白馬発狂

 見せたいものがある。そう言われて案内されたのは店のさらに奥。従業員たちの居住区画だった。


 道行く女たちの好奇の目に晒されながら俺は黙って先導するオーナーの後に続く。


 やがてオーナーは扉の前で足を止めた。


 軽い調子でノックしたオーナーは俺と相対した時とは打って変わって優しい調子で声をかけた。


「私よ。武装修道会の方をお連れしたけど入ってもいいかしら?」


 しばらくの間部屋からの返答はなかった。オーナーが諦めて立ち去る気配を感じた。


 状況がいまいち見えないが戻らないかと言われたら素直に戻ろう。


 そう決めた俺にオーナーが話しかける、その一息前に扉が細く開けられた。


「エレナさん……とお客様どうぞお入りください」


 部屋の中は暗くしていたようで、中にいた女の顔は廊下の魔導具に照らされた部分しか見えない。


 随分と痩せ細っているが、美しい顔だった。


「ありがとう」


 そう微笑んでオーナーは部屋の中に入り、続けて入るように促す。


 部屋の中に入った俺は先ほどの自分の考えが間違っていたことを悟った。


 部屋の主は美しい顔立ちではなかった。前世であれば息を呑むような絶世の美女。蝋燭の頼りない光でもわかる。大店にあって最高級と呼ばれるに値する美貌の持ち主だった。


「セシルです」


「フォール•グレイムバウワーだ」


 さて、なぜこんなところに連れてこられたのか。予算ためだから妥協しているが他の武装修道士ならば呆れて帰るならばまだいい方だ。


「フォール様は慰問のために来てくださったのよ」


「それは……ありがとうございます」


 セシルが人形染みた無表情のまま頭を下げた。


 ボールが自分のところに回ってきた感覚を抱きながら用意された茶番に合わさるか考える。


 そんなことはないと言ってしまうのは簡単だ。終点もわからない電車に乗るほど愚かなことはない。


 ただ同時にどこの田舎駅かわからない状態で降りることにもリスクがある。


 俺は自分の肩書きの威圧とオーナーのリスクマネジメント能力に賭けることに決めた。


 オーナーとて上級司祭に下手な真似はしないだろうと信じて。


「礼を言われるほどのことでは。そもそも今回の件は護衛の失敗に原因がある。我々に感謝する必要はない」


「いえ……お陰で傷も治りましたし」


 そういえば、捕虜となっていた者たちも治療していた。


「治ったならば何よりだ」


 そう口にして俺はチラリとオーナーに視線を向ける。茶番はこれ以上続かないだろうと。


 視線を受けたオーナーが頷く前に扉が激しくノックされる。セシルがビクリと首をすくめた。


 返答も待たずに女が部屋に入り込んできた。息は乱れ、緊迫感が顔に出ていた。


「オーナー。サントス商会の方が……」


「いつもの用件ね」


 頷いたオーナーの声にも余裕がない。サントス商会か。ゲームでは特に触れられなかったが、帝都の商会の一つだ。


 帝都でも中の上に入るかなりの力を持っていたはずだ。


「申し訳ありません。少々席を外しても構いませんか?」


「ええ、私もお暇させていただこう」


 こちらの用件はすんだ。財務本部の高官殿にも礼は尽くしただろう。さっさと帰って次の作戦の計画だけでも練っておきたい。


「無礼を承知で申し上げます。どうか少しの間お待ちいただけないでしょうか」


「……わかりました」


「心より感謝を申し上げます」


 深々と頭を下げてオーナーは足早に部屋を出た。


 部屋に残された俺は密かに息を吐く。さて、どうしよう。


 微妙な空気を漂わせた室内でセシルがポツリとつぶやいた。


「ごめんなさい」


「……謝ることはないと思うが」


「いえ、多分エレナさんが無理を言って連れてきてしまったのでしょう?あの人は昔からそういうところがありますから」


 セシルの顔に小さな笑みが浮かんだ。自分の勘違いに気付いた俺はもう一段階評価を上げた。


 この笑顔のためならどんなに冷徹な商人であろうと全財産を投じるだろう。


「仕事について長いのか?」


「5歳の頃にエレナさんに拾われたんです」


 セシルの年齢は見たところ20歳に届かない程度。10年以上この店で働いてきたのか。


「お客様はいつからお勤めを?」


「同じくらいだ」


 少年聖隷部隊に入れられたのはおそらくセシルと同時期だ。俺の方が2、3歳歳上だろうから若干長いだろうがほとんど変わらない。


「初めて殺した人のことをどれくらい覚えていますか?」


 唐突な質問にぎょっとした。思わずセシルの顔を凝視するが特段の変化はない。


 別にタブーな質問でもないし、場合によっては誇らしげに語られる話題だからおかしくはないのだろうが。


「初めて抱かれた男を覚えているのか?」


「いえ、ほとんど忘れました。商人の方だったような気がする程度です」


「俺もそんなものだ。確か6歳のとき、ある……女だった」


 嘘をついた。確かに俺は殺した人間に執着するタイプではない。先月殺した人間のことなど顔も覚えていない。もちろん、殺した人間を数えるほど暇でもない。


 だがあの女だけは別だった。


「私は今まで沢山のお客様に抱かれてきました。そのことに後悔はありません。でも、あの時、捕まった時、犯されるのが怖くなりました」


 なんとも言えず、俺は黙っていた。


「私は娼婦になるため育てられました。恨んだこともありますが、この生き方しか知りません。歓楽街の外になんてほとんど出ませんし、娼婦であることが人生の全てなんです」


 部屋に沈黙の帷が降りた。セシルは返事を求める素振りは見せなかった。


 ただ時間だけが過ぎていく沈黙。セシルが何か言う前に俺が帳を打ち払った。


「人は作られたようにしか生きられない。俺はそうだった。兵士として作られ、これまで生きてきた」


 後悔であり、懺悔であり、嘘偽りのない告白だった。そう、俺は作られた。フォール•グレイムバウワーが完璧な兵士になるために作り替えられてきた。


 俺は軍服の襟元に手を伸ばし、徽章の輪郭を撫でた。


 善悪はともかく、俺はその運命を受け入れてきた。


「愛玩犬なら主人の心を癒すことが求められるし、猟犬は狩りに役立つことが求められ、兵士は敵を殺すことを求められる」


 その点、俺はペンやハサミと何の違いもない。ただの無機的な道具。歯車の一つだ。


「殺しを厭ってみたこともあるが、すぐに自分が兵士以外の何者でもないと思い知らされた」


 あの時の苦痛、後悔、憎悪。あの時発狂しなかったのは奇跡か、呪詛に違いない。今となっては全ての感情は渇ききっているが。


「ともかくだ。作られたようにしか私は生きられない」


 悪いなと謝った。


 人生相談の相手としてこれほど頼りにならない人間も少ないだろう。


 新しい生き方なんて俺が知りたいくらいだ。提示されても選びはしないだろうが。


「いえ、もう少し娼婦として生きようと思います」


 その決断の結果は俺には見えないし、見ようとも思わない。


 ただ小さく頷いて立ち上がった。


「時間を取らせたようで申し訳ない。私のことは気にせず体を休めてほしい」


 オーナーにも伝えてくれた、付け加えると、立ち上がって見送ってくれたセシルに目礼し俺は部屋を出た。

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