その者恐れを捨て

遷客騒人

「それで?」


「は?」


「続きはあるのかと聞いている」


 武装修道会作戦指導本部長官ユルゲン、つまり俺の上司は骨を取り上げられたブルドックのように危険な角度で皺を作っていた。


 防諜のため窓もないステキな部屋の中で俺はできる限り淡々とことのあらましを報告していた。


「以上です」


 すうぅとユルゲンが息を吸う音を聞いた俺は咄嗟に後ろに下がって少しでも被害を減らそうと試みる。


「貴様ァァァァ!重要な捕虜を殺した挙句、黒幕につながりそうな敵に自殺されただと!」


 骨を取られたブルドックのような咆哮とともに叩きつけられる叱責。控えていた書記官がびくりと体を震わせていた。


 横目で見てみれば繊細そうな書記官の顔には隈がくっきりと現れていた。新任の書記官が来たと聞いたが長官は一切手加減しなかったようだ。


 可哀想に、極めて優秀だろう書記官が仕事を辞めないことを祈ろう。


 書記官君、ユルゲン長官の咆哮はもはや作戦指導本部の名物だ。慣れるしかないのだよ。


 あと、いくらブルドックに似ているからと骨を渡すのはやめたまえ。君が骨になるだろうから。


「聞いているのか⁈」


 いえ、全くなどと答えるわけにもいかない俺は勿論と頷く。


「はい閣下。その件については大変申し訳なく思っています」


 こういう時にはフォールの全く動かない表情が役に立つ。完全に聞いていなくても真面目に聞いているように見えるのだ。


 フシュー、フシューと風船から空気を抜くような呼吸をしてからユルゲンはゆっくりと席に座った。


「そのフードの奴らについて何かわかったか?」


「死体を調べましたがあらゆる所から来ているとしか。彼らが残した物もほとんどが焼けていました」


 フン、とパイプに手を伸ばしたユルゲンが鼻を鳴らした。タバコの葉をつめ口の中で詠唱する。


 放たれた神秘の炎がパイプの中の葉を燃やした。


 その光景を見ながら俺は内心舌を巻いていた。奇跡の制御能力が高い。パイプの草だけを的確に選んで燃やす能力は特筆すべきものだ。


 パイプをふかす時間をたっぷりと思考に回してからユルゲンは口を開いた。


「エルフもいたそうだな」


「はい、エルフの弓兵の存在も確認しています」


「それも殺したか?」


「はい」


 くそったれの保安屋どもめとユルゲンは悪態を吐いた。俺が捕虜を取らずに皆殺しにしたのは国家保安本部からの命令を受けていたからだ。


 殉教部隊は国家保安本部と作戦指導本部の両方から命令を受ける。矛盾のない限りはどちらの命令にも従う必要があるのだ。


「死体は?」


「記録を済ませた後は現地の総督府に引き渡しました。州都ピュロスの城門に腐り落ちるまで吊るされる予定です」


 その言葉を聞いたユルゲンはわずかに顔をしかめる。


 かつてアスラ王国の首都だったピュロスは今は帝国の行政機関が置かれている。未だにレジスタンスによる抵抗が激しく治安は不安定だ。

 どこまでも続く死体の道は抵抗者たちに対する強烈なメッセージとなるだろう。


「ならば、我々が議論すべきは奴らがどこから来たかだな」


 そう言ってユルゲンは壁に貼られた地図に視線を向ける。


 大陸西方一帯を支配し、西端となった帝国にとって国境線は二つ。北方のラルハディア王国と接する厳雪山脈と東方のベサーレ王国との間にあるトラス川。


 あとは……南方大陸から島国を経由して海路できた可能性もあるか。


「活動範囲から考えるとトラス川を渡った可能性が最も高いのではないでしょうか」

 

 地図を眺めているユルゲンがふむ、と息を吐いた。


「東部国境線では両軍が厳重な監視体制を敷いている。それは考えづらいだろう」


「ベサーレ王国が派遣したのでは?」


 ならばその監視体制の裏を良く知る勢力に送られたのでは。そう考えた俺の言葉をユルゲンは鼻で笑う。


「ベサーレの奴らとて今すぐ戦争をしたいわけではあるまい」


「そうでしょうか?」


「ああ、我々と戦争をしたくてたまらないのはもっと東の奴らだ」


 立ち上がり、地図の側まで歩み寄ったユルゲンが描かれた大きな森にパイプを押し付ける。


 歯を見せて笑いながらユルゲンは続ける。


「聖樹評議国。草食いエルフどもだよ」


 東方の大森林にあるエルフの宗主国、聖樹評議国。東方最大の国家であり帝国と正面から対立している国家でもある。


 エルフを優遇する国としてヒューム以外を認めない帝国と相容れないこの国は前回の大戦時にも盛大に手を出していた。


 物資援助に始まり義勇兵派遣、大戦末期は正規軍の存在も確認できた。彼らが最も恐れているのは緩衝国がなくなり帝国と国境を接することだ。


 森に住む彼らと太陽神を信奉する帝国。相対すれば帝国が彼らの住処でキャンプファイヤーを楽しむのは火を見るより明らか。


 実際、ゲームでも反帝国勢力の中で主導的な位置にいた。


「ではラルハディア王国から来たと?」


「そちらの方が可能性は高いな」


「しかし、あの国は同盟国では?」


 同じくゲーム内でのことだが、彼の国は王が代わるまで筋金入りの親帝国派だった。


 椅子に戻りどっかと座り込んだユルゲンが顔をしかめた。


「だから厄介なんだ。下手に国境に兵を置くことができない」


 レジスタンスはそこを狙ったというわけか。外交的な問題からどうしても北部の警戒は薄くなる。


 面倒なことだとフォールの感性が呟いていた。ラルハディア王国の友好的な姿勢の根本には恐怖がある。帝国への拭いきれない恐怖が。


 国境線に兵士を送ったらどんな反応が返ってくるか。考えていて楽しいことではない。


「外交部門と協議しながら対策を進めるしかないな」


 重いため息を吐いたユルゲンはそれよりもと俺に視線を戻す。下から上へ視線を動かし俺の体を調べているようだった。


「ともかく、貴様らは別命あるまで待機だ」


 下がれ、と手を振ったユルゲンに一礼して部屋を辞す。


 頭に浮かぶ未来の想定を噛み砕きながら俺は刻々と近づいてくる崩壊の音を聞いた気がした。





—————



 外に出た俺は春先のまだまだ冷たい風を浴びてわずかに安堵のため息をついた。


 ハイゼルから聞き出したことにしている名簿の詳細を詰められればたちまち面倒なことになっただろう。


 両側から敬礼を送る本部付きの衛兵に答礼し、歩き出した。


 繰り返しになるが、帝都は大陸西部最大の都市だ。流通の中心であるこの都市は人口100万を超え都市一個で下手な小国に勝る力を持っている。


 世界の半分の商品が集まるこの場所は巨大な経済圏を抱えていた。


 貴族街から外側に出てみれば広がっているのは商業街である。


 いつか観光に勤しんでみたいと思うが今日は無理だ。帰還したその足で報告に行った俺にもう動く気力はなかった。


 殉教部隊の兵士たちも既に家路についている。


 帝国式の開放的な邸宅が並ぶ貴族街は清潔で中世ヨーロッパと聞いて想像するような薄汚い光景はひとつもなかった。


 道行く馬車を呼び止めて家の場所を教えると客席に乗り込んだ。


 普段は歩いて帰っているが今日は少しでも早く寝てしまいたかった。


 おもむろに走り出した馬車に揺られながら俺は背中の傷を撫でる。治癒を受けたおかげで痛みはないが痕は残るそうだ。


 背中の傷は、などと言うつもりはない。重要なのは動きを妨げるか妨げないかだ。


 薄く目を閉じて意識を鈍化させる。優れた兵士は寝付きがいい。これは数少ない平和的なフォールの長所でもあった。


 もっとも寝なければ死ぬ環境に放り込まれて身につけた特技だ。習得過程は平和とはほど遠いが。


 馬車が停まったことを感じた俺は意識を沼から引っ張り出した。


 御者席と客席の間にある窓を開いて、御者が顔を出していた。


「着きましたよ。司祭さん」


 この辺りで商売をしている御者は武装修道士を見ることも多いのか、俺の肩をチラリと見て言った。


 残念だが俺は上級司祭だよ、と心の中で呟きながら席を立つ。


「ありがとう。勘定は?」


「銅貨7枚です」


 懐から銀貨を取り出して御者に渡す。帝国銀貨は帝国銅貨10枚と同価値だ。釣りを用意しようとする御者に手を振って断り、扉を開けて外に出た。


 外の空気を吸い込んで、馬車から頭を下げている御者に軽く手を上げた。


 他の家々と比べると少しこじんまりしている煉瓦の建物。庭も手入れされているところからすると、サシャはきちんと業者を呼んでくれていたようだ。


 半月ぶりの我が家である。


 戸を開け、中を見渡す。よく言えば無駄な物がない。悪く言えば殺風景なこの家は家主の性格を正確に反映している。


「おかえりなさいませ」


 玄関まで出てきたサシャが頭を下げて出迎えてくれた。


 帝都にいないは間たまに掃除に来てくれるように頼んでいた。今日は司令部から使いを送って来てもらったのだ。


「わざわざ呼び立てて申し訳ない」


「いえ、お疲れでしょうし構いませんよ」


 サシャに上着を渡して何気なく玄関を見渡した俺は他に見覚えのない男物のコートが掛かっているのに気づいた。


 この家で雇っているのはサシャ一人だ。


「あのコートは?」


「お客様のコートですよ」


 それがどうかしたのかと首を傾げるサシャ。


「来客は予定していないぞ」


「え?しかし、手紙では客が来るから応対してほしいと」


 招かれざる客がいる。それもわざわざ手紙に細工してまで来た客が。その時点で俺は胸の中の違和感を捨て、疑問を放棄した。


 違和感が消えれば出てくるのは警戒。思考を仕事モードに切り替える。


 一気に表情を固くした俺に何が起きているか悟ったサシャの表情に怯えが走る。


「念のため衛兵を呼んできてくれ」


「ご主人様は?」


 どうするのですか、と問いかけるサシャ。俺は双剣を引き抜いてから答えた。


「客というならば家主として会わないわけにはいかないからな」

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