追奔逐北
沈みゆく夕陽を浴びながら俺は黙って森の中で馬を進めていた。追跡に出していたキリスが敵の本拠地の所在を報告しに戻ってきてから三十分ほど。
迅速に移動する必要があった。内通者の目を気にしようにも80人ほどの部隊だ。隠密行動には向かない。内通者が俺たちの出撃に勘付く前に襲撃する。
決意を新たにしていた俺はログンからの微妙な目線を感じて唇を噛んだ。
ハイゼルを殺した件は拷問が行き過ぎたと強弁して納得させたが、ハイゼルが簡単に名前を吐いたことについては運が良かったで押し通すしかない。
おかげさまで俺はカルゾフに怯えられログンからは完全に危険人物として警戒されている。
構うものか。やけっぱちになっていた。目を閉じれば蘇るハイゼルの瞳。その前にレジスタンスのメンバーを殺してはいたが、人格を知った人間を殺すことはまた別の重みがあった。
俺は図らずも一線を越えていた。そう越えてしまったのだ。
報告書が国家保安本部に届き次第異端審問官による調査が開始されるだろう。俺は世界を変えてしまった。変えてしまったのだ。後戻りはできない。
「もう少しで着きます」
「わかった」
隣から囁くキリスのハスキーな声を発した。フォールの感覚をもってしても背後を取られたことにわずかに動揺しながら乱れた思考を取りやめ、頷いてみせる。
ゲームのテキストとして隠密能力の高さは把握していたが、実際に相対してみると想像以上に厄介だ。
次の行動を待ってこちらを見ているキリスを思い出し、手を上げて行軍を停止させる。
隠密行動は徹底的されていた。私語は厳重に禁止され、馬の口も塞いでいる。
魔法金属の鎧を着て音を出さない将校を除き、ガチャガチと騒がしい金属鎧は脱いで革鎧を身につけていた。
「手筈通り別れて襲撃する。第二中隊は右翼、第三中隊は左翼に回れ。第一中隊は正面だ。第四中隊は後背の警戒を」
殉教部隊の連中の顔を見渡した。揃いも揃って不気味なほど狂いのない瞳。統一され、訓練され、まさに首輪を外さんとしている猟犬だ。
ならば、それを率いる俺はどんな顔をしているだろうか。
「一気に頭を刈り取り、残りを叩く」
寡勢でもって150ほど、およそ2倍の賊を殲滅しようと言うのだ。正気の沙汰ではない。そう、正気の沙汰ではないのだ。
武装修道士の中で特に剣技と祈祷に秀でた選り抜きの精鋭。気負うこともなく平然としている彼らが正気のはずがない。
「諸君、我々は今にも振り下ろされんと構えられた拳である。我々は帝国を食い荒らし、皇帝陛下の御意志と使命を妨げる害獣どもを狩り殺さなければならない」
それが天命であると俺の口はかけらも信じていない信仰を告白していた。
やらねばならぬ。フォールから湧き出す意志だけが俺に行動を促していた。
両腰の剣を抜き放った。薄暗い逢魔刻の森の闇で俺の双剣が黄昏の光を不気味に反射する。
「皇帝陛下万歳、帝国に栄光あれ」
下馬した殉教部隊の兵士たちが持ち場へ向かって素早く動き出す。
俺自身も馬を引き、息を殺して歩き出した。
しばらく歩くと人の話し声が風に乗って届く。随分と騒がしい。
第一中隊の面々に屈むように合図を出しさらに距離を詰める。
見えた。開けた窪地の底。森の中にぽっかりと空いた様子は敵にとって逃げ場のない狩場だ。
最も張られている天幕の数と配置をみれば敵は敗北を想定していないようにみえるが。
本拠地が割れた時点でキリスたちが逃亡兵を片付けたらしく、賊は敵が迫っていることなど想定していない。
見たところ物資は潤沢なようだ。とはいえ、人材は足りていないように見える。
俺が見える範囲の賊はほとんどが素人。酒を飲んで騒いでいる様など帝国からの解放を謳うフリーダムファイターの様子とは思えない。
「あれはっ」
思わずと言った様子で声を漏らした兵士の視線の先を確認し、眉を顰めた。首輪をつけられた半裸の女たちが見えた。
おそらく帝国の女性兵士か輸送部隊に同行していた雑用係と言ったところか。
これで正義の味方とは笑わせてくれる。
俺の中にあった反帝国勢力への期待が段々と萎んでいくのを感じた。所詮、まともに訓練を受けていない民兵など獣と変わらない。
納得したことまではいいが何もしない訳にも行くまい。
「キリスに我々が突入した後に捕虜を救出するよう伝えろ」
「はっ」
隣の兵士に命じれば、兵士はテキパキと踵を返して静かに森の闇へと消えて行く。
第二、第三隊が配置についたことを知らせる伝令を受けた俺は詠唱を始めるように合図した。
目標は天幕、捕虜の周辺の天幕から先に片付ける。
「太陽よ」
その一言で空気が揺らいだような気がした。俺が祈る奇跡に神が注目しているような奇妙な感覚を覚える。
「風より無慈悲で、海より荒々しく大地のごとく盤石にして闇より恐ろしい光の権化よ、
信仰の体現者にして執行者たるフォール•グレイムバウワーの嘆願に答え、神はかくも明確な形でその威信を表した。
天から降り落ちる炎が地上の矮小な生命を打ち砕かんと迫る。夕闇を滅ぼす陽光が見ている者の瞳を焼く。自らに近づく焔に気付いた賊たちは信じられないとでも言うように呆然と空を見上げている。
人では抗えない焔が地面に降り落ち、その爆心地の近くにいた人間たちを即座に灰にする。焔は止まらない。衝撃を広げ周囲の人間と天幕を焼き払った。
人の焼ける臭いと遅れて聞こえてくる悲鳴。兵士たちの息を呑む声を聞きながら俺はうるさく鼓動を刻む心臓を諫めた。
強大な祈祷を行使した時特有の凄まじい虚脱感が身を包んでいた。
「し、信じられない」
朦朧とする頭にエンジンをかけていた俺の横で寝ぼけたことを口にする兵士を一瞥する。
余計な労力を振り分けたくなかった俺は最低限の言葉で命じた。
「撃て」
「は?はっ申し訳ありません」
無駄な謝罪を付け加えた兵士だったが彼とて武装修道会が誇る精鋭。命令の実行は迅速だった。
兵士の詠唱を耳で聞きながら俺は喉の力を振り絞った。
「先発隊詠唱開始!無事な天幕を燃やせ。敵が焼け出されたら突撃だ」
俺の言葉を合図に一斉に奇跡が飛んだ。炎の矢や神力の衝撃が太陽の退いた世界を照らす。左右両翼からも奇跡が放たれた様は神の世界が顕現したかのようだった。
俺の奉じる神は太陽と秩序、そして破壊の神である。もたらされた結果は慟哭。焼け出された賊が武器も放って天幕の外に転がった。
「言い忘れていたな」
兵士たちの目が乗馬した俺に集まっているのを感じる。その視線は恐怖か、尊敬か、それともその両方か。
知ったことではない。
「捕虜はいらない。皆殺しだ」
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