冷嘲熱罵①

 酒場の扉を開くと中の乱痴気騒ぎが一瞬静まり返る。客のほとんどの視線が襟元の大尉の徽章と俺の顔を見比べた。


 何事もなかったかのように客たちがまた騒ぎ出す。

 

 絶望の都の名に相応しい外の荒廃具合と対照的にこの店は帝都の店のように賑やかだ。


 客は帝国人が大半だった。


 半分は軍人。あとは通商権を与えられた商人と軍政官、若干の武装修道士か。


 流石に佐官級の将校はいなかったが尉官はちらほら見受けられる。


 酒を入れ赤くなった顔で侍らせた女の肩を抱いていた。


 これだから軍人という奴は。武装修道士を狂信者と陰で罵る癖に自分は獣のように目の前の獲物にありつく。


「いらっしゃいませ。4名様ですか?」


 すっと出てきたウェイターが笑顔で問いかけてくる。


「そうです」


 傍に控えていた同じく軍の制服をまとった部下が前に出て答えた。


「ご案内いたします」


 案内に従って奥の席に納まった。四人で座るにしては空白の大きなソファと大理石のテーブル。ソファの隙間にはおそらく女を入れるのだろう。


 俺は悟られないように目線を配る。

 

 バルヘット、ギュンター、フックスの3人を護衛役を付けた俺はおそらくどこから見ても模範的な帝国軍大尉だ。


 模範的な大尉がこんな店に来るかは別として。


「この店のシステムはご存知ですか?」


「いや、寡聞にして詳しくないな」


 耳元に口を寄せてきたバルヘットの問いに小声で答える。


 真面目に虐殺者をしていたフォールはこの手の遊びに全く慣れていない。


「あそこ、見えますか?」


 指された方向を見てみれば酒場の隅に女たちが間隔を空けて座っているのが見える。


 露出過多で扇情的な衣装を来てさりげない風を装いながら客席全体を鷹のように見渡していた。


 あの目どこか見覚えがある。


「奴ら猟犬か何かか?」


 純粋な疑問を口にすると3人は揃って噴き出した。


「そんなものです。彼女らは相手を選べる娼婦です。出来る限り金払いが良さそうで楽にすみそうな相手を探すんです」


 なるほど。そういうシステムか。


「支払いをしらばっくれる客がいそうなものだが」


「こういう店側が取り締まってるんですよ。店は安全な稼ぎ場を提供し、娼婦は客寄せを手伝う。よくできてますよね?」


 確かに合理的な制度なのかもしれない。比べようにも他の制度を知らない俺はなんとなく頷いて同意した。


「それで、どうやって娼婦を呼ぶんだ?」


「任せてください」


 答えたのギュンターだった。やる気に満ち溢れた若い武装修道士は全員の注文を聞き取ると店員を呼んだ。


 ギュンターと店員の会話を聞き流しながら俺は意識に集中する。


 普段体を支配しているフォールの部分を裏に隠し、前世の人格を表出させる。


 前世でキャバクラや風俗に慣れていたわけではないが、フォールより幾分かはマシである。


 注文を終えたウェイターの合図で固まって座っていた女たちが近寄ってくる。


「皆さんお隣よろしいですか?」


「もちろん、座って座って!」


 声のトーンすら変わった俺の返答。いつもの様子を知っている部下たちがわずかにぎょっとしていたが、気づかないフリをする。


 今の俺は金払いのいい馬鹿な軍人。口も財布も緩い男だ。


「ありがとうございます」


 語尾にハートがつきそうな甘ったるい声で返事した女たちは各自席に着く。


 無遠慮に——許したのは俺だが——間合いに踏み入ってくる存在への本能的な拒否感を押し潰しながら笑顔で迎えた。


 鼻に届く香水は甘さよりも清涼感を追求したもの。


「自己紹介してもいいですか?」


 俺たちから肯定の返事を受け取った女たちは次々と自己紹介を始める。


 注目したのは俺の隣に座った女の名前。フィーネというらしい。


 女たちが担当を決めていたように俺たちも隣の女を監視すると決めていた。


「若いのに大尉さんなんですか⁈すごいです!」


 俺たちの側の自己紹介が終わった時、いの一番にフィーネが持ち上げる。


 白けた目で見つめてくるもう一人の俺を幻視しながらも悪い気はしない。


「成り行きでなっただけだ」


 本当にそうである。できなきゃ陸軍大尉なんて名乗りたくない。


 武装修道会の上級司祭が望みの称号なのかと聞かれるのと答えは難しいが。


「そんな風に言えるなんてもっとすごいです。良ければ話を聞かせてくれませんか?」


 別の女の問いかけだ。武勇伝を語るのも語られるのも好きではないが、ここで頑なに拒むのも不自然か。


「隊長、あまりそういう話はなさらないので自分も聞いてみたいです」


 背中を押したのはギュンターだった。本気かそれとも演技の一環か。


「入隊直後から東部戦線に配置されていたからな」


 選択するのは娼婦を挑発するための話。暗殺者の目を俺に向け確実に近づいてくるように仕向ける。


「アスラ王が戦死したトレニ平野の戦いの話をしようか」


 娼婦たちの表情が固くなるのを見て取れた。


 彼女らは自分が上手く表情を繕っていると思ったのかもしれないが俺の目は誤魔化せない。


「酷い戦いだった。奴らの首都、ちょうどこの都市だな。帝国軍は目前に迫りアスラ王国騎士団は平野での決戦を選択した」


 ふと、自分でも思い出していた。帝国最後にして最大の戦いを。


 あの時の熱、返り血、溢れた臓物の臭い。


「敵方は騎士が二万と歩兵八万、さらにお節介が五千人ほど。帝国軍は総勢十二万の大軍だった」


 黎明の光を浴びた戦場は殺戮の気配に満ち満ちていた。


 クソッタレのエルフどもが戦列に混じっていたのは今でも鮮明に思い出せる。


「いつものことだが帝都の連中が思っていたほど前線は円滑に進まなかった——」


 半ば演技、半ば本気で武勇伝ともぐちとも取れる昔話を語る。


 時折部下の補足や女たちの合いの手に挟みながら俺はゆっくりと話した。


 自分の話に向き合う余裕はない。さりげない動作で娼婦の手を握り、肩を抱く。


 ゆっくりと吟味するような撫で方をみても黒服は黙っていた。


 建前上、娼婦にも続けるか選ぶ権利があるはずだが、ここで始めなければ黙認するのか。


 ……念のため断っておくなら俺は下心から触っているのではない。


 断じて違う。


 体は嘘をつかない。これも隠語ではなく文字通りの意味だ。


 剣を使えばタコができ、体を鍛えれば筋肉がつく。どれだけ巧妙に偽ろうとも人体の必然からは逃れられない。


 ……ないな。


 他愛もない話に口を割きながら腹の中でつぶやいた。


 同じ確認作業を終えた部下の反応も否定的なもの。初回は空振りらしい。


 仕方ない。一回目からあたりが出るとは思ってない。


 チラリと外に視線を送った入店から一時間と少し、少々短いかもしれないが目標は達成した。


 視線を向けてきたバルヘットに軽く頷いて意思表示する。


 各人のグラスを確認したバルヘットはサラリと切り出した。


「結構飲んだしそろそろ帰ろうかな」


「えー、もう帰っちゃうんですか?」


 甘えた声を出す女に困ったような微笑みを浮かべるバルヘット。実に遊び人らしい爽やかな笑みを浮かべた彼の評価を一段階上げた。


「君たちはどうする?」


 嬉しそうな顔を作る女たちの顔が一瞬、欲望に煌めいたのを見逃してはいない。


「ご一緒してもいいんですか?」


 バルヘットは視線を俺に送り、判断を下すのはあくまで俺だと示した。


 さらに別の項目の評価も上げる。


「もちろん、是非一緒に来てくれ」


 酒の力を借りて緩んだ表情筋を総動員して笑顔を浮かべる。


「じゃあ、お言葉に甘えて……」


 違和感を覚えた様子もなく頷いた女たちの様子をみれば俺の表情筋もまともに動いたようだ。


 フックスの呼んだウェイターに金貨を握らせ支払いを済ませた俺は立ち上がって歩き出した。


 そっと近寄ってきたフィーネが俺の腕を取った。


 豊かな胸を押しつけられた喜びを甘受する俺と、利き腕を抑えられた不快感に眉をひそめる俺がせめぎ合う。


 ギリギリのところで左手の動きを抑え、歩き出した。前世で酒を飲んだ時のようにはいかなかった。


 頭はどこまでも冷えている。

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