鎧袖一触①

 騎乗し、板金鎧プレートアーマーを着て、剣を差し、槍を持つという帝国軍の上級兵士の一般的な装備に身を包んだログンは隊の先頭でヘルムの狭い視界の中から油断なく周囲を見回している。


 熟練の兵士であるログンにとって襲撃の予感など慣れたものだった。


 隊列が浅い谷に差しかかったときだ。縦隊の先頭を進んでいたログンに声をかける者がいた、


「おいおいログンさんよ、何固くなってるんだ?あんたほどの男がビビったのか?」


 胴間声で後ろから話しかけて来たのはガラムだ。馴れ馴れしい口調と共に肩に置かれた手を煩わしく感じながらログンは言葉を返す。


「私はいつも通りだ。それよりも貴方には最後尾を任せたはずだが」


「それなら副長に任せたよ」


 ヘルムの奥で眉を顰めながら嗜めたログンの言葉を気にしていないかのように気楽な口調で任せたとのたまう。


 わずかにむっとしながら、何の用だと問いかける。


「なぁ、あんたはあの隊長のことどう思う?」


「残念だが望む答えは返せないぞ」

 

 ログンは振り返らずに答えた。


「あの青臭いガキに従うのか?ログン、俺はあんたを買ってる。俺とあんたはもっと相応しい地位があるだろ」


 仕事中は無表情を貫いているログンには珍しく、ふっと馬鹿にしたように笑った。


「何がおかしい」


 剣呑な声を出すガラムを見てもログンは笑うことしかできなかった。


「青臭い?青臭いだと?お前の鼻は本当に役に立たないんだな。あの男の本質は鉄と血。鼻が曲がりそうなほどの殺戮の臭いがする」


 知っている。自分は知っているのだ。フォール•グレイムバウワーはどんな人間か。かつて見た、見てしまった光景は未だにログンの脳裏を離れない。


「あの方が16の時、すでに希代の虐殺者だった。今はどうなっているだろうな」


 ガラムが何が言うよりも早く角笛が鳴り響く。散々聞いてきた角笛だった。


 二人はにわかに騒がしくなった谷の上を反射的に睨む。


「アスラ王国の角笛か!」


 ガラムもその音がわからないほど間抜けではないらしく、一声叫ぶとすぐに馬首を返した。


 結果として肝心な時に立場を離れたガラムに馬鹿がと歯軋りしながら剣を抜く。


「荷馬車の陰に隠れろ!」


 作戦通り号令を発し、自らも馬車の陰に飛び込み、空いた隙間を盾で埋める。


 部下たちと固まり、盾と馬車で簡易的な防御陣地を形成する。選抜された精鋭なだけあって作業は手早く完了した。


 兜で制限された視界にビンという澄んだ音とともに矢が雨のように降り注ぐ。


 中々の精度だったが、ログンたちとて選抜された精鋭だ。牽制射撃程度で脱落するものはいない。


 短い間隔で飛来した第二の矢の雨を防ぎ、防御陣地をさらに整備する。


 その時だった。


「アスラ王国の武人とはかくも卑怯なのか!こそこそ矢を撃つのではなく正々堂々と戦え!国と誇りを失った臆病者が!」


 戦場に怒号が響く。ガラムの声だ。挑発なのか本気で言っているのか。


 どちらにせよログンたちのいる谷の底まで届く怒声からして襲撃者たちの心に刺さったのは確かなようだ。


「我々はアスラ王国の守り手!王族の方が一人でも生きている限り我らは誇りを失わぬ!帝国の犬よ望み通り我らが剣で死ぬが良い!」


 言うが早いか騎乗した男たちが谷底めがけて駆け降りてくる。


 土煙を上げて突撃する姿に帝国兵がわずかに乱れた。怒れる騎兵の突撃など弱いほうがおかしいのだ。まして相手はアスラの近衛兵。その衝撃力は脅威の一言だ。


「陣形を乱すな!心を鎮め槍を構えろ!」


 しかしログンもその部下も選抜された精兵だ。すぐさま動揺を鎮め、盾の隙間から槍を突き出す。


 ハリネズミの如く槍を密集させた特別行動隊と近衛兵の残党が激突した。


 盾がひしゃげ、槍が人に突き刺さる嫌な音が響く。


 戦況は五分と言ったところだが、近衛兵たちの顔にあるのは余裕だ。


 後方にいる歩兵が到達すれば数的不利はひっくり返る。その後の結末はいつも通りだ。薄汚い侵略者を鏖殺し、物資を全て奪う。


 もはや習慣化された作業のはずだった。


 かつて近衛兵団の副団長であったハイゼルの胸にわずかな疑問が芽生えたのは不満げな顔で戦況を眺めている帝国側の指揮官を見た時だ。


 帝国兵は精強だ。それは指揮官も例外ではない。ほとんどの場合むしろ指揮官の方が強いのだ。


 突き出された槍を自らの槍で弾き、逆に突き返す。


 咄嗟に構えられた盾に槍がぶつかる寸前くるりと穂先を返し、石突で打撃を放つ。


 打撃に辛うじて反応した帝国兵が顔を背け、ハイゼルの槍は帝国兵の兜を吹き飛ばす。

 

 拮抗した戦場にありながらも思考は止められない。


 なぜ、指揮官は戦わない?なぜ表情に緊迫感がない?


 そもそも、なぜ目の前の帝国兵は倒れない?


「お前、強いな」


 一般的に帝国兵は強い。しかしハイゼルとここまで打ち合えるほどではない。そもそもあそこまで完璧にはまった騎兵の突撃を受けきること自体不可解。


 にやりと小さく顔を歪めた帝国兵の表情に己の犯した過ちを悟る。


 罠だと声に出す前に後方から土煙が上がった。


 敵兵に思い切り槍を叩きつけ、小さく空いた間でハイゼルは振り返る。

 

 その姿勢のまま数秒固まってしまった。


 兜の細いスリットごしに見えたのは黒い鎧を身につけた忌々しい武装修道士たち。それだけなら良かった。状況は悪いがなんとかなるはずだった。


 だがその胸に刻まれた髑髏の紋様と兜から生える二本角は兵団最悪の敵の証。


 鎧に付着する返り血からして少なくない数の犠牲が出ている。


「悪魔め……陛下、団長!」


 折良く突っ込んできた部下に帝国兵の相手を任せ、ハイゼルは馬首を返して仇敵と向き合う。


「亡き主のために!」

 

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