傾城傾国

 模擬戦に使った鎧を脱いでいた俺は肩の痛みに顔をしかめた。


 結局、あの後三度も戦った。どれも俺が勝ったが苦戦を強いられた。おかげさまで体中が痛い。 


 すぐにでも治したいところだが、訓練では痛みに慣れるため余程の重傷を除いて祈祷での治療が禁止されている。


 全く正しい限りである。実戦で悠長に治療できない場面もある。傷が痛くて戦えないのでは困るのだ。


 それはいい。武装修道会に優しさなど求める方が狂っている。


「聞いたよ。部下をボコボコにしたんだって?」


 何でこいつがいるんだよ。指揮官用の更衣室の椅子に腰掛けてこちらを眺めているスタフティに冷たい視線をくれてやった。


「何の用だ?」


「質問に質問で返すのは……ってはいはいわかった」


 そんなに睨まないでくれと肩をすくめるスタフティ。こちとら仕事帰りである。無駄話がしたいなら自分の部下にすれば良い。


「はい、まずこれ」


 スタフティがどこからともなく取り出した紙を手渡してくる。


 受け取って一瞥する。描かれていたのは帝国の紋章である黒い太陽が白く縁取りされた黒い楯。


 黒い太陽の刻まれた楯は武装修道会の精鋭部隊の紋章として有名だが、黒い盾のエンブレムは見たことがない。


「今日の会議で正式に最高司令部直属の部隊になった。おめでとう」


「……ああ」


 そんな話もあったか。紋章を刻むために装備を一度技術部に提出しなければならない。


 加工にかかる日数の計算を始めた俺を見ながらスタフティは話し続ける。


「それから次の任務が決まった」


 即座に意識を切り替えスタフティの目に視線を合わせる。


「ピュロスだ。場所はわかるね?」


「ああ」


 かつてアスラ王国の首都だった都市だ。今は帝国の総督によって統治されている。


 前回の任務でもレジスタンスと戦ったがまだ終わらないのか。

 

 まあいい。攻め落としたこともある馴染み深い土地だ。場所も勿論把握している。


「最近ピュロスで帝国の若い兵士を狙った事件が頻繁に起きているんだ」


 兵士に対する襲撃か。ピュロス攻略戦は地獄だった。投石機と魔導師による徹底的な攻撃で街は廃墟同然になり、市街地は歩兵によって力ずくで掃討され血の海になった。


 住民が帝国軍に反感を持つのは当然と言えば当然だ。


「状況は理解したが殉教部隊が出るほどか?」


 衛兵なり軍の憲兵なりもろもろ支配地の安定のための部隊は数多くいる。


 そもそも帝国軍は嫌われているもの。西部以外の管区でこの手の事件は残念ながらよくあることなのだ。わざわざ精鋭を出すほどの事件でもあるまい。


「これが現場近くで見つかった」


 スタフティが懐から短剣を取り出して手渡してきた。受け取って光の魔導具にかざしてみる。


森林銀ミスリルか」


 ドワーフはほとんどの鉱物のスペシャリストだ。しかし例外もある。ミスリルはエルフに属するものだ。


 エルフの武器について解説するならその制度についても説かなければなるまい。精霊魔法に精通しているエルフは単体での戦闘能力で他の種族を圧倒する。一人一人がそれなりの戦力なのだ


 加えて、彼らは森林銀以外の金属を好まない。そのため各地に点在しているエルフの集落に兵士として武装した兵士は存在しないのだ。


 狩装束で自衛できるのだ。だが何事にも例外はある。金属を好まないエルフたちの中で珍しい金属加工に優れたエルフを集め、森林銀によって兵士を武装させられる強大な国も存在する。


 その代表格が聖樹評議国だ。


「エルフの、それも正規兵が帝国領内で蔓延っていると?」


「最高司令部はそう考えている」


 なるほど。それならばユルゲン閣下がエルフについて尋ねてきたことも頷ける。


 ミスリルに身を包んだエルフの正規兵は帝国の精鋭にとっても脅威だ。


「我々の仕事か。いいだろう。準備が整い次第出発する。現地での支援は?」


「州都に駐在している異端審問官が詳しい情報の提供と活動の支援を確約している」


「了解した。遅くとも明明後日には出発する」


 着替え終わった俺はそれだけ言って話を切り上げようとする。背を向けてドアノブに手をかけた俺にスタフティが待ったをかけた。


「なんだ?」


「もう一つだけ。修道会財務本部のさる方から命令というか依頼があるんだ」


 スタフティの口調に嫌なものを感じた俺はわずかに眉をひそめる。

 財務本部といえば武装修道会の保有する奴隷の運用や予算の分配を担当する一大部門だ。その高官から依頼?


「聞こう」


「賊に囚われていた女性たち、覚えているよね?君が解放した人たちだ」


「ああ」


 底にある意志を気取られないように返事を短くとどめた。全くもって忌々しい。治ったはずの肩の傷が痛むようだった。


「彼女たちの中にその方が用立てた娼婦がいたんだ。彼女に謝罪と再発の防止を誓ってほしいんだ」


 理解できない話ではなかった。男社会である軍組織に公娼は付き物だ。


 いささか『さる方』の仕事とは思えないが公娼を前線に送ることは納得できる。


 地位を考えれば謝罪と再発防止を誓うとは大袈裟すぎる気もするが。


 なんにせよ、


「直接言えばばいいだろうが」


「それがその娼婦も怒って顔を見せないんだと」


「はあ?」


 意味がわからない。個人的な案件を最高司令部直属の部隊の長にねじ込める地位があるなら、一介の娼婦の反駁などいくらでも手は打てるはずだ。


「彼女だけでいいんだ。他は別の者が担当する。助けた人間が行けば無下にされないはずだ」


 だからなんだと言いたい。命令ならば従う。だが高官1人のわがままのために働く気にはさらさらならなかった。


「知らん」


 外に出ようする俺を素早く前に出たスタフティが邪魔する。


「ファール、それは怠慢じゃないか?」


 強引に出ようとしていた俺の動きが止まる。忌々しいことに俺の相手に慣れているスタフティはどう言えばいいのかわかっていた。


「考えてもみてくれ。財務本部の協力を得やすくなるんだ。利益は計り知れないだろ?」


「殉教部隊は最高司令部付きだ。補給ではすでに優遇されている」


 ニヤリとスタフティがチャシャ猫のように笑う。


「補給だけじゃない。予算にも関われる立場の人だ」


 心がぐらついたのを感じる。隊が新設された際に立てた予算計画で諦めた案件を思い出した。


 しかし、


「即座執行もできる。追加補正予算だ。大好きな言葉だろ?」


「……どこに行けばいい?」


 スタフティが邪悪な笑みをさらに深めた。手のひらで転がされた屈辱感を強引に飲み下す。


「最高級の店だ。『月の天使』だよ」


「部下に伝達をして、日報を書き終えてからだ」


「どうぞご自由に」


 最後の抵抗として言ってみればスタフティはなんでもないと肩をすくめる。


 舌打ちを抑えながら俺は予定を考え始めた。

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