに感心した。
「モシュの言うことは聞くのに、僕はなんで無視されるんだろう」
オジュマコジュマを踏みつけにする行為自体は同じはずなのに、モシュは〈
オジュマコジュマの上位に立つには、ただ踏むだけでは駄目なのだ。
「モシュはあの時、踏む以外に何をしていたっけ」
モシュの一挙手一投足を思い出してみる。モシュはまず「うっさい! 静かにしろ!」と怒鳴り散らし、オジュマコジュマをビビらせた。それから名乗りを上げた。
「オジュマはオジュマの上にオジュマを作らず。即ち、モシュこそは〈
怒鳴る、静かにさせる、名乗る、踏む、という一連の行為を経て初めて〈真の大樹魔〉と認められるのだろうか。それはちょっとダサくないか。オジュマコジュマ相手に大真面目に名乗りを上げるなんて、ミリクには荷が重かった。
「崇めよ、我こそはミリクオジュマなり……って言うの? うわ、ぜったい無理」
モシュとオジュマコジュマは体格的には似たり寄ったりだから、乗ったり乗られたりしていてもあまり酷い絵面にはならない。一方、ミリクはオジュマコジュマから見れば巨人と言っても差し支えないぐらいの体格差がある。ただ乗っかるだけでも抵抗があるのに、怒鳴りつけた上に偉そうに名乗るだなんて、そんな恥ずかしいことできっこない。
「おいがオジュマさ。おみゃーがコジュマ」
「たーけ! おいがオジュマ、おみゃーがコジュマだがや!」
モシュ録を掘り返す作業を再開したいのに、いつまでもオジュマコジュマの馬乗り勝負の決着が付かず、集中を削がれる。ただ無視すればいいだけなのかもしれないが、あっちこっちにオジュマコジュマが湧いて出て、あらゆる所で言い争いをしている。
「おいがオジュマさ。おみゃーがコジュマ」
「おいがオジュマ、おみゃーがコジュマだがや!」
「おいがオジュマさ。おみゃーがコジュマ」
「おいがオジュマ、おみゃーがコジュマだがや!」
言い争いの声が洞窟に反響し、何重もの音の波となってミリクの耳をつんざいた。両耳を塞いでも音の波は容赦なく襲ってきた。直ちにオジュマコジュマの乱闘を止めないと、耳がやられる。しかし、大騒音の中で「うっさい! 静かにしろ!」と怒鳴りつけてもちっとも静かになりはしなかった。静かにならないのだから、もはや名乗るも名乗らないもない。
オジュマコジュマの爆音地獄に放り込まれ、どうすることも出来ない。名乗るのがダサい、などとミリクが躊躇したせいで完全に機を逸してしまった。深く反省したミリクは近くのオジュマコジュマに囁くことにした。
「おいもオジュマさ。おみゃーもオジュマ」
どちらがオジュマでどちらがコジュマか争っているなら、俺もオジュマ、お前もオジュマだと伝えてみたらどうだろう。皆が等しくオジュマなら、言い争いが止むかもしれない。
ミリクの目論見は功を奏したようで、囁きを受け取ったオジュマコジュマが復唱した。
「おいもオジュマさ。おみゃーもオジュマ」
音の波は次々に伝播して、外郎道を駆け巡った。
「おいもオジュマさ。おみゃーもオジュマ」
「おいもオジュマさ。おみゃーもオジュマ」
「おいもオジュマさ。おみゃーもオジュマ」
「おいもオジュマさ。おみゃーもオジュマ」
あんなに馬乗り勝負を仕掛け合っていたオジュマコジュマが互いに肩を組み合って、皆で仲良く同じフレーズを繰り返している。競い合うのではなく連帯している。ミリクはいつの間にか輪の中心にいた。今ならば大声を出さなくてもミリクの話を聞いてくれそうだ。
「おみゃーら、知っとるか。オジュマの上には〈
誰も彼もがモシュのことを忘れているのだから、オジュマコジュマだってモシュのことを忘れているに違いない。ミリクが〈真の大樹魔〉の存在を仄めかすと、オジュマコジュマたちがざわつき出した。
「偉大なる〈真の大樹魔〉の名は……」
ミリクが思い出させようとすると、お馴染みの声が聞こえた。
「モシュオジュマ!」
「モシュオジュマ!」
ミリク以外にもモシュのことを忘れていない者がいて、思わず目頭が熱くなった。ぴょんぴょん飛び跳ねるオジュマコジュマの顔はさっぱり見分けがつかないけれど、語尾が微妙に違うから、モシュを覚えていてくれたオジュマコジュマが誰なのかすぐに分かった。
「モシュオジュマ!」
「モシュオジュマ!!」
「モシュオジュマ!!!」
「モシュオジュマ!!!!」
「モシュオジュマ!!!!!」
ミリク一人だけだった葬列に無数のオジュマコジュマが加わった。
モシュオジュマの名をひたすら連呼し続ける大合唱。
しんみり別れを告げるなんて、ミリクの柄じゃない。
せいぜい賑やかに大騒ぎして、ど派手なお祭り騒ぎにしてやろう。
安眠を妨害されることを嫌うモシュはやがてのこのこ姿を現すだろう。
モシュはきっとこう言う。
「何人たりとも眠りを妨げることは許さん」
ひっそりと死んでいこうとする自分勝手な猫に安眠など与えてやるものか。どうしても安眠したいなら、ちゃんとお別れをして、惜しまれつつ息を引き取って、それから眠れ。
血のような赤と鈍色だった洞窟を照らす光が濃緑色に変わっている。灯りはやがて闇夜に浮かぶ月さながらの黄金色に転じ、やがて穏やかな橙色に染まった。
ミリクは思わず、くすりと笑った。
橙色の灯りはモシュがストーブの前で寝こけているときの目だ。これ以上もなく安堵しているときにしか見せない特別な色。やはりモシュは外郎道のどこかにいる。
「探しに来てもらって嬉しいんじゃん、モシュ。素直じゃないなあ」
そんなことないぞ。モシュはひっそり死ぬのだ。賑やかなのは勘弁しろと言わんばかりに、橙色の灯りがひょろっと黄金色に変化した。金色の光が猫の目のようにくるくる変わる。
なにも喋らないくせに、なんとまあ雄弁なこと。
「モシュ、どこかにいるんでしょう。頼むから出てきてよ」
黄金色の灯りがふっと掻き消えた。
外郎道が真っ暗な闇に沈む。
ミリクは夜目が利かないけれど、闇を恐れることはない。
この闇はモシュの機嫌そのものだから。
これが拒絶的な闇でないことぐらい分かる。
「妖術を使ってごめん。モシュがいなくて寂しかったから、つい使っちゃった。今、モシュの言葉を掘り返しているけど、嫌だったら止める。やめた方がいい?」
どこかに潜んでいるはずのモシュにお伺いを立てる。暗闇に没していた外郎道に、ぽっと灯りが灯った。モシュの目にそっくりの黄金色の灯りがちらちら揺れている。
「ありがとう、モシュ……」
いざ感謝の言葉を伝えようとしたけれど、嗚咽が込み上げて、まともに話せない。幼い日からモシュがしてくれたことを思うと、どんなに感謝を連ねたって十分ではない。
「いいさ、言わんでも分かる」
労わるようなモシュの声が脳裏に響く。
そうだね、無言こそ至上。もう何も言うまい。
黄金色の灯りがふっと掻き消え、すべてを包み込むような漆黒の闇が訪れた。
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