怨憎会苦

「門を開けろ」


 国境付近からほど近い武装修道会の砦に俺たちは撤収していた。


 ログンの声に従って開く門を眺めながら俺はゆっくりと肩の力を抜いていく。


 ある意味での初陣は成功裏に終わった。予想通り文句なしの肉体性能を発揮することもできた。


 人を殺してなんとも思わない。なんとも思えなかった。殺人機械と呼ばれた男と合わさった俺もどうやら精神の変容を免れていない。それだけが嫌な実感として舌の上に苦みを残していた。


 体が思った通りに動く全能感に酔いそうなって、少し疲労は感じている。さっさと部屋に入って指揮官用のベッドで休むとしよう。


 脳内でつけていた逃避の算段は門の奥で両腕を広げている男を見てぶち壊しになった。


「カルゾフ司祭か」


 守門、、読師、侍祭、助祭、司祭、上級司祭、司教、大司教、枢機卿と厳格な階級が定められた武装修道会。


 その中にあってカルゾフ司祭は司祭という地位以上の部隊を指揮していた。これには彼の微妙な地位が反映されている。彼は帝国人ではなく、旧アスラ王国の人間だ。


 厳格なアスラ王の統治に対する抵抗勢力を率いていた彼はアスラ王国の崩壊前夜、逃亡した王族を土産として帝国に降伏。その功績をもって武装修道会の中で地位を得た。


 司祭というのがまた絶妙であり高い地位と言えば高いが彼の指揮していた勢力からすれば物足りないのだ。彼の功績に対する貪欲さもそこから来る。


 ちなみにゲームでの彼は持ち前の野心を発揮した結果フォールより前に主人公に討たれている。


 ゲームでの彼の性格を知っている上に、自分より若いくせに上級司祭である俺を嫌うカルゾフのことを俺も得意ではない。


 視線が合ってしまった俺は逃げるわけにもいかず心の中で盛大にため息を吐きながら下馬した。


 側にいた従兵に馬を任せて一人カルゾフに歩み寄る。


「いやいや、寄り道はしてみるものですな」


 かつての一流の戦士だったとは思えないたるんだ腹を揺らしてカルゾフは持ち前のダミ声を発した。


 顔こそ笑みを作っているものの目は全く笑っていない。


 威圧か、遠回しな憎悪の意思表示だな。


「まさか近衛兵の残党の処刑に運良く立ち会えるとは」


「何か勘違いされているようですね」


 階級はカルゾフ司祭の方が下だが、俺は口調を崩さなかった。面倒な相手と厄介な争いを繰り広げたくない。


 捕食者のような殺意を乗せた瞳に帝国産の感情のない瞳で答える。


「捕虜にはまだ役割があります。すぐさま処刑するわけにはいきませんよ」


 下馬したログンが俺の斜め後ろに立ったのを横目で見ながら、動きの鈍い表情筋でなんとか笑みを作る。


 ゲーム時代のフォールと俺自身の記憶からわかってはいたが、俺は滅多に表情を動かさない。愛想笑いを浮かべるのも一苦労だ。


 もっとも兜越しの笑みでは笑ったことが伝わるか怪しいものだったが。


「それは異なことをおっしゃる。まだ奴らを殺さないのですか?」


「彼らは尋問した上で帝都に送ります。処分は帝都で決まるでしょう」


 帝国は国家の敵に対して一切の慈悲を持たない。どうせ大監獄タルタロスで一生幽閉されるか、帝都で処刑されるのだろう。


「そうですか……尋問は行わせていただいても?」


「……申し訳ありませんが、任務の遂行の都合上私の部隊が尋問した方が効率的ですので」


 カルゾフ率いるアスラ管区の部隊は、反亜人的な武装集団に過ぎない。練度も素人に毛が生えた程度。


 ボーイスカウトもどきの連中に仕事を任せられるはずがない。


「ふむ、それは残念だ……」


 蝿に逃げられた蛙のような顔でカルゾフが縄で縛られた捕虜たちに視線をやる。


 要件は終わったと判断した俺は側に控えていた兵士の方に向き直る。


 仕事を始めよう。嫌な仕事はさっさと終わられてしまうに限る。


「砦の守備隊長殿に尋問官がいるか聞いてきてくれ」


「はい」


 疲れを感じさせない声で即座に返答した兵士の背中が建物内に入っていくのを見送る。


 できれば呼びたくはなかった。帝国技術省が武装修道会の技術部と合同で自白剤の研究に取り組んでいる。とはいえ、自白剤というものはいかんせん高いし、副作用も大きい。


 一歩、拷問でできる肉体的な傷は大抵奇跡で治せる。精神的な傷はそもそも治す必要がないので検討対象外である。


 ともかく帝国は趣味と実益を兼ねたサディスト集団を飼っていた。


 進んで会いたい相手ではない。必要性という一点でフォールの理性は使うことを決定している。


 では、と言ってその場を辞そうとしたちょうどその時にカルゾフが口を開いた。


「せっかくです、私にも捕虜の顔を見せていただけませんか?」


 ……断る理由はないな。面倒くさいと心の片隅で思ったが、アスラ人のことはアスラ人に聞いた方がいい。


「わかりました。知った顔があればお教えください」


「もちろん!あなた方をお助けするのは我が名誉でありますから」


 随分と恩着せがましい言い回しだ。一刻でも早く話し終えたいとの欲求に従い、手足を縛られている捕虜たちへと近づく。


 うなだれていた捕虜の一人が足音に反応して僅かに顔を上げた。


「な、お前は!」


 カルゾフの顔を見て捕虜が大声を上げる。声に込められているのは驚愕。


 鎧の作りと肘から先がない右腕から判断すると、奴は俺が最初に馬から落とした騎兵だろう。


「ん?」


 誰かなと首を傾げるカルゾフに捕虜が怒声を上げた。


「貴様、陛下を裏切ったことに飽き足らず、まだ帝国に尻尾を振っていたのか!」


「ふむ、その声は無様に負けた副団長殿ではありませんか、いえ失礼。もと近衛兵団副団長ですな」


「なっ」


 慇懃無礼なカルゾフの言葉を聞いて、捕虜が一瞬言葉に詰まる。頭に血が上った顔が兜越しでも想像できた。


 そんなことより、だ。


「兜を外せ」


「はっ」


 殉教部隊の兵士たちが手際良く捕虜の兜を外した。あらわになったのは茶髪に黒目という典型的なアスラ王国の顔立ち。


「カルゾフ殿、彼が本当に元近衛兵団の副団長で間違いありませんか?」


「ええ、そうですとも」


 思考が僅かに停滞する。俺はその顔を知っていた。


 動揺はフォールの自制心をも突破して声を僅かに震わせる。


「ハイゼル名前はハイゼルで間違いないな」


 隻腕のハイゼル。住んでいる村を襲われた主人公を助ける最初の師匠枠。序盤のキャラクターと侮るなかれ。主人公を危機から救い、戦う意志を教える大切なキャラクターだ。


「隊長殿、よくご存知ですね。おっしゃる通り奴の名前はハイゼル。『暴風』のハイゼルです」


 わざとらしく感心した表情を見せるカルゾフを意識の外に締め出す。こんな奴に構っている暇はなかった。


 目線で人を殺せるなら砦中の人間を殺し尽くすだろうハイゼルの目を見ながら、俺はハイゼルについて思いを馳せていた。


 間違いなく好きなキャラクターだ。軽薄な雰囲気を漂わせながらも芯を持っている。燃える生家を見て呆然としている主人公を慰める場面で最初にあのゲームに引き込まれた。


 そういえば一度帝国に囚われたことがあったんだったか。


「隊長、どうかされましたか?」


「いや」


 近づいてくるログンを手で押しとどめ、俺は捕虜たちを牢へ連れて行くように合図した。


 終始俺を睨むハイゼルから視線を外し、砦の兵士の案内を受けてあてがわれた部屋に向かった。いや、向かおうとした。


「隊長、ご報告が……」


 声をかけてきたのは先ほど砦の守備隊長の元へと送った兵士だ。チラリと感情を押し殺した表情を見た俺は黙って部屋に行けと言いたくなってしまう。


 しかし、フォールは違ったようだ。報告があるなら聞かなければならない。正論だ。


「言ってくれ」


「その、指揮系統の都合上軍に籍を置いているものの尋問官は本来武装修道会所属でありまして、上級司令部の、国家保安本部の許可がなければ予定外の職務は与えられないと」


 兜で顔が見えないことに感謝しながら俺は思い切り顔を顰めた。フォールも笑みは浮かべられないが顰め面は良く使っていたらしく今度は遅滞なく表情を崩す。


 官僚主義と帝国の縦割り構造に災いあれ。黙っていたうっぷんを心中で遠慮なく吐き出してから思考を切り替える。


「異端審問官は基本的な拷も……尋問の訓練は受けていたな」


「はい、できないことはありませんが……」


 プロではないということだ。サディストとはいえ、評価項目に信仰が含まれていることを除けばストイックな実力主義である帝国で評価を受ける尋問官よりスキルは劣る。


 文句を言いに行ってやりたいところだが、守備隊長に文句を言ったところで何も変わらない。フォール•グレイムバウワーは唾と気力を浪費するような愚行には及ばないのだ。


「捕虜を牢に運べ。とりあえずやってみよう」

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