第27話 蒼一の戸惑い⑤



 

 家に着き急いで鍵を開ける。定時に上がって咲良とゆっくり過ごすはずだったのに、だいぶ計算は狂ってしまった。


 ドアを開けて中へ入る。温かな光が私を出迎えてくれた。すぐに靴を脱ごうとして、普段ならドアを開けた途端足音が聞こえてくるのにまだ来ないな、と不思議に思う。


 しかし少しして咲良が現れた。彼女の顔を見てホッとする。先ほどまで起こっていたギスギスした出来事も吹き飛んでいくようだった。


「お帰りなさい」


「ただいま、もっと早く帰るつもりだったのにごめんね」


「いいえ。食事、温めますね」


 そう言うと咲良はすぐにキッチンへと戻っていった。その背中を追うように自分もリビングへ向かっていく。ソファに適当に鞄を置くと、テーブルの上に並べられた豪華な食事に圧倒された。


「凄い、ご馳走だ」


「少し待っててくださいね」


 山下さん随分頑張ってくれたんだな、と心で感謝する。だが申し訳ないことに、それより咲良の焼いたケーキが待ち遠しくてたまらない。しかし何も気づかないふりをして席に座る。ケーキは食後だろう。


「お酒もありますが、蒼一さん飲みますか?」


「ああ……それはお風呂に入ってから頂こうかな」


「分かりました」


 料理を温め直してくれた咲良が正面に座る。私はふうと息を吐いた。ようやく待っていた光景が現実になる。


「蒼一さんお誕生日おめでとうございます」


 咲良がふわりと笑ってそう言った。こちらも笑顔を返す。あまりに幸せだ、と思った。


 色々考えねばならないことがあるが、今はとにかくこの時間を楽しもう。ゆっくりしてから考えてもバチは当たらないだろう。


「ありがとう」


「食べましょうか」


 二人で挨拶をしてから食事を始める。どれも私の舌に合った美味しい料理だった。さすが子供の頃から食べている山下さんだ、彼女の料理はすっかり私のお袋の味となっている。


 私は大人気もなくテンションが上がり、普段より饒舌になる。


「帰ろうとしたら相談があるって言われて断れなかったんだ、ごめんね。でもあっちではご飯何も食べてないから」


「そうだったんですか」


「お腹空かせといた。正解だったな、凄い量だ」


 私はどんどん食事を続けた。実のところこの後のケーキが早く見たくて急いでいた。やはり誕生日ならショートケーキだろうか、それともチョコレートか? タルトかもしれない、だなんて子供のように想像してははしゃいでいる。


 ところ狭しと置かれた料理たちもどんどん無くなっていく。そしてほとんどの皿が空になった頃、咲良が思い出したように何かを取り出した。


「蒼一さん」


「え?」


「これ……大したものじゃないんですが、お誕生日のプレゼントです」


 おずおずと差し出されたそれを見て胸の高鳴りを抑えきれなかった。まさか、プレゼントもあるなんて思ってもなかった。小さな包みをゆっくり受け取る。


「いいの?」


「本当に、大したものじゃないんですが」


「開けていい?」


 小さく頷いた咲良を見て丁寧に開けていく。中を見てみると、それはボールペンだった。自分の顔全ての筋肉が緩むのを自覚する。


「凄い、めちゃくちゃいいよ。ありがとう、大事にする。嬉しい」


「よ、よかったです」


 大袈裟ではなく一生包み紙も保管しておこう、と思った。昔子供の頃貰った手作りのものも嬉しかったが、大人になった咲良から贈り物をされたのはこれが初めてなのだ。


 私は手に取りまじまじと観察しては笑う。勿体無くて使えないな。飾っておきたい。


「あ、そうだ」


 咲良が思い出したように声を上げる。


「え?」


「ケーキあるんです、食べれますか蒼一さん?」


「もちろん!」


 つい即答してしまった。咲良は微笑んで冷蔵庫に向かっていく。


 私はワクワクしてとりあえずボールペンを大事にしまっておいた。おまちかねのものだ、ずっと楽しみにしていた。


 夢みたいだ、と思う。咲良に手作りのケーキをもらって誕生日を祝ってもらうなんて。


「置きますね」


「あ、うん気をつけて」


 ホールのケーキを咲良が大事そうに持ち私の目の前にそうっとおいた。目を輝かせて覗き込んだ自分は、白い生クリームが乗ったそれを見て息を呑んだ。




 それは、手作りのケーキではなかった。




 見間違いではない。この家の近所にある、有名なケーキ屋のものだ。何度か食べたことがあるので私も知っている。


「…………え」


「おめでとうございます、蒼一さん」


 咲良はそう言って笑った。思わず彼女の顔を見上げ、以前山下さんと話した内容を思い出す。


『必死にケーキを焼く咲良さんが本当に恋する女の子って感じで微笑ましくて』


 練習している、と言っていた。プレゼントするケーキを。


「……はは」


「蒼一さん?」


「いや、ありがとう。美味しそうだ」


 私は渇いた笑いをこぼしてそう言った。心がこもっていない、なんとも棒読みのセリフだった。


 そうか、そうだったのか。


 やはりとんでもない自惚れをしていたのか。


(…………私へのケーキではなかったのか)


 目の前の形のいいケーキを見つめながら心の中で呟いた。咲良が練習していたというケーキ、それは私のためのものではなかった。だからか、『恋する女の子』だなんて山下さんが感じたのは。


 咲良の本当の好きな男に渡すためだったんだろう。山下さんは誕生日も近いので私のものだと勘違いしていたのだ。


 手が震えるのを必死になって拳を握り止める。悲しみと絶望で心はぐちゃぐちゃになった。情けなくも泣き出しそうになるのを必死に堪える。


 もしかして咲良の好きな人は自分かもだって? 失笑だ。


 そんなことやっぱりありえないんだ。咲良は立場上私の妻を演じてくれているが、その心はきっと他にある。


 私には手が届かない場所にあるんだ。


「ごめん、やっぱり今はお腹いっぱいで入りそうになかった。お風呂の後に食べようと思う、一旦しまってもらっていい?」


「あ、はい分かりました。ご飯多かったですもんね」


「お風呂に入ってくるね」


「分かりました」


 私はいつも通りのトーンでそう言うと、立ち上がってリビングを後にした。一旦自分の部屋に戻り、広々としたベッドに胸を痛める。


 おさまらない心が悲鳴をあげている。勝手に期待して勝手に絶望するなんて。


 顔を手で覆う。行き場のないこの気持ちをどうにかしたくて、近くに置いてあるゴミ箱を思い切り蹴った。足に痛みを覚えて、こんなところまで自分は決まらないな、と嘆く。


 私のじゃなかった。私の誕生日のためではなかった。


『上手くいきっこないですよ』


 新田茉莉子がそう言い放った言葉が、深く深く心に突き刺さっていた。



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