随宜所説
殉教部隊の庁舎。隠された場所の地下にある訓練場で正式な武装に身を包んだ兵士たちが熱気の中で模造剣を振るっていた。
最小単位である5人1組の小隊を相手に隊長である俺が戦っている。
模擬戦とはいえ威力を抑えた祈祷の使用まで許可されている、限りなく実戦に近い形での戦闘だった。
前衛の3人がVを逆にしたような陣形で距離を詰めてきた。
動きは素早く互いの距離も理想的だ。包囲しようとするその陣形には油断がない。精鋭と呼ばれるだけはある。
俺は表情を動かさずに左後ろに引いた。
3人が均等な動きで向きを変えようとするがそれを許すほど間抜けではない。
バランスを保つ絶妙な動きで、わずかに姿勢を見出した左側の兵士に模造剣を叩きつける。
「ギュンター死亡!」
審判役のログンが鋭い叫び声を上げ、死亡判定を受けたギュンターが悔しそうな表情のまま訓練場の端まで下がった。
刹那の間に意識をギュンターに割いた中央の兵士に切り掛かる。上段から右の打ち下ろしを受けた兵士が手首から伝わる衝撃に頬を引き攣らせた。
「罪科を種に燃える炎よ
後衛が放った祈祷を法力を纏わせた左手の剣で切り払う。
空中で崩壊した火球から放たれた熱を頬に感じる。等級の低い祈祷しか許可されていないが術者が優秀であれば威力も上がる。
通常であれば皮膚が焼け爛れるような熱だがフォールは太陽神の神官だ。大抵の炎は効かない。
中央の兵士を右の兵士の方に蹴り飛ばす。
ボーリングのピンのように体勢を崩した二人を後衛との間に挟み、寸刻の猶予を得る。
瞬く間に前衛二人の首に剣を突きつけ死亡判定を取った俺は再度放たれた魔法を吹き飛ばし、勢いのまま後衛に食らいついた。
「はぁぁ!」
後衛の兵士が剣撃を繰り出す。後衛とはいえ殉教部隊の兵士。近接戦闘にも熟達している。
振り下ろされた剣は速度も威力も申し分ない。ただこれで俺を仕留めるのは不可能だ。右手の剣で攻撃を受け流し、もう一人の剣にぶつけて絡めとる。
兵士たちが思わず息を飲んだ音を聞きながら俺は二人まとめて切り払った。
「ボック、フックス死亡!隊長殿の勝利とする」
死亡判定を受けた兵士たちががくりと肩を落とし、俺は荒くなっていた息を整えた。
息が整おうとも俺を支配する苛立ちは消えるどころか強くなった。
「ギュンター」
「はっ」
「視野が狭すぎる。目の前の敵に執着しすぎだ」
「申し訳ありません!」
直立不動の姿勢で整列した兵士たちの前を俺はゆっくりと往復する。
こんなこと別にしたくもないが剣を振るっていなければ、戦いの術を訓練していなければフォールの激情は抑えきれなかった。
弱い。それも心が弱い。この言葉は命を弱さを許さないを地で行くフォールにとって耐え難い否定だった。
「バルヘット、お前は小隊長として正しい判断を下すことを求められている」
「はい」
正しい判断。口にしていて吐き気がしそうな言葉だ。
「あのまま祈祷の撃ち合いに持ち込めば数的に不利な私は陣形を組んだ貴様らと斬り合うしかなかった。勝利は貴様らに傾いたはずだ」
「はっ」
「思考を止めるな。考え続けろ」
一番思考を停止させている人間がよく言う。二人の思考の混入は進行し、すでに切り離せない領域まで混ざっていた。
脳みその中にスプーンを突っ込んで遠慮なしにかき混ぜられているようだった。
感じるのはフォールの強さ。剣を振る強さではなく、スタフティの言っていた強さだ。狂気を感じる盲目的な忠誠。抗えない力だ。
俺はすでに自分の名前すら思い出せない。
「ボック、フックス。前衛が倒された時お前たちは後衛として攻撃を続けたが実戦ならどうした?」
アイコンタクトを交わしてから、代表してフックスが答えた。
「前衛が食い破られた時点でどちらかが素早く前衛に変わるべきでした」
「不正解だ」
えっとフックスが目を見開いて間抜けな声を上げる。自分の教えられたことを完璧に再現したのだろう。悪い考えではないが最適解ではない。
「撤退しろ。前衛3人があれだけ早く処理されたんだ。お前たち2人では敵わない」
「し、しかし逃走は——」
逃走は死刑。単純明快な図式だ。大戦の最中で何人の敗北主義者が吊るされたことか。
「逃走と撤退は違う。逃走は自らの保身のために義務を放棄することだが撤退は軍全体のために戦力の無駄遣いを避けることだ」
戦列を保ち合理的な判断により撤退した兵士を処刑するほど帝国は堕ちてない。
極めてプラグマティックな哲学を擁する帝国において合理性の説得力は健在だ。
「『より多くの敵を殺せ』ですか?」
「その通り。だが正確に意図を汲み取れ。重要なのはお前が40人殺すか45人殺すかと言う話でなく、武装修道会全体が100万人殺すか200万人殺すかだ」
「肝に銘じます」
頭を下げて小隊ごとの訓練に戻ったバルヘットたちを確認してから。一度残った兵士たちを見渡す。
殉教部隊は祈祷術と近接戦闘に優れた神聖騎兵15個小隊と、斥候3個小隊の計90名で構成されている。
この内斥候3個小隊はキリスに任せて独自で訓練を行なっているので、この場にいるのは15個小隊75名と俺1人。
バルヘットで俺と模擬戦をした小隊は9個目であり、半分と少しと戦った計算になる。
次はどの小隊と戦ってみようかと探していると、むっつりと訓練している兵士たちの間を見回っていたガラムがこちらに歩いてくるのが見えた。
獲物を見つけた獣のように目を爛々と輝かせながら、棍棒を握る手に力を込めていた。
「何のようだ」
「いやね、隊長。あんたの噂の実力を確かめてみようと思いましてね」
わざとらしく値踏みするような視線を寄越すガラムに、ささくれ立っていた俺の神経が逆撫でされる。
「部下を連れてきた方がいいぞ。お前1人だと3秒もたない」
ビキリ、とガラムのこめかみが歪むのが見えた。ガラムとて階級のある武装修道士。その上あの見た目であれば挑発されることに慣れていないのだろう。
「……あんた。マジで死にてえんだな」
俺だって虎の尾を踏むほど馬鹿じゃない。ただ俺には目の前の大男が虎には見えなかった。
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