傾国傾城②

 帝都の歓楽街はフォールの慣れ親しんだ静けさとは無縁の場所だった。


 夜更けだというのに昼間の市場のように人通りが多い。

 明かりがそこここに灯り、ギラついた男たちの顔を照らす。格子の隙間から見える扇情的な娼婦たちの様子が欲望を煽った。


 客引きを胸の徽章で追い払いながら俺は看板を見ながら目的の店を探す。こんなことならきちんと地図を書いてもらうべきだった。


 路地に目線を走らせているとふと一人の女と目があった。建物の下で煙草をくゆらせていた女は俺と目が合うとただでさえ布の少ない服の胸元に手をやり流し目を送ってきた。


 彼女を無視しながら欲望を失ったのはいつの頃かと述懐した。単に性欲に限らず食欲も睡眠欲もいつの間にか薄くなっていた。


 人体に必要だと理解しているから取るし、無理に取る訓練も受けている。


 人格が入ってきてからは多少の欲望が回復した。おかげで今も布の奥に垣間見えたモノの存在にわずかに動揺している。


 部下を連れてこなくてよかったと俺は後ろ向きに安堵していた。

 

 わずかでも自分の命令に対する信頼が下がるのはなんとしてでも避けたかった。


 そうこうしているうちに色町の雰囲気も変わってきた。


 道端で客を得ようとする娼婦はいなくなり、客の服装も清潔になっていく。


 街並みは整えられ、灯りの魔導具も装飾が施されている。


 だが、雰囲気の艶は増していた。道行く人間の顔も紳士的な無表情に隠されているからこそむしろその奥の欲望が油ぎって見える。


 俺は二人の守衛が立った店の前で足を止めた。黒服に身を包んで隠しきれないゴツい守衛の目が階級章を経由して俺に向く。


「武装修道会の使いのものだ。オーナーと約束がある」


「お待ちしておりました上級司祭様。どうぞこちらへ」


 扉を開けて案内を申し出た守衛に頷いて見せた。


 正面玄関から中に入った俺に、ラウンジにいた客が一瞬視線を向けた。制服と階級章を見た客たちがわずかな間沈黙する。


 その後すぐに静かに会話を再開した。武装修道士の注目を避けたかったのだろう。


 だが何人かの客は談笑しながらも俺をチラチラ見つめている。


 俺に目を向けたのは客だけではない。客の相手をしていた女たちも俺に目を向けた。


 その視線にわずかな険を感じた俺はこれは面倒くさくなりそうだと思いながらも少し安堵していた。


 こちらの視線の方が馴染みがある。


「応接室にご案内します」


「わかった」


 好奇と嫌悪の目を向けられながら、俺は上へ、おそらく最上階へと連れていかれた。

 

 この店、月の天使はかなりの大店らしく、凄まじい地価であろうこの地区で広い敷地を有しているようだ。


 外観と同じく中の装飾も絢爛なものだ。一つ一つの飾りに惜しみなく金が投じられている。


 階段を登り切り、最上階にたどり着いた守衛は支配人、と書かれた扉をノックした。


「どうぞ」


 部屋の中から聞こえた声に従い、守衛は扉を開いて横に控える。


 部屋に入った俺は立ち上がって迎えた支配人を見据えた。


 手強そうな相手だった。ヴェールを被って顔は隠しているが、服は薄く豊満な体つきを見せつけている。


 おそらく今は支配人なのだろうが元は客を取る娼婦の一人だったのだろう。


 一流の娼婦ほど口が上手いものもあるまい。


「はじめまして。エレナと申します。当店のオーナーようなことしています」


 そう言いながら席を示したオーナーに会釈しながら俺も名乗る。


「こちらこそ。フォール•グレイムバウワー上級司祭だ」


 殉教部隊のことは知らせる必要はない。


 手を差し出して握手を交わす。思考はすでに切り替えていた。俺の心の揺らぎは消え去っている。


 俺が椅子に腰を下ろすと同じく座ったオーナーは手を鳴らして一人の女を読んだ。


「よくいらしてくださいました。何がお飲みになりますか?」


「お構いなく」


 長居するつもりはない。相手のペースに乗るつもりもない。

 

 オーナーが次の言葉を探すわずかな間に俺は本題を切り出した。


「今日伺ったのはお預かりした娘を傷つけた謝罪と雇用の継続の確認だ」


 直球だ。一撃でもって解決するべく俺は言葉を飾らず単的に言った。


「謝罪……ですか」


「何かおかしいか」


 態度がおかしいと言われれば返す言葉がないが、残念ながら武装修道士は対外的に低姿勢になれない。


 そこの部分はどうしようもなかった。


「いえ、武装修道会の方も謝罪されるのだなと」


「……聞かなかったことにしよう」


 俺の示すことができる最大の謝意だ。オーナーの指摘は悲しいほど的を得ている。


 武装修道会は失敗しない。失敗を失敗として扱いづらい組織なのだ。


「雇用の継続についてはわたくしも異存ありません」


 終わりか。と帰る意思を固めた俺にオーナーはただ、と続ける。


「当店としても従業員が襲われて、はいそうですかで済ませるわけにはまいりません」


「当然だな」


 今回襲われたのは最上位の娼婦だという損失は計り知れないのだろう。金銭的補償は要求されるだろうとは思っていた。


「今後、従業員を安心してお預けできるのか。わたくしは心配しております」


「まず第一に、今回の賊は殺し尽くした。一人も残っていない。これは指揮官だった私の責任のもとに断言しよう」


 殉教部隊に手抜かりはない。砂漠の放浪者が水を求めるように彼らは殺戮を渇望している。


「もちろんだが、他の不穏分子についても順次処理する。その間、謝罪としてそちらの娘たちは全ての補給部隊に同乗できるように取り計らおう」


 さらに求めるなら金銭も支払うと付け加えた。持てる手札を全て開示した俺は、ヴェールの奥に隠されたオーナーの顔を見つめる。


 そちらの番だ、と。


「……お見せしたいことがあります。一緒に来ていただけますか?」


 果たしてオーナーの返答は予想していなかったものだった。

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