知己朋友②

 帝都守護隊の衛兵を何とか説得して帰らせることに成功した俺は深いため息をついた。


 部屋に入った俺に背を見せたままスタフティが声をかけてきた。


「お帰り。どうだった?」


「なんとか納得させた」


 疑い深い帝都守護の人間たちに納得して貰うのは骨だった。


 古い戦友がサプライズで来ただけだと言ったら念のため合わせろと言われ、断れば会わせられない相手なのかと疑われる。


 相手は情報部の人間だからと言わなければ面倒な問答を続けることになっただろう。最終的に彼らが後日情報部に問い合わせることで納得した。


 スタフティは返事もせずに先ほどと同じ壁の飾り、俺が数年前まで使っていた兜を眺めている。


 ぬるくなったお茶に口をつけるとスタフティが唐突に話し出した。


「情勢は君が思っているより悪い」


 振り向かずに話し出した。サシャの存在を知っていて気にせず話すのは厨房にいると知っているからか。


「軍事力の強化を続ける帝国に対抗して各国は同盟路線に走ってる」


「中心は聖樹評議国か?」


「おそらく。彼らはほとんど臨戦態勢だ。遠征軍はいくつかの同盟国に派遣済みとの情報もある」


 こんな時期から戦争の準備が始まっていたのか。ゲーム開始、つまり帝国の侵攻まで後一年と少しの時間がある。


 ……待てよ。


「臨戦態勢?奴ら戦争を始める気なのか?」


「これもおそらくとしか言えないけどそうだ。敵のスリーパーが次々と起こされてる。異端審問官は準戦時体制で狩りに奔走してるよ」


 スリーパー。潜伏している諜報員の隠語だ。彼らは指令が来るまで一般人として生活し、紛れ込んでいる。


 彼らが一斉に起き出したということは少なくとも大規模な作戦行動の前触れだろう。


 どうしてこの世界の国家はどいつもこいつも戦争がしたがるのか。

 知らず知らずのうちに俺の手が襟章を仕切りにいじっていた。


「嬉しそうだね」


「そう見えたか?」


「もちろん」


 俺の顔を覗き込んだスタフティは仄暗い笑みを浮かべた。わずかな嫌悪と仲間意識とでも呼ぶべき共感。


「君は怪物だ。戦場にしか居場所はないし、君も戦場以外にはいたくない」


 教会で説教をする神父のように確信に満ち溢れた態度でそう言った。光の魔導具によって照らし出された輪郭が影をなくし、一層はっきりと顔を写し出す。


 背筋に冷たいものを感じながらも俺はスタフティの言葉を否定できなかった。


「帝国側の準備は?」


 俺が強引に話題を転換するとスタフティはゆっくりと深く座り直す。


「まだまだ。最低でも後2年は欲しい。大戦の損害埋めてしまいたいし、国境がある東部が安定しなければ補給がままならない」


 さらりと帝国が開戦することを前提に話しているが、帝国とはそういう国家なのだ。


 神に選ばれた我々ヒュームのためにで全ての戦争も犠牲も許容される。


 とはいえそれに抗う国家もとても清廉潔白とは言い難いだろうが。


 醜い獣同士が喰らい合う。これも戦争の本質と言えるだろうか。


「なるほど。情勢に対する見方が甘かったことは理解した。だがそれならわざわざ言いにくる必要はなかったんじゃないか?」


 メモで済ませるほどの話題じゃないだろうがどうせ明日も登城するんだ。軽視するつもりはないがその時に言えばいいだけの話しだ。


「ここまではまだ本題じゃないよこれからだ」


 椅子に座ったスタフティは再び前のめりになって指を組んだ。


「君の仕事の重要性を理解して欲しいんだ」


「理解しているつもりだ」


「足りないよ」


 俺の抗弁をにべもなく否定したスタフティがさらに顔を近づけてくる。


「帝国は拡大した。そしてさらに拡大しようとしている」


 その通りだ。ソティラス帝国は大陸西方最大の国家であり、未だ領土的野心を隠していない。


「子供の成長には傷は付き物だ。しかし、体がそれを癒す。君は帝国にとって重要な治癒能力なんだよ」


「それも知っている」


 パルチザンやレジスタンスと呼ばれる勢力がどれほど厄介なのか俺も十分に理解しているつもりだ。当然その鎮圧を命じられるフォールの重要性も理解している。


「率直に言おう。殉教部隊が今回の作戦で試運転を済ませたら特別司令部を廃止して最高司令部付きの特殊部隊にする案がある」


「ユルゲン閣下は何も言っていなかった」


 武装修道会最高司令部。文字通り武装修道会20万人を統括する、部門だが直接命令を出すことは稀だ。


 通常、武装修道会の部隊はそれぞれの本部、異端審問官なら国家保安本部、普通の武装修道士なら作戦指導本部というふうに組織されている。


 最高司令部直属の部隊は今のところ帝都守護隊だけだ。そこに殉教部隊が加わるとなれば異常事態である。


 作戦指導本部の長官が知らないはずがない。


「それはまだとある方の腹案でしかないからさ」


「とある方」


 俺がオウム返しに言った。


校長ヘッドマスターだ」


 俺は意志の力を駆使して顔をしかめないように気をつけた。


 ヘッドマスター。かつてスタフティのフォールが所属していた少年聖隷隊の指導者のことを指す。


 少年聖隷隊は武装修道会の下部組織でエリート修道士を育成すべく開設された教育機関だ。


 当然、校長もただ者ではない。スタフティとフォールが所属していた当時の校長は武装修道会の重鎮、今の国家保安本部の長官である。


 彼にはフォールも俺も決して会いたくなかった。


「あの方の案ならばすんなり通ると思うが」


 彼の提案ならば武装修道会の最高指揮官たる総主教とて文句を言えないだろう。それくらいの実力者なのだ。


「問題はあの方の影響力ではなく君たちに、正確に言えば君にある」


 何を悟られたのだ。心臓が嫌な鼓動を立てた俺は咄嗟に襟章に手を伸ばした。心当たりがありすぎてわからない。


「君は人質に屈したらしいね」


 そういえばと俺は思い出した。俺が遅れを取ったのは人質がいて思うように動けなかったからだった。


 ……耳が早いな。


 ほんの数日前の出来事だ。しかも知っているのは殉教部隊の兵士だけ。


 おそらく元異端審問官の兵士が昔の上司や同僚に情報を流しているんだろう。


「躊躇う兵士は死んだ方が役に立つ」


 聖隷隊で盛んに叫ばれた標語をスタフティは薄い笑いを浮かべたまま暗唱した。


 まずい。この表情を浮かべて襲いかかってきた殺し屋の顔がフラッシュバックした俺はわずかに座り直して剣を抜く態勢を取る。


 脳内で警報が鳴り響きこいつは危険だとわかりきったことを叫んだ。


「身構えなくていい。さっきも言ったけど君を殺しに来たわけじゃない。ただ君の強さに疑問が生じたと教えに来ただけだ」


 張り詰めた空気の中互いに視線がぶつかり合う。灰色の瞳は深い水底のように透明でありながら見通すことができない。


 どちらもゴロツキのような素人ではない。口調も静かで表情に怒りも憎しみもないが、確かに殺気が漏れていた。


「フォール•グレイムバウワー。君の強さの本質は剣を振り回すことでも奇跡を発現させることでもない。その心だ。どんな命令にも従い、躊躇することはない」


 言われるまでもない。あらゆる命令に従ってきた。どれほど残酷な命令でも全てを捨てて従ってきた。


 フォール•グレイムバウワーは、俺は望まれるように殺人兵器として生きてきた。


「もう一度、自分について考えて直してみることだ。後悔しないようにね」


 それだけ言い捨てるとスタフティは立ち上がった。

 

 影のように素早く、スタフティが静かに去った。

 声をかける間もなく部屋から出た彼を俺は座ったまま見送った。


 玄関が開閉する音を聞いた俺はゆっくりと息を吐く。


 彼が仕切りに見ていた壁の飾りは俺の古い兜。悪魔のようにツノの装飾が施されているのは相対した者に恐怖を与え、装備者の弱さを誤魔化すためだそうだ。

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