鎧袖一触②
俺に人は殺せるのか。先ほどからあたまのなかにあるのはその疑問だけだった。人を殺したことなどない。
フォールとしての記憶には飽きるほどあるものの、日本で一般的な大学生をしていた頃には経験しなかった。
いきなり戦場に投げ出されて何が出来るというのか。
岩の影に隠れ息を潜めて機を待ちながら余人に漏らせない——そもそも体の制御権がないわけだが——不安と格闘していた。
「我々はアスラ王国の守り手!王族の方が一人でも生きている限り我らは誇りを失わぬ!帝国の犬よ、望み通り我らが剣で死ぬが良い!」
その声で俺の体は動き出した。素早く馬に飛び乗り腰の両側から双剣を抜き放つ。陽光を浴びて光る鋼の輝きに目を奪われる時間もなく俺は馬の腹を蹴る。
戦いの中にある俺の体はもう一人の俺の意志で完璧に動いていた。体が思うままに動かせる。その全能感を俺は余すところなく体感していた。
俺を支えるのはフォールとしての経験と培われた優れた肉体。
無防備に背を見せている歩兵を蹴散らすことなど容易い。
しかし蹴散らせば殺す判断を下せば後戻りできなくなるのは必定。心が尻込みしていたが俺の抱いていた逡巡を無視して
「太陽神よ、其の怒りは唸り破壊し地を砕かん【
心の中で盛大に罵声を飛ばす。この呪文にどれほど苦しめられてきたか。フォールの魔法剣士にしては豊富な魔力と相まって対フォール戦において悪夢にも等しかった呪文は予想通りの効果を発揮する。
咄嗟に振り向いて盾を構えた賊が巨人に殴られたかのように盾ごと吹き飛んだ。
賊が着地する音に振り返った徒歩の賊を馬でを跳ね飛ばし、2本の
驚愕すべきは地獄のようなボス戦を想起させるフォール•グレイムバウワーの敏捷さと強靭さか。
豊富な攻撃パターンと敏捷な動きはボスのレベルに応じて設定されていた討伐適正レベルを簡単に覆す。
適正レベルでの討伐はまず不可能。最低でも10ほどレベルを上げねば勝利は困難と言われたフォールの真髄だ。
敵兵の攻撃が見える。剣筋が読める。
槍を巻き取るように弾き飛ばし回避の隙を与えずに首を切り飛ばす。
平然と人を殺していくフォールとどこかでそれを受け入れている自身に俺は恐怖していた。
歩兵たちを蹂躙し、残る騎兵に目を向ける。第二、第三中隊と交戦していた敵は後背をつかれ動揺している。
今が叩き時だ。俺の体は兵士としての勘に従い手綱を握り直す。
「亡き主のために!」
その声が俺の耳に飛び込んできたのは部下に陣形を組み直させようと振り向いた時だった。
咄嗟に反応して前を向き直った視界に写るのはかつて散々見てきたアスラ王国の紋章を刻んだ盾を持つ男。
近衛兵の鎧を身につけて吶喊してくる。速度からして中々腕の立つ方だろう。
両手に持ったキリジの柄頭を合わせる。
「
所持者によって唱えられたキーワードに反応し、双剣に組み込まれた魔術が発動する。
柄頭の蛇の飾りが命を吹き込まれたかのように動き出した。
与えられた神秘により体をお互いを絞め殺さんとするように絡み合い、牙を突き立てる。牙は鋼の鱗に沈むように噛み合った。
双頭剣となった得物を俺は軽く振う。
本来のボス戦なら第二形態から使い始める武器だが、俺にとっての初戦だ。大盤振る舞いさせていただこう。
「くたばれ、悪魔め!」
兜の奥で怒声を上げる姿はまともな感覚を持った人間に原始的な恐怖を抱かせる。
近衛兵の仇敵であるフォールを前に憤怒の権化となり突撃してくる男を見ながら俺はフォールの胸の内を代弁する。
「アスラ王国の近衛兵。達人と言われるお前たちを17人殺して気付いたのは——」
言い終える前に男が刺突を放った。素人なら間違いなく仕留め、精鋭たる殉教部隊の兵士たちでも防ぐことができるか危うい、一流の戦士の決死の攻撃。
それを一方の刃で受け流し、反対の刃で剣を持つ腕を斬り飛ばす。
呆然としている男に真実を告げる。
「お前たちは噂ほど強くない」
男を馬上から蹴り落とし、掃討戦に加わった。
動揺している賊の横腹に蛇行するように突撃を敢行し、双頭剣を振る。一振りごとに血飛沫が飛び、俺の体を紅く染めていく。
直率の第一中隊が俺がこじ開けた穴を広げ、賊の集団を前後に分ける大きな亀裂ができた。
そのまま進み、反転する。
「盾を構えろ!狼狽えるな!」
正気を保ってそう叫ぶ賊に狙いを定める。賊の中核は近衛兵だが末端は違う。特に遅れてきた歩兵の大半は食い詰めた農民だ。
訓練されていない人間というのはどうしても感情的なものだ。優勢な間は威勢良く攻めるが、一度動揺してしまえば崩れるまでさほど時間がかからない。
俺の仕事は崩壊を早めてやることだった。
統一された反転する部下たちはさすが精鋭と自負するだけのことはある。この分なら次からも大丈夫だろうなどと考える余裕すらあった。
「突撃」
短く平静な声で指示を出し、先頭に立って進む。元近衛兵が苦し紛れに出した槍を弾き、空いた腹を抉る。
及び腰になった歩兵を馬で蹴散らし、恐慌した弓兵の放った矢を空中で切り捨てる。
地面に突き刺さっていた槍を拾って投擲すると弓兵は腹を貫かれグロテスクな標本のように地面に縫い付けられた。
「に、逃げろ!」
そう叫んだ賊が言うが早いか手に持っていた粗末な槍を放り出して走り出す。
戦場の空気はもはや覆せないほど変わっていた。敗北の臭いを嗅ぎ取った一人が逃げ出せば堤が崩れたように濁流の如く逃げ出した。
「引くな!戦え!」
必死に立て直そうと面倒なことを叫んでいる元近衛兵のもとへ馬を進める。
祈祷を行使して黙らせても良かったが、威力の加減が難しいのでひとまず却下。
戦場にあって鋭敏になった俺の知覚能力が近衛兵の顔にわずかな緊張が走ったのを見逃さなかった。
暴れる凶暴な意志のままに道中の雑兵を切り捨て、近衛兵に肉薄する。
近衛兵は覚悟を固めたようだったが、その馬間近に感じる死に怯え動きを乱した。
馬を抑える一瞬、その一瞬が命取りだった。
峰を首筋に叩きつけ馬から落とす。重い落下音からしてかなりの衝撃を受けただろう。
「ヒッ」
指揮官をいとも簡単に討たれ僅かに踏みとどまっていた賊が武器を投げ捨て、逃げ出した。
情けないほどの恐怖を顔に浮かべ逃げる先もバラバラ。これが演技ならば諦めて帝都の劇場で働けるように推薦しよう。
「タリー小隊長。お前の隊で追いかけろ。くれぐれも殺しすぎるなよ。ほどほどにな」
「わかりました」
経験豊富な部下に程々にしろとの命令を与えてから追わせる。さすがに何もしなければ不振がられるだろう。
心得たと馬を走らせる部下を見送っていた俺に、声を、怒声を浴びせる者がいた。
「隊長、なぜ追いかけないのですか?」
逃げる敵の背中を見守っていた俺は驚いて声の出所を探す。視線の先にいたのは乱暴に兜を脱いだ若い兵士だった。
年齢は
凛々しく中性的な顔立ちはまさに理想の王子様といったところ。若干の高慢さが滲み出ていることが難点といえば難点だが、逆にそれが危うい魅力を出している。
優秀な若手という紹介で第一部隊に入ってきた兵士だ。ゲームで見た覚えはなかった。
「な、お、お前!」
目を剥いて途切れ途切れに声をあげる小隊長を手で制した。疑問も答えられる時間があるならば答えてもいい。質問の意図もわからなくはないのだ。
「獣を泳がせ、巣穴ごと一網打尽にする。良く使う手だろう。お前、戦歴は?」
「旧トラバス公国領で、西部管区で反乱の鎮圧に赴いたことがあります」
はあ。大陸の西端、もっとも穏やかなあの場所か。それだけかと聞き返しそうになるデリカシーのかけらもない
頬を赤くした表情を見れば触れるべき話題でないのは一目瞭然だ。
「なら覚えておけ。待てができない猟犬に価値はない」
「……はい」
一応は納得したらしい兵士から目線を外し、残っている生きた賊に視線を移した。捕まったフリーダムファイターの運命は過酷だ。
俺はそのことを嫌というほど知っていた。
「捕縛しろ」
軍の兵士に扮していた部下たちが俺の命令通り素早く息のある敵を拘束していく。
彼らのその後を考えれば見逃してやりたくもなるが、見逃せばそれ以上過酷な罰が降りかかるだろう。それにフォールの意志が命令違反を許すとは思えなかった。
「隊長」
逃げる敵兵を追わないという奇妙な体験をしていた俺に、ログンが話しかけてきた。
「どうした?」
「逃げる敵兵を追わせるとのことでしたが、もし敵が
帝国と、隣国ベレーサ王国の境界線であるトラス川。ここから馬なら1日で辿り着く。
交戦状態でこそないものの、決して仲が良くない両国は、ここからもう少し南の川岸に砦を設け、いつ戦争になってもいいように備えている。
万が一、敵がトラス川を超え、俺の率いる殉教部隊が追いかけることになればその場で戦端が開く可能性があった。
「川を越える様子を見せればすぐに殺すように命じてある。ベレーサの手先なら本拠地に襲いかかるわけにもいかないしな」
ソティラス帝国とベレーサ王国の間で戦が始まるまでゲーム通りなら時間はまだ残されている。
上司からも戦争は回避しろと命じられている。ごく普通に物騒なことを口にする自分に対する辟易を隠し、ログンへと注意を移す。
ゲームでは出てこなかったログンの能力は俺にとって未知のものだ。剣を振る程度は訓練で見ていてもまだ何か隠している気がしてならない。
「どうかなさいましたか?」
「……いや」
今追求するつもりはない。捕虜を連れてくるように命じて後方の拠点へ移動を開始した。
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