第28話 咲良の決意①

 昼間から仕込んで山下さんと準備した料理たちは完璧に仕上がり食卓に並べられていた。


 ここ最近練習して腕を上げた誕生日のケーキも、本番である今日、一番の出来に仕上がり満足していた。チョコプレートを置いた後、山下さんとハイタッチして喜んだぐらいだった。


 全て準備を整え、あとは蒼一さんの帰りをまつだけだった。今日は早く帰る、と言ってくれていた。ケーキを見てなんて言ってくれるかなとワクワクする心が収まらない。


 プレゼントで購入したボールペンを何度も確認する。ペンなら仕事でも使えるだろうし、何本あっても困らないだろうなと思ったのだ。喜んでくれるといいんだけれど。


 ソワソワと彼の帰宅を待っている時だった。ソファの上に置いておいたスマホが鳴る。近づいて手に取ってみると、蒼一さんからのメッセージだった。


『ごめん、急遽職場の人たちの相談を乗ることになって、少しだけ飲んでくるね。でもすぐに終わらせて帰るから』


「あらら」


 私は声を漏らした。少しだけがっかりするが、こればっかりはしょうがない。仕事の一部なのだ、私には到底理解できない難しいことだろう。それにすぐに終わらせる、と言ってくれてるんだもん、待つしかない。


 私は素直に納得して返事を返した。もしかしたら職場の人たちも蒼一さんの誕生日を祝ってあげたいのかも。それもありそう、うん、別にゆっくりしてきてもらっていい。


 返事をし終えたスマホは適当に放り、特にやることもない自分はウロウロと料理をチェックしたりキッチンを掃除したりしてみる。なんだかんだ落ち着かないのだ。


 動きながらふと、小さな包みが目に入る。蒼一さんのプレゼント、蓮也と選んだものだった。


 思えば酷なことをさせてしまった、まさか蓮也が私に好意を持っていたなんて全然知らなかったから、蒼一さんへのプレゼント選びに付き合わせるなんて。


 ぎゅっと自分の腕を掴む。


 帰り際、まっすぐな目で私に告白をし抱きしめてきた蓮也を、そっと離して謝った。気持ちには応えられない、と正直に言うと彼はとても傷ついた顔をした。長年友達をやってきて、蓮也のあんな顔を見たのは初めてだった。


「悪いことしたな……」


 彼がそんなふうに私を見ていたなんて、全然気づかなかった。


 蓮也はいいやつだ。気も合うし異性で仲がいいのは彼だけ。根は真面目だしきっと付き合えば幸せになれる。


 それでも、いくら女扱いされず書類上だけの妻とはいえ、私は今の環境を壊したくはなかった。辛いけど、でも蒼一さんのそばにいられるから。いつかもしかしたらお姉ちゃんを忘れて私を見てくれるかもしれない、っていうわずかな望みだけは持っていたい。


 私は偽装された夫婦関係を継続する。


「……蒼一さん、何時頃になるかな」


 時計を見上げてぼんやり思う。今頃どこかで食事をしてるのか、そう思えばこの夕飯はきついかも。私は食卓の上を見渡した。私もだが山下さんもかなり気合が入っていたので、量がかなりのものになっている。


「ううん、ケーキもあるもんね。ご飯は明日の夜でも食べれるようなものは明日に回そうかな」


 うんそうだ、せっかく職場の人たちと外食に行っているのに、きっと蒼一さんは私のことを気にしてあまり料理には手をつけずに帰ってきてくれそうだ。それはそれで勿体無いよね、帰りだってそんなに急がなくてもいい。夜遅くなったってお祝いはできる。


「連絡しようかな、こっちのことは気にせず食事してきていいですよって」


 私はそう思い立ちソファへと移動していく。適当に置かれたスマホを手に持ち、メッセージを打とうとして手を止めた。


 ……電話、したら迷惑かな。


 普段の自分だったら邪魔になってはいけない、と電話なんてしたことなかった。用があれば必ずラインだ。でも今日はなぜか、彼の声が聞きたいと思ってしまったのだ。誕生日というイベントが私の気持ちも大きくさせたのだろうか。


 出るのが無理だったらそれでいい、たまには掛けてみようか。こういうのってなんか、お、奥さんぽいっていうか……。


 私はドキドキしながら今までほとんど呼び出したことのない番号を選んだ。手短に伝えればいいよね、気にせずご飯食べてきてくださいって。ゆっくりしてきていいですよって。


 耳にコール音が響き渡る。ただの電話をするだけなのに心臓がうるさくてかなわない。平べったい機械を必死に耳に押し当てながら待っていると、相手が突然電話にでた。びくんと体が跳ねる。


「あ、も、もしもし蒼一さんですか!」


『もしもし?』


 耳に入ってきた声を聞いて止まる。それは想像していた彼の声ではなかった。落ち着いた、それでいて綺麗な女性の声だった。


「あ、の。あれ?」


『こんばんは咲良さん。新田です』


「あ、新田さん、ですか」


 言われてみれば新田さんの声だった。突然聞くと誰かわからなくなるものだな、私はなんとなく背筋を伸ばす。


『すみません、天海さん今お手洗いで』


「そうですか、いえ大丈夫です、大した用じゃないから」


『今から食事を取ろうかと。誕生日なのに旦那様をお借りしてすみません』


「いいえ、別にだい」


『誕生日だから食事ぐらい二人で行こう、って誘われてしまって』


 言いかけた言葉が止まった。自然とスマホを握る力が強くなる。ひんやりと心が冷えた。


 あれ? 二人、で?


 蒼一さんから、誘ったの?


 脳裏に蒼一さんと新田さんが二人で食事をしている姿を思い浮かぶ。それは大変絵になる二人だった、新田さんは綺麗で大人っぽくて素敵な女性だ。


「あれ? 職場の人たち、って蒼一さん……」


 私が唖然として呟くと、電話口からしまった、というような声がわずかに聞こえた。その音が自分を絶望の海に突き落とす。目の前が真っ白になった。


『でも、少しの時間って約束ですから。あまり長くはかかりません』


「…………」


『ちゃんと天海さんは奥様への義務も果たしますから。少しだけ話したら帰宅されます』


 義務?


 家に帰ってくるのは、蒼一さんの義務なの?


 震える唇からは何も漏れてこない。私が一応は妻だから気を遣って帰ってくるというのだろうか。本当は私に祝ってもらいたい気持ちなんてないのに、しょうがなく帰ってくるんだろうか。


 本心では、新田さんに祝ってほしいの?


 とどめを刺された気分だった。優しい蒼一さんの態度に期待しすぎたんだろうか、私は彼に踏み込みすぎたんだ。


 目から水がじんわり浮かんでくる。声を出したら泣いてることがバレるので私は何もいえなかった。


『これからケーキだけ食べていきますね。美味しいの買っておいたんで。ではまた』


 新田さんはそれだけ言うとあちらから電話を切った。私はそっと耳からスマホを離してそれを見つめる。ついにこぼれ落ちた涙が画面を濡らした。


 そういえば、新田さんはとても綺麗な人で、自信に溢れていて、かっこいい人だった。いつだったかどこかお姉ちゃんに似てる気がする、と思ったのを思い出す。私とは正反対の女性だった。


「そっか……新田さんに、お祝いしてもらいたかったのか……」


 呟きながらつい笑ってしまう。そうだ、お姉ちゃんを忘れて私を見てくれるのを待っている、だなんて。お姉ちゃんを忘れたあと、なぜ私を選んでくれるって夢見てたんだろう。こんな子供っぽくてどこにでもいるような私。一つ屋根の下にいても手も出してもらえないのに。


 頬を流れる涙を手のひらで拭く。一年に一度の誕生日、好きな人に祝ってもらいたい気持ちは十分わかる。


 でもきっと蒼一さんは優しいから、私のことも気遣ってこの家に帰ってきてくれるんだ。


「……ケーキ」


 ポツンと呟く。フラフラとした足取りで冷蔵庫に向かうと、昼に焼いたケーキがそのままの姿で箱に入っていた。山下さんに付き合ってもらって出来はいい。それでも、なんとも思ってない女からの手作りケーキなんて嬉しいわけがない。


 新田さんは美味しいケーキを用意してるって言ってた。こんなんじゃダメだよ……。


 私は無言で白い箱を取り出す。冷蔵庫の扉を閉めると、そばにあるゴミ箱の蓋を開けた。同時に自分の口から嗚咽が漏れる。私はその中に箱を落とした。カタン、と軽い音が響く。


 私は自分の悲しみの感情を仕舞い込むように、ゴミ箱に蓋をした。やっぱりこんな夫婦関係、無駄な時間を過ごしているだけなのかもしれない。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る