第10話 チクソウム

 アナウサギの獣人アナベル、アナウサギの天敵である空飛び猫モシュ。


 一時休戦して争いの矛を収めたが、積年の不信感が即座に氷解するはずもなかった。互いに視線さえ交わさない剣呑な空気の中、敵対する両者が砂のテーブルを挟んで向かい合う。


 法螺貝の死霊ホーラ・ガイストはアナベル側に付き、オジュマコジュマはモシュ側に付いた。ミリクはどちらに味方するでもなく、微妙な距離感を保っている。


 せっかくのお茶会であるのに、振る舞われた紅茶はすっかり冷めきっていた。


 まるで先に喋ったほうが負け、という勝負でもしているかのように、アナベルもモシュも黙りこくっている。給仕係の法螺貝は紅茶を用意するとそれっきり無言になった。オジュマコジュマはカップに注がれた紅茶風呂にどっぷり浸かり、極楽気分に浸りきっている。


「はあ~、極楽だぎや。なあ、コジュマ」


「おいがオジュマさ。おみゃーがコジュマ」


「たーけ! おいがオジュマさ。おみゃーがコジュマ」


 馬乗り勝負マウントに目がないオジュマコジュマはここでも言い争いをしている。言い争うだけでは決着が付かず、紅茶のカップから身を乗り出して、互いに組み伏せようとする。


 まったく見苦しい姿であるが、〈真の大樹魔〉であるモシュは止めに入ろうともしない。


「モシュ、止めなくていいの?」


 ミリクがこそこそ耳打ちする。モシュは知らんぷりだ。


「放っておけ。力が拮抗していれば消耗戦にしかならん。そうでないなら殺戮だ」


 遠い目をしたモシュがやけに物騒なことを言った。


「殺戮って……」


「あれはそう、殺戮としかいいようのないものだったな」


 不味そうに紅茶を啜ったモシュが一人語りを始めた。


「モシュがナアゴヤ・ダギヤアに流れてくる前の話だ。モシュはアナウサギの駆除を生業とする〈妖術師〉に飼われていた。何といってもモシュは鼻が利くからな。アナウサギの巣穴を見つけ出すのに重宝された」


 唐突に話し始めたモシュにアナベルが憎しみの目を向けた。


「妖術師が用いたのは〈逐爽亡チクソウム〉という遅効性の毒術だ。感染から一週間で症状が出始め、それから数日後には瞼や鼻、耳が膿で腫れ上がる。目も開けられず、耳も聞こえない状態となり、感染後十一日から十五日で死に至る。アナウサギは地中に複雑な巣穴を掘って集団で生活する習性がある。一匹が〈逐爽亡〉に罹れば、巣穴で暮らすものにも感染する」


 ミリクが物心ついた時には、モシュは当然のように側にいた。だからモシュの過去など、これっぽっちも知らない。モシュの目はどうしようもなく悲しげで、忘れようとしても忘れられない苦い記憶を吐き出しているのだ、とミリクは察した。


「〈逐爽亡〉の致死率は99.99%。罹れば確実に死ぬ。だが感染しても生き残ったものが免疫を獲得した。耐性を得たおかげで致死率は50%まで下がった。それでも発症すれば地獄のような苦しみに襲われることに変わりない。こんな惨い殺し方をするなら、モシュがひとおもいに食い殺してやる。頼む、〈逐爽亡〉だけは使うな。妖術師どもにそう言ったよ。そうしたら妖術師どもはなんと答えたと思う?」


 ミリクの飼い主であった妖術師はへらへら笑いながら、こう答えたという。


「食い殺す? それでは効率が悪いじゃないか」


 主人である妖術師に背いたモシュはお払い箱になった。それもただお払い箱にされたわけではない。袋叩きにされて身動きできなくなったあと、〈逐爽亡〉の毒術を浴びせられ、アナウサギの巣穴に放り込まれた。


「〈逐爽亡〉の名の真ん中に〈爽〉の文字がある。なぜこんな晴れやかなイメージの文字を使うのか、モシュはよく分からなかった。でも毒を食らい、身を持って知った。大の字になって横たわっているのは死体だ。四つの×印も死体。一匹が毒に罹ると、周りの四匹を巻き添えにするという暗喩だよ」


 モシュがなにかと妖術師を毛嫌いする理由がよく分かった。嫌って当然だ。ミリクはすっかり言葉を失い、アナベルでさえ絶句していた。


「モシュは死にかけた。死んだ方が楽だと思える地獄の苦しみを味わったが、死ななかった。辛うじて生き残ったからにはモシュはすべてを記憶した。忘れまい。忘れるものか。妖術師への恨みを忘れない。以来、モシュは生き延びたアナウサギたちを保護する活動を始めた。まあ、事情を知らないアナウサギにとってモシュは妖術師に巣穴の場所を告げ口する悪の手先でしかないと思われていただろうがな」


 ミリクは思わずモシュを抱きしめた。モシュは妖術師なのかと訊ねた時、ある意味ではな、と答えた。妖術師ではないけれど、妖術師の片棒を担いだ猫だった、という意味だろう。


「モシュ、話してくれてありがとう。僕、何も知らなかった」

「……離せ。苦しい」


 抱きしめる力が強過ぎてモシュが苦しそうだったけれど、ミリクの手から逃れはしなかった。アナベルが目で合図する。法螺貝がお代わりの紅茶をモシュのカップに注いだ。


「よくできた作り話ね。うっかり信用しそうだったわ」


 アナベルはそう口にしたが、皮肉めいた言葉ほどに表情は冷淡ではなかった。


「ふん。作り話で結構。モシュを軽々しく信用するな」


 持ち前の毒舌で応酬したモシュは中途半端な馴れ合いを拒絶した。


「もうちょっと仲良くしようよモシュ。アナベルさんも」


「過去に犯した罪を忘れぬことからしか新たな関係は紡げぬ。忘れるは罪を犯した者ばかり。そういうものだ」


「なんか名言っぽいね。記憶しておきたいけど、ういろうがないんだよな」


 ミリクはモシュの頭を撫でた。小さな子供をあやすようによしよしと撫でたものだから、モシュがうざったそうに反発した。尻尾をぺしん、と振ってミリクの手をはねのけた。


「心に刻め。ういろうなんぞに刻むな」

「驚愕の味噌ダレパンならあるよ。モシュ、食べる?」

「いらん」


 モシュはぷいっ、とそっぽを向いた。


「仲がいいのね」


 アナベルが羨ましそうにミリクとモシュを見つめた。


「モシュが遊んでやっているのだ。仲がいいわけではない」

「おっしゃる通り、ミリクめはモシュオジュマの下僕でございます」


 ミリクがわざとらしくひれ伏すと、モシュは満足げにうなずいた。


「それはそうと、アナウサギの妖術師よ。ナアゴヤ・ダギヤアに流れてきたのは〈太陽に見捨てられた町〉があるからだろう」


「あら、お見通しだったの」


「見くびるな。アナウサギどもが潜伏するにはちょうどいいからな」


 モシュとアナベルが何を話しているのか、ミリクにはよく分からなかった。


「モシュ、どういうこと?」


「アナウサギは夜行性だ。昼間は巣穴にじっと隠れて天敵から身を隠している。夜になると、餌を食べに出掛ける。太陽の光が届かない常闇はアナウサギには都合がいい」


 法螺貝がアナベルのカップに紅茶を注ぐ。アナベルがいやにまじまじと液面を眺めた。


「ぐげげげげげ。アナベル様、〈侵入者インベーダー〉だぎやあ」

「……侵入者?」


 ミリクとモシュが顔を見合わせた。

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