皮開肉綻

ダンジョンという言葉は現代日本人にとってなじみ深い言葉といっていい。この世界と酷似した『ガーディアンオブミッドガルド』シリーズにもダンジョンは多く存在した。


 精霊の武器が眠る迷宮や古代文明の都市。果ては呪われた古城まで多種多様なものがあった。


 俺が訪れているダンジョンはそれらとは少々異なる。本来の意味でのダンジョンに近い夢のない場所だ。

 

 そうここには夢も希望もない。地下への階段を守る兵士に先導されて階段から降りたときに最初に感じたのは濃厚な絶望の臭いだった。


 小さな通気口から吹いてくる風のうめき声にのって最悪の最期を迎えることが確定している囚人たちのすすり泣く声が聞こえてくる。


 地下空間で響く足音に身を起こす囚人たちの視線は、兵士に移り一瞬恐怖にこわばった後で、俺とログンとどうしてもと言い張って強引についてきたカルゾフは地下牢の奥へと進んだ。


 鉄格子の独房が並ぶ空寒い通路の最奥には重い鉄の扉がある。

 

 案内の兵士が大きな鍵で扉を開く。ハイゼルはすぐ近くの牢に入れられていた。


 無事な左手に付けられ鎖がチャラチャラという音を立て動く。俺とカルゾフを見つめる瞳には凶悪な憎悪が輝いていた。


 小さな覗き窓のついた分厚い扉に手をかけて兵士が解錠した。大袈裟な悲鳴を上げながら開く扉の奥でハイゼルが身を起こす。


「自分は扉の前でお待ちしております。


「ああ、ご苦労様」


 緊張した様子の兵士を軽く労いながら俺はハイゼルから視線を逸らさず中に入った。


 続いて二人が入ると兵士が扉を閉める。鍵はかけてはいない。自分は中で行われることに関与したくないという意思表示だろうか。


 ログンが机の上に金属の仕事道具を広がる音を聞きながら俺はゆっくりと椅子に座った。


 近くから見てみればハイゼルは左手だけでなく両足も鎖で縛られている。


 数秒の沈黙ののちに先に口を開いたのは俺だった。


「気分は?」


 憎しみの満ち満ちた視線で俺を睨むだけでハイゼルは一言も喋らない。予想の範疇だ。フレンドリーに答えられた方が不気味だろう。


「よし、今からする質問に答えてくれ。答えなくてもこいつが答えるように仕向ける。さっさと答えるのがお互いのためだ」


 これにも返答はない。またしても予想通り。俺が意志の力を振り絞って警告してはみたものの、ハイゼルの意志を変えるにはいたらなかった。


 そうだ。ハイゼルはこういう男だ。命惜しさに敵に従うことは決してない。強く頑固な男。


 人気の理由はそこにあったし俺もそこを好きになった。


「では第一の質問だ。お前たちはどこから来た?」


「……」


 予想通りハイゼルは何も言わない。予想通りではあるのだが。


 苦々しい思いでわずかに顔を歪めつつ、選手交代のために下がる。


 代わりに出てきたログンは手に小さなナイフを持っていた。


「これが何かわかるか?」


 数秒の沈黙が場を支配する。ハイゼルはもちろん他の二人もログンの問いに答えなかった。


「ナイフだ。ただの何の変哲もないナイフ」


 笑ってもいいぞとログンは初めてみる笑みを浮かべた。


 滅多に笑わない人間の微笑みという珍しい光景を見ながらも俺の心は全く温まらない。それどころか次に何をするのかが嫌な予感と共に察せられる。


「しかしこんな小さなナイフでも刃物を馬鹿にすることはできない」


 ゆっくりとナイフでハイゼルの頬を撫でる。そのまま滑らかに腕に添わせる。


 ナイフが指先に到達すると素早く翻して人差し指に突き刺した。


 ぐ、とわずかにハイゼルの喉奥から苦悶の声が漏れる。


 思わず俺も心中で仰反る。


「質問を始めようか」


 ログンの瞳に浮かんだ冷徹な表情に俺とカルゾフは息を呑んでいた。


 一応はログンの役目だった書記官役を務めながら俺はハイゼルの表情を見ていた。


 苦痛と抑えきれなくなっていく恐怖に晒されながらも未だ口を割らない男の表情を。


「君たちの規模は?」


「……ッ、何度聞いたところで俺が答えるはずもない」


 初めて口を開いたハイゼルの言葉は息も絶え絶えながらまだ正気が残っていた。ログンの手がひらめきハイゼルの腕の筋肉を抉り取る。飛び散る血と絶叫。


 何も聞き出せなさそうな状況でログンの表情にも焦りが出ていた。


「いい加減に答えろ。それだけでお前は楽になれる」


「……陛下のために……」


 反射のように飛んでいくナイフ。再び血が舞ったが今度は絶叫が聞こえなかった。


 がっくりとうなだれて何の反応も示さない。


 呼吸を確認したログンが安心したように口を開く。


「生きています。問題はありません」


 続けますかというログンの声に俺はしばし黙考した。


 このまま拷問を続けてもハイゼルが口を割るとは思えなかった。まったくの時間の無駄だ。


 帝都に送り本職の尋問官に対応させた方が効果的だろう。


「いや、いい。続きは——待て」


 帝都でと言い終えようとした俺の口をフォールが閉じさせる。共有されてくる思考に俺は目を見開いた。


 ダメだ。それはダメだ。


「部屋から出ろ。一対一で話がしたい」


 必死に干渉を試みるが体を動かすフォールの意志は固く俺の意志を跳ね除けていた。


「いえ、しかし……」


 ノロノロと言い訳を口にしようとしたカルゾフを今まで以上に冷たい瞳で見据える。


 わずかに支配権を得た左手腕を動かそうとする試みも右腕に抑え込まれて頓挫した。


「勘違いしないでいただきたい。あなたは私の厚意でここにいるのだ。退去を拒む権限はない」


 物騒な光がカルゾフの瞳に浮かんだ。その威圧はかつての武名に納得のいく凶悪なもの。


 だが、その程度でフォール•グレイムバウワーの意志を、狂信じみた忠誠を押しとどめることはできない。


 真正面から視線を受け見つめ返す。

 

 視線が交差した数秒の後に先に目を逸らしたのはカルゾフの方だった。


 開けようとした口を閉じ、無言で独房を出る。


「私もですか?」


「ああ」


 問いかけるようなログンの声に俺の喉は肯定の返事を出していた。カルゾフが抗えなかったように俺もフォールの意志に抗うことができない。


 忠誠、忠誠、忠誠。ゲームでフォールと会った時と変わらない狂信。殉教部隊を率いるにふさわしい盲目的な信仰は俺の善性などかき消してありあまる強さを持っていた。


 一礼して退出したログンが扉を閉めたのを確認してから不審げな様子でこちらをみるハイゼルに視線を移した。


「これでようやく二人だな」


 恐怖を押し殺して俺を睨みつけるハイゼルの姿は賞賛されるべき英雄のもの。


 勇気とは恐怖に抗うことだ。誰の言葉かも忘れた言葉が俺の脳裏をよぎる。


 思考を押し潰さんとするフォールの圧迫に耐えている俺の意識は自分の手が机の上のナイフを掴んだことを知覚する。


 軽く振って重さを確かめる。使いやすい重さだ。


「最後に言い残したいことは?」


 蜘蛛の巣の網目のような僅かな抜け穴から体の制御権を得た俺は咄嗟にそんなことを聞いていた。


「死ね、帝国の犬が!」


 力強い罵声を浴びながら俺は刺突を放つ。一流の兵士が拘束されている人間を攻撃するのだ。失敗する方がおかしい。


 死神の鎌のように無慈悲な一撃がハイゼルの胸を襲う。ボロ布のような服は主を守ることができずナイフに貫かれる。


 心臓の位置を見極めることにかけては一流なフォールが放った一撃は心臓を貫いていた。


「ガハッ」


 ハイゼルが苦しげな吐息とともに血を吐き出す。顔にかかった生温いものを感じながらフォールは冷たい瞳で憎しみの篭った視線を受け止める。


 途切れ途切れになる呼吸音を確認してからナイフをハイゼルの体から抜いた。


 糸の切れた人形のように倒れるハイゼルに一瞥くれてから、服にかかった血を拭いもせず記録用のノートに向かっていた。


 どのキャラクターを叛逆者リストに載せるか考えながら。

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