第30話 咲良の決意③

「はっ! 紅茶を用意しておくって言われたんだ、なんかお菓子でも買っていった方がいいかな!」


 私は狼狽えながら独り言を呟く。すぐにスマホでどんなものがいいか検索した。午後ならまだ時間があるし、美味しいお菓子でも持っていこう。


 ワクワクした気持ちに微笑んだ。同時に色々と頭の中で考えてしまう。自分の着ている洋服を眺めた。


「もうちょっと品のいい服にしよう……ワンピースとか? なんかいいのあったかな」


 ようやく誘ってもらえたんだ、仲良くとまではいかなくても、少しでもイメージを良くしたい。平日の午後ならお父様は仕事だろうし、二人だろうな。山下さんはいるのかな? ちょっと緊張しちゃう。


 そんなことを考えながら、私はとりあえず着替えるために寝室に走っていった。


 身だしなみを整え、その後は調べ上げた情報を頼りに外出し、美味しい洋菓子を買いに行った。お母様なら舌も肥えているだろうし変なものは買えない。ドキドキしながら店で時間をかけて吟味し、店員さんに勧められたものを購入した。


 緊張のため中々昼食も喉を通らず、時計と睨めっこしてばかり。約束の時刻が近くなると落ち着かず意味もなくうごきまわっていた。


 さて家を出ようとしたところ、玄関でばったり山下さんに会った。お母様のことで完全に忘れていたが、まだ今日の夕飯を作っていなかったのだ。


 私はお母様に呼び出されたことを告げ、今日は山下さんに料理を全てお願いすることにした。彼女は快く承諾してくれたが、どこか浮かない顔をしている気がした。


 だが急いでいた私は特に気にもとめず、そのまま家を出たのだった。








 うるさい心臓をなんとか抑えながらインターホンを鳴らす。手土産があることを再度確認し、姿勢を正してその場に立っていた。


 そのままスピーカーから返事はなく、直接玄関のドアが開かれた。大きくて広い玄関に、お母様が立ってそっと微笑んでいた。


「あ、こんにちは!」


「こんにちは、時間ぴったりね。どうぞ」


 招かれるままそうっと足を踏み入れる。ここにくるのは何も初めてではない、むしろ子供の頃だって何回か来ている。なのに今日はまるで別の場所に思えた。


 大理石の玄関から見えるカーブした階段。あそこで子供の頃は走り回って遊んだ。リビングから見える中庭ではボール遊びをした。いつだって蒼一さんは年下の私の遊びに付き合ってくれたんだ。


 靴を揃えてお母様に続く。掃除の行き届いたリビングへ向かうと、花のようないい香りがした。


「どうぞ掛けて」


「あ、あの、これ、お口に合えばいいんですが……」


「あらわざわざありがとう。突然呼び出したのに」


「手伝います!」


「いいのよ。ソファにでも座ってて」


 断られた私は、困りながらも言われた通りおずおずとソファに腰掛けた。ふかふかな座り心地の大きな黒いソファだった。落ち着かず、でもソワソワするのも行儀が悪いのでなんとかそのまま前を向いて待っていた。


 ふわりと紅茶のいい香りがした。お母様がそれをトレイに乗せて持ってきてくれる。


「ありがとうございます……!」


「お砂糖は?」


「このままで大丈夫です」


 お母様は私の目の前に腰掛けた。優雅な動きでついうっとりとしてしまう。洗練された女性だよなあと感心した。とても綺麗だし、天海家の奥様という名に相応しいと思う。


 置かれた紅茶をそっと手に取る。とてもいい香りだった。私はそっと啜る。


「とても美味しいです、香りがいいですね」


「そうでしょう? 私のお気に入りなの」


「私も紅茶がすごく好きなんです」


「あらそうなの」


 お母様は穏やかに返事をくれる。その姿に緊張がほぐれた。最初の頃は、もっと冷たい視線で私を見ていたけれど、今は普通の態度だ。


 嬉しくなって再び紅茶を飲む。鼻から甘い香りが抜ける。


「突然呼び出してごめんなさいね。蒼一とはどうですか」


「あ、えっと、とてもよくして頂いてます」


「そう、まああなた方も幼なじみですからね。それなりにうまく生活しているんでしょう」


「蒼一さんは優しいですし……」


「あの子はね、優しすぎるのがちょっとね」


 お母様は紅茶に角砂糖を一つ入れる。ティースプーンでゆっくりかき混ぜながら続けた。


「周りに気をつかう子です。私にですらそうでした。まあ、主人の話では仕事もちゃんとやっているようだし、跡取りとしては問題ないと思うんだけれど。ほら、会社のトップとなると厳しい判断をせねばならないこともあるでしょう?」


「そうですね……」


「そういうことも必要なんです。優しいだけでは通用しない世界です」


 お母様が紅茶を飲む。私も釣られてまた飲んだ。熱いカップをそうっと戻すと、小さな声で言った。


「でも、蒼一さんなら……きっと大丈夫だと思います。お仕事のことはよくわかりませんが、一緒に暮らして彼の凄い面をたくさん見てきました。本当に素敵な人です」


 根拠のない自信、でも心からそう思った。


 好きでもない相手と結婚したのに、私にとことん彼は優しい。その優しさが辛い時もあるけど、全て私のことを思ってやってくれているのをわかっている。


「それに、私が小さな時からすごく遊んでくれたから! 面倒見もいいし、我慢強いですよね。年も離れた男の子なのにおままごとでずっと遊んでくれたんです」


 笑顔で思い出話を語る。懐かしい家に入ってその記憶が蘇ってしまう。お姉ちゃんとテレビゲームをしたかったはずなのに、ちゃんと私の面倒を見てくれたんだから。そんな男子、普通いないよね。


 私は饒舌になり、蒼一さんの話をお母様につづけた。時折相槌を打ちながら彼女は聞いてくれる。


 私はお姉ちゃんほど蒼一さんと一緒に過ごしたわけではないが、それでも思い出話はたくさんあるのだ。成長するにつれ次第に蒼一さんとも距離ができたが、子供の頃の思い出は今でも大事なもの。


 私一人語るのを、お母様は何も言わずに紅茶を飲んで聞いていた。しばらく経って、彼女は私の方を見ることなく、言葉を出した。


「そう。そうだったわね。あなたたちは年が少し離れているから」


「はい」


「でも夫婦としてうまく行ってるんですね」


「え、ええ」


「ではあちらはどうですか」


「え?」


 そっとお母様が私を見た。目と目が合った時、なぜかは分からないが動けなくなった。私を試しているような、心を見抜くような、そんな目のように思った。


 わずかに微笑みながら、お母様は言った。


「跡継ぎは、大丈夫ですね?」




 私は言葉をなくした。





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