怨望隠伏

 時が止まったようだった。


 陸軍採用の三式魔導化馬車。速度と耐久性、馬への負担軽減の全てを満たした優れ物の中から外を覗いていた俺は心の中で呟いた。


 軍用道路と整備された駅伝——マラソンではなく一定距離ごとに馬のいる拠点をおく方——を使えばいかにピュロスといえど一週間もかからない。


 たどり着いたピュロスは終戦直後の破壊と混乱がそのまま残っているようだった。


 防衛設備や帝国も使用する大通りは整備されているが街並みは殺戮の後から変わっていない。


 住民は憔悴した表情で道の端を歩き、軍の旗が立てられた場所を見ると蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


 大通りの一本奥を見れば昼間だというのに客を待つ夜鷹がぼんやりとした表情で地べたに座っていた。


 荒廃した街並みを眺めながら進むと街の中心部にたどり着いた。


 馬車を降りた俺を出迎えたのは死体の焼ける臭いだった。嗅ぎ慣れたそれに眉をしかめながら俺は臭いのする方をチラリと見遣る。


 十字に組まれた木の上に焼け残った肉のこびりついた白骨死体が吊るされていた。


 白骨とは言ったものの焦げて茶色く変色している。かつて大国の首都だった都市は今や恐怖の時代を迎えていた。

 

 馴染みのある雰囲気だ。


 焼死体を睨む総督府はかつての大国の王城跡を利用しただけあり、豪華なものだった。


 城を守る兵士も悪くない。もちろん帝都守護隊ほどの練度はなく、特権たる白いマントの着用も許されていない。しかし、通常の衛兵とは練度の桁が違う。


 もっとも焼死体の惨状を片目に捉えた俺は違和感の方が強かったが。


 出て来た案内の者に導かれ最上階へと昇る。


 光沢のある木の扉が左右の兵により開かれ、総督の執務室に入った。


 調度品や細工の類は一流の品で流石に最も力のある大司教だと納得できた。


 あえて個人として述べるなら、ここまでごてごてに飾り立てられた部屋は自室としてはごめんだ。


「おお、君が皇帝陛下の黒い短剣か」


 のっけからいいパンチ打ってくるな。このおっさん。


 皇帝の黒い短剣なんて呼び名何年振りに聞いたことか。この世界だと気にならないが少々こそばゆい二つ名だ。


 恥ずかしがる日本人の残滓と訝しげな気配を発したログンを無視して俺は指輪で武装した大司教の手を握った。


「お初にお目にかかります。金満公」


 側近だろう複数の男女の中で抜きん出て目立つ男が大司教だ。


 お返しに二つ名で呼んでみると男は脂肪と装飾品で膨れ上がった腹を揺らして答えた。


「公ではないがね。金満家であるのは認めるが」


 ぶひゃひゃひゃと笑う金満聖職者。一通り笑って満足したのか顔に笑みを貼り付けたまま椅子を指し示す。


「まあいい、座ってくれたまえ。ああ、拙僧のことはウルソー大司教と呼んでくれ」


 ぎこちないながらも仮初の笑顔を浮かべて俺は頷いて座る。


 三種類いる帝国の総督の中でウルソー大司教は修道会の人間であり、俺としては最も交渉しやすい、はずだ。おそらく。


 最高司令部とどんなやり取りがあったかは知らないが、少なくとも歓迎の態度は作っている。


「わざわざ帝都から呼び寄せて悪いが、拙僧も忙がしい身だ。この辺りで失礼させてもらうよ」


「いえ、出迎えていただけただけでも光栄です」


「そうかね?」


 立ち上がり大儀そうに腹を揺らしたウルソー。


 そもそも総督が自ら出迎えてくれるとは思っていなかった。


 軽く頭を下げて見送りの印とするとウルソーが振り返り思い出したとばかりにぽんと手を打った。


「大事な人間を忘れていた。クラウゼ大尉」


「はい」


 壁際に控えていた軍服を着た女が前に出た。部屋に入ってから無言を保っていた女は初めて口を開いた。


 チラリと視線を送ると正面から目線が交差した。他の側近たちもこちらを見ていたがもう少し遠慮があった。


 先ほどから観察されていることは自覚していたがここまで露骨に見られると当惑する。


「彼女から現状について連絡してもらう」


「異端審問官からという話でしたが」


「奴は死んだ」


 こともなげに言い放つウルソーの表情を見ながら思わず眉根を寄せていた。


 異端審問官は常に狙われる立場にある。大抵の尋問官は単独行動の愚を知っているのだ。


 まして上位の尋問官となれば護衛の数も増える。俺はカレンダーを書き直した。この仕事は簡単には終わらない。


「では拙僧はこれで」


 ドタドタと側近を引き連れウルソーは部屋から出ていった。


 残された3人は視線を交わし誰からともなく席に着く。


「グレイムバウワー上級司祭です」


 差し出した手を握りながらクラウゼは口を開いた。


「失礼だがどこかでお会いしなかったか?」


 俺は改めてクラウゼの顔を眺める。歳は俺と同じか少し上。軍人にしては白い肌と後ろで結ばれた長い髪。眉は吊り上がり凛々しいと形容される顔立ちだ。


 服装こそ軍服だが貴公子と呼ばれるても納得できる。


 そもそも女性であることに留意しなければならないが。


「私には心当たりはありません。もちろん戦場ですれ違ったことはあるかもしれませんが」


 俺も暇ではない。将官クラスならともかく大尉の顔など一々記憶してない。


「そうか……失礼、ナタリア•クラウゼだ。大尉を拝命している」


 大尉この街の規模と総督の出身を考えると首席補佐官ぐらいか。


 極秘の任務を任せられるには役職が足りないが連絡役なら十分。


「早速本題に入らせていただく、こちらが憲兵が事前に集めた情報になる」


 差し出された書類の束を素早く読み込み始める。よくまとまった良い資料だ。


「『対象は売春婦に化けた可能性がある』か」


「いくつかの目撃証言と被害が若い男性の兵士に集中したことから出た仮説だ」


「対象の範囲が絞れているなら捜査も進むと思いますが?」


 これはログンの言葉だ。答えるのはクラウゼ。


「この都市の様子を見ただろう。治安は崩壊している。路地を一本入れば夜鷹の行列だ」


「しかし……」


「男も女も体を売るしかないんだよ」


 治安維持の担当者として低迷した経済状況に失望と諦念を抱えきれないのかクラウゼが大きくため息をついた。


 男は肉体労働で、女は娼婦の最底辺の夜鷹になり何とかその日の糧にありつく。


 市民の絶望はクラウゼのそれを遥かに上回るだろう。


「であるなら我々は大した役に立たてないでしょう。しらみつぶしに夜鷹を訪ねるのは我々向きとは思えない」


「そうとも言い切れません」


 俺の言葉に答えたのはログンだった。クラウゼとやり取りしながらも書類を確認していたログンは思案げに続ける。


「被害者の二割ほどですが、士官も混じっています」


 俺は目線で続きを促した。


「士官ならば公営の娼館に行けばもっといい女が変えます。わざわざ安いだけの夜鷹を買い漁るのは不自然です。特定の娼館で行うのもすぐに発見されます」


「とすると……」


「おそらく対象は酒場で客を引っかけて連れ込み宿で行為に及ぶ類の娼婦であるかと」


「確かに、それなら辻褄は合う」


 娼婦に関して嫌に詳しいことには触れずログンの言ったことを考える。


 その形態なら確かに普通の客にはただの娼婦として振る舞い、兵士相手には殺し屋になることもできる。


「でなければ通り魔的に襲うしかありませんが、それでは確実性に欠けます」


「私もその説に賛成する」


 結論は出たな。


「小隊ごとに別れて行動する。一人が餌の士官役、三人が餌の護衛役、最後が宿に待機した部隊への連絡役だ。ログン、各隊長に伝達しろ」


「はっ」


 ログンが踵を打ち鳴らして敬礼しクラウゼに軽く会釈しえからきびきびと部屋を出た。


 ログンの足音が消えると室内を沈黙が支配した。


 口火を切ったのはクラウゼだった。


「それで、私に何か用があるのか?」


「野戦憲兵を臨戦態勢にしていただきたい」


 前置きも予防線もない直球の要望。頼み事だろうと察しいていたクラウゼも目を見張っていた。


「軍に介入を許すのか?武装修道会の案件に?」


「ええ」


 独断に近い行為だった。部隊の特殊性からある程度の自律行動は許されている。


 しかし最高司令部は寛容ではない。問題になる可能性があった。


「そんなことを言っている場合ではないんです」


 最高司令部は広大な情報網を持ち常に合理的だ。その判断は往々にして正しい。が、俺が知っていて最高司令部が知らないこともある。


 帝国が崩壊する具体的な未来。


 俺にとって全てに全力を、帝国の全力を持って対処すべきだと思えてならない。


「敵はエルフの正規兵です。奴らは悠久の時間を鍛錬に費やし、魔術や剣術、殺しに精通している」


 厄介な敵だった。ミスリルで武装したエルフは常に事態を面倒にする。そのユニットを大量に大量に保有する評議国は悩みの種にして枝を広げる幹だ。


「できる限り情報がほしい。1匹でも逃すことはできません」


 執念、憤怒、憎悪それの全てと似ていていずれとも違う。フォール•グレイムバウワーを形成するもっとも深い何かがフツフツと湧いていた。


「多少逃す程度のこと、もちろんあるべきでないが多大な損失となるようには思えないが」


「奴らの根幹は帝国への憎悪。となれば幹を切ることは難しい」


 わかっていなかった。この大尉は全く理解していなかった。これは今後千年の宇宙観コスモロジーを決定する殺し合いなのだ。


 どちらかの種族が絶滅するまで皇帝は戦争を止めない。


 ならば、


「我々が取るべき選択は一つ。奴らの枝を切り落とし、切り落とし、切り落とす。奴らの生命力が尽き二度と枝を生やせなくなるまで殺し続けるだけです」


 最後の一人まで殺し尽くす。これは絶滅戦争なのだ。


「失礼。口が過ぎました。大尉、野戦憲兵の話は同意していただけますか?」


「ああ、司令閣下に伝えておく」


「事前に渡していただいた物資は現在確認中です。不足している物があれば」


「庁舎に連絡してくれ。私の方で届ける」


「お願いします」


 軽く会釈したクラウゼが席を立って部屋を出る。きびきびとした歩調で遠ざかっていく彼女を視界の端に捉えながら俺は昏い炎をたぎらせていた。

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