第43話 咲良の答え③
ほとんど無意識に言葉をこぼしてしまい、慌てて口を閉じたが遅かった。蓮也は聞いて驚きで固まっている。気まずくなって視線を泳がせた。
言うつもりなかったのに。つい言ってしまった。最後まで私一人の心に秘めておきたかったのに。
「……え、それ、どういう」
「…………」
「咲良が元々、あの人を好きだったってこと?」
信じられない、とばかりに小さく首を振った。その反応に少し笑ってしまう。そうだよね、驚くよね。
頬に流れた涙を乱暴に拭き、半ばやけくそ気味に言った。
「馬鹿だよね、お姉ちゃんの婚約者だって知ってたのに初恋だったんだよ。七歳も年上だし、相手にされないことなんて考えなくてもわかるのに」
「……そ、んな」
「それでも子供の頃からずっと好きだったから……」
私は両手で顔を覆って泣いた。
そう、ずっと彼が好きだった。叶わないと思っていた片想いが叶ったんだと結婚式の日は喜んだ。
でも違うんだね。形だけの結婚じゃどうにもならない。心と心が通じ合えるわけじゃないんだ。私は甘すぎた。
自分の嗚咽の音が部屋に響く。蓮也にこんなことを言うなんてダメだとわかってるのに、もう止まれなかった。誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
泣き続ける私に、蓮也は黙っていた。ただ涙をこぼす私をみている。隣に蓮也が座ってる空間が心地良かった。
蓮也を好きだったらよかったのにな、と思った。
一緒にいて楽で、私を好きでいてくれて、いいやつだし気も合う。きっと付き合ったら上手くやっていけるだろうなと想像もつく。
それでも———私が選んだのは、あの人だった。
昨晩ほとんど眠れていなかった私は、ソファの上でいつのまにか眠ってしまっていた。
目が覚めた時はもう外は暗くなっていて、慌てて謝る私に蓮也は笑ってくれた。
ここ最近、ぐっすり眠れていなかった気がする。体の疲労感が取れてスッキリした気がした。頭も冴えてきた気がする。
お姉さんのバイトはもう少しで終わるので、帰ったらみんなでピザでも取って食べようと提案してくれた。私は喜んで頷き、とりあえず二人で並びお姉さんの帰りを待った。
なんとなくテレビを眺めながら、驚くぐらい居心地のいいこの場所を不思議に思っていた。くだらないバラエティの音声が流れていて、蓮也と笑いながらそれを見ている。あまり広くないリビングは今日初めてきたとは思えない。
蒼一さんと暮らしている時はいつでも緊張してた。隣に座ってテレビを見ることすら上手くできなかった。どこか肩の力が入ってて、気が抜けなかった。
蓮也はまるでずっと前から一緒に暮らしてたみたいに楽だ。自宅ってこういうところだったっけ。そう思いながら、心の中でその答えをわかっていた。
(蒼一さん……もう家に帰ってお母様と話したかな)
ぼんやりとそう考える。そういえば、実家に連絡したままスマホも見てないや。置きっぱなしだった鞄からそれを取り出してみると、いくつか着信やメッセージがあって狼狽えた。お母さんと、それから蒼一さんからも来ていたからだ。
聞いたんだな、離婚のこと。
多分何も相談なしでこうなったことに戸惑ってるだろう。彼は優しいから、ちゃんと私から話を聞こうと思ってくれたんだ。
じっとスマホの画面を見つめていると、横にいた蓮也がちらりとこちらをみた。
「電話鳴ってた。起こすのもと思って何もしなかったけど」
「うん……」
「蒼一って人?」
「うん、離婚のこと聞いて話そうとしてくれたのかも」
私はそのままスマホをしまった。すると蓮也が言った。
「話さなくていいの。好きだったこと」
驚きで隣をみた。彼はテレビの方を向いていたが、その目がお笑い番組なんて見ていないことは分かっていた。私は小さく首を振って言う。
「言えるわけないよ。困らせちゃうだけだよ。蒼一さんは優しいから、きっと」
「困らせて何が悪いの?」
蓮也がこちらを振り返る。彼はどこか切なそうにしていた。それでも私から目を逸らすことなくじっとこちらを見ている。
「困らせればいいじゃん。人間誰かを困らせずに生きていくなんて無理だよ。咲良は人に気を遣いすぎだと思う」
「で、でも。お姉ちゃんがいなくなって喜んでたなんて、そんな性格悪いところ見せたくない」
「俺だってさっき言ったはずだよ、咲良が離婚して喜んでるって。そんな俺を見て引いた?」
「え、別にそれは」
「そんなもんなんだって人間。それに、あの人とはもう会わないつもりなんだろ? じゃあ最後くらい幻滅されたっていいじゃん。
何も言わずに出てきたなんて、あとで後悔すると思う」
蓮也の低い声が心に落ちた。
確かにそう。何も相談なしに蒼一さんと別れた。昨晩あんなことがあって、彼と顔を合わせづらいし今更全てを話すのも辛い。
でも……黙ってるままなんて、やっぱりよくないのかな。このむしゃくしゃした気持ちも、悲しい涙も、全部曝け出せたらスッキリするんだろうか。
私は黙り込んで俯いた。今まで一度も思ったことがなかった、蒼一さんに告白をしようなんて。だって、お姉ちゃんの婚約者を好きになるということがどれほど愚かで馬鹿なことか分かっていたから。
けどそれは言い訳なのかもしれない。ただ彼に拒絶されるのが怖かっただけ。もう拒絶されてしまった今、怖いものはないのかもしれない。
最後にもう一度だけ、あの顔を見てちゃんと別れが言えたなら。
「私……」
そうか細い声で言いかけた時だった。
部屋にインターホンが鳴る音が響いた。
お姉さんかな、と思いつつ、自分の家なら普通鍵で入ってくるだろうと思い直す。宅配便とかだろうか。
蓮也が立ち上がって画像を確認しに行く。私はそのまま一人考え事を続ける。
「咲良」
「え?」
「待ってて」
蓮也がやけに厳しい顔でそう言った。その気迫に押されてとりあえず頷く。一体どうしたんだろう、変な勧誘とかかな?
私を置いて、蓮也は玄関の方へ向かった。何気なくその後ろ姿を見送った後、私は言われた通りおとなしく座って待っていた。テレビから流れる笑い声がやけに響いている。あまり気分じゃなかったが、お笑いを眺めて過ごす。
遠くで玄関が開かれる音がした。その後、何か話している声が僅かに流れてくる。でも内容まではわからないし、相手がどんな人なのかもいまいちよく聞こえない。テレビの雑音がちょうど邪魔をしていた。もしかしてうるさいかな、そう心配になった私は、置いてあったリモコンで音量を下げた。
すると聞こえてきた声が、なんだかひっ迫しているようなものであることに気がついた。言い争い、とまではいかないけど、なんだか不穏な……?
私は静かに立ち上がって恐る恐る廊下に近づいてみる。閉められた扉をそうっと開き隙間から覗いてみた。が、その瞬間玄関に立っている人を見て頭が真っ白になる。そして相手も、私の存在に気づいたのだ。
「咲良ちゃん!」
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