第56話 二人の未来⑥
じんわりと涙が浮かんだのを慌てて止める。まだ本番前なのに、何を泣きそうになってるの。しかも二回目のくせに!
自分に喝を入れている時、部屋にノックの音が響いた。はい、と返事をすると、スタッフに呼ばれた蒼一さんのようだった。
彼が扉を開ける。白いタキシードに身を包んだ蒼一さんは、悔しいぐらい似合っていた。相変わらず色素の薄い髪や白い肌がこれでもかというくらい綺麗なのだ。
彼は一歩こちらに足を踏み入れた直後、すぐに止まった。満月のようにまん丸にした目で私を見ると、すぐに顔を綻ばせた。
「すごい」
「え?」
「可愛くて綺麗。最高に似合ってるね」
なんとも真っ直ぐな褒め言葉に、照れながらも微笑んだ。スタッフの人が、時間まで少し待つように言って部屋から出る。蒼一さんがこちらに歩み寄り、私に言った。
「座って。それ立ってるだけで大変じゃない?」
「あ、ありがとうございます」
椅子をそっと押してくれるのにありがたく従う。蒼一さんを見上げると、バチリと目があった。彼はさっきも言ったというのに、再び私に賞賛の言葉を並べてくれる。
「ほんと綺麗だね。全部選んだやつ大正解。めちゃくちゃ可愛い」
「言い過ぎな気が」
「今日言わなくてどうするの」
二人で笑い合う。穏やかな空気の中、蒼一さんが私の視線に合わせてしゃがみ込む。
そして少し迷うようにしていった。
「あのね咲良ちゃん」
「はい、どうしましたか」
「今日二人だけの式、って決めてたんだけど。
どうしても咲良ちゃんに会いたいって人が来てるんだよね」
はて、と首をかしげる。私に会いたい人?
両親には式のことは告げたけど二人でやると言ったら納得していたし、友達には教えてない。ではもしかして、蒼一さんのお父様かお母様?
不思議に思っている時、タイミングよくノックの音がした。蒼一さんが立ち上がる。私が返事をするより早く、その扉が開かれた。
そこに現れた人を見て、自分が固まる。
サラリと伸びたロングヘアに、はっきりした目鼻立ち。見覚えるのある姿に、私は声をひっくり返らせた。
「お、お姉ちゃん!」
慌てて立ち上がろうとしたのを、お姉ちゃんは笑って止めた。
「あー座っててよ。転んだりでもしたらどうするの、咲良はおっちょこちょいなんだから」
懐かしい声でそう笑いながら部屋に入ってくるそのひとを見て、ただパクパクと口を開けた。
あの結婚式の日に消えてしまってから、結局お姉ちゃんの消息は知らなかった。蒼一さんは居場所を知っていると言っていたけれど、お姉ちゃんから私に直接連絡もないのなら、勝手に蒼一さんから聞くのもどうかと思い知らないままでいたのだ。
「うそ、本当にお姉ちゃん……!?」
変わらない姿で彼女は頷いた。私の隣に立った蒼一さんが言う。
「綾乃とはもうほとんど連絡取ってないんだけど、咲良ちゃんとの式については言ったんだ、綾乃にも色々心配かけたから。
そしたらまさかの今日突然やってきて」
困ったような蒼一さんの声に、お姉ちゃんが言った。
「当たり前よ。だって私だけなのよ、咲良のドレス姿見てないの。みんなだけ見てずるいんだからもう」
不満気に言ったお姉ちゃんは、しゃがみ込んで私と視線を合わせてくれる。久々にみる姉の顔は、ひどく私の心を揺さぶった。
自分とは正反対だった姉。趣味も性格も違うけど、私たちは仲のいい姉妹だった。結婚式の日突然消えてしまって、もう会えないかと思っていた。
お姉ちゃんは目を細めて言う。
「すごく綺麗だよ咲良、やっぱり本人が選んだドレスは違うね。似合ってる」
「お姉ちゃん……」
「あの日、ごめんね。突然で、あんな形になって。もうちょっと穏便に済ます方法もあったのに。
私も実は直前まで迷ってたんだよね。蒼一は恋って感じじゃないけど一緒にいるには楽な相手だったし、スペックは問題ないし、このまま結婚しちゃおうかなーなんて。
でもやっぱり、結婚って好き合ってる人たちがするもんよね」
さっき我慢した涙がついコロンと落ちた。そんな私に気づいて、お姉ちゃんは持っていたかばんからハンカチを取り出して優しく拭き取ってくれる。
分かってた。
もし私と蒼一さんが結婚したいなんて言い出せば、周囲から反感を買う。きっと姉の婚約者を奪った妹として白い目で見られることになった。
お姉ちゃんが逃げたことで、私たちは自然と結婚する流れになり、少なくとも姉から婚約者を取った妹という目では見られなかった。
お姉ちゃんはきっと分かってて、悪役になってくれたんだ。私のためを思ってあんな形にしてくれたんだ。
「ちょっと。そんなに泣いたらメイク取れるわよ、今から本番でしょう」
焦ったようにお姉ちゃんが言う。私は泣かないように堪えながら掠れた声でいった。
「ありがとう、お姉ちゃん」
ハンカチで涙を拭き取る手がピタリと止まる。姉は少し戸惑ったように視線を泳がした後、にっこりと笑った。
「やだな、なんか美化してない? 私逃げた後も悠々自適に過ごしてるのよ。遊びまくり。まあ、さすがに遊び飽きてそろそろちゃんとしようかなーと思ってるとこ」
長い髪を揺らして彼女は笑う。そして力強い声で言った。
「幸せになってね、咲良」
私は何度も何度も頷いた。姉は立ち上がり、やや睨むようにして蒼一さんをみる。
「蒼一は大人なように見えて肝心な所抜けてるからねー。意外と咲良の方がしっかりしてるかもよ。ほんと、ちゃんとしてね蒼一」
「……言い返せないな」
困ったようにして呟く蒼一さんについ笑った。そう、二人ってこんな感じだった。私はそんな光景を小さい頃からずっと見てきたんだ。
蒼一さんがぐっと胸を張る。そしてしっかりした声で言った。
「もう間違わない。これからは咲良ちゃんを悲しませないって約束する」
真っ直ぐ言い切った蒼一さんを見て、お姉ちゃんは微笑んだ。そして一つ長い息を吐くと、私に振り返る。
「参列してもいい?」
「もちろんだよ! 嬉しい!」
即座に返答した私に笑いかけると、お姉ちゃんは出口に向かっていく。ドアを開けながら声だけ響かせた。
「安心したわ。これからはほんと、ちゃんと夫婦になってね」
そう言い残した姉は、外へと出ていってしまった。
姉がいなくなった部屋で、私の鼻を啜る音が響く。どうしよう、確かにメイクが落ちちゃうかも。近くに置いてあったハンカチを取ろうと手を伸ばすと、先に蒼一さんがとってくれた。
私の正面にしゃがみ込み、さっきお姉ちゃんがしてくれたみたいにそうっと涙を拭き取ってくれる。
無言で私の目尻に布を当てながら、蒼一さんが呟いた。
「咲良ちゃん。さっき綾乃に誓ったこと、僕は死ぬまで忘れない。もう君を悲しませない」
マスカラで伸ばされたまつ毛を揺らす。目の前の蒼一さんの瞳に、私がしっかり映っていた。
白いタキシードは眩しい。目がくらんでしまいそうだ、と思った。
「たくさん泣かせた。その分、たくさん咲良ちゃんを笑顔にしたい。
これから先何年、何十年と経って、自分が年老いていく中で、隣に笑ってるのは君がいい」
そっと私の手を握る。温かな大きな手に包まれ、私は胸が温かくなるのを感じた。
ああ、いいな。
年老いてシワが増えて、それでも隣にいてくれるのがあなただったら。
小さな頃からずっと憧れていたあなただったら、それは何よりも幸せなこと。
「蒼一さんがいてくれたら、笑います」
「そっか。僕も咲良ちゃんがいてくれたら笑うよ」
「じゃあ二人で笑い合いましょう」
「うん。泣くなら二人で泣こう」
「はい、悲しい時も一緒ですね」
「今日からまた始めよう。僕たちの結婚。今まで学んだことを活かして、二人で歩き出そう」
私たちの始まりは突然の結婚式からだった。その後も言葉が足りなくて、片想いだと思い込んでいた生活。
相手に思いを伝えることがどれほど重要なのか思い知った。決して叶わないと思っていた幼い頃からの初恋は、こうして現実になっている。
あの人が好きで諦めようとしていた幼い私へ。捨てなくてよかったよ。その恋心、ちゃんと胸に置いておいてよかったね。
今人生で感じたことのない幸福感に包まれている。愛する人に愛されるという奇跡は、自分が思っている以上にずっとずっと幸せなものだった。
部屋にノックの音がする。スタッフの人がそろそろ時間が近づいていると知らせてくれる。
私は蒼一さんの手を借りて椅子から立ち上がる。ふわりと揺れるドレスの裾が柔らかで幻想的だった。
しっかり愛する人の手を握り締め、私は前を向いた。
幸せになろう。これからもっともっと。私たちを支えてくれた人たちのために。
「行こうか」
「はい!」
私は今日、ずっと好きだった人と、結婚する。
<完>
お読みいただきありがとうございました!
この後サイドストーリーと、その後の話を少しだけ載せます。
最後までお付き合い頂けたら嬉しいです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます