第15話 蒼一の想い③
「うつすといけませんから、今日は夕飯お先にどうぞ。お皿置いておいてください、私明日洗うので」
手短にそう告げドアを閉めようとした彼女に慌てて反応する。手を滑り込ませ閉め切られるのを防ぐ。
「待って! 熱測ったの? 水分取ってる? 食欲は?」
「熱は少しあるくらいです、水分も飲めてます。蒼一さん、うつるので……」
顔を背けてそういう咲良に痺れを切らし、私はドアを思い切り開けた。白いパジャマを着ている彼女の姿がようやく見える。正面からしっかり見た咲良の顔はやはり真っ赤だった。私は無言で自分の手のひらを咲良の額に当てる。びくっと彼女が反応したのが伝わってきた。
熱い。これは三十九度越えているぐらいでは?
「嘘ついたね、高熱じゃない」
「い、いえ……」
「ベッドに寝て。夜薬飲んだ?」
「まだ、です」
「食べれそうなもの持ってくるから、咲良ちゃんは寝てて」
私がそういうと、彼女は慌てたように首を振った。
「うつります! 私一人で大丈夫ですから!」
潤んだ目でそう言われ苦笑した。咲良はこういうところがある。優しすぎて人を思いやるあまり、自分を疎かにしてしまう。
私は無言で彼女の熱い手をとり中へ引いた。ベッドに誘導すると、そっと座らせる。
「こんな時くらい頼ってほしいな」
「でも」
「はい、寝て。反論禁止。待っててね」
布団に寝転がった咲良は申し訳なさそうにこちらを見上げた。それを安心させるように微笑む。
そしてすぐさまキッチンへ向かった。テーブルにある食事は美味しそうだが高熱が出ている人にはやや厳しそうだ。私は簡単にお粥を作り冷蔵庫に入っている果物を剥いた。薬箱に入っていた風邪薬も用意し、たっぷり水分を持って再び咲良の部屋に向かう。
慣れない生活にパーティーでトドメを刺したかもしれない。彼女が体調を崩しても仕方のないことだ。朝会った時は普通にしてたと思ったが、もしかしたらすでに体調が悪かったのだろうか。気づけなかった自分が憎い。
ノックし扉を開けた。咲良はちゃんとベッドに横になっていた。私は持っていたお盆を一旦置き話しかける。
「食べれるかな、薬飲むから少しでも胃に入れたほうがいいよ」
「あれ、おかゆ? 蒼一さん作ってくれたんですか!」
「消化にいいものがいいからね」
「すみません、わざわざ作らせちゃった」
申し訳なさそうに言ってくる咲良に笑う。
「お粥ぐらいで大袈裟だな。食べれる? 食べさせてあげようか」
「たた、食べれます!!」
慌てた様子で彼女は起き上がる。私が差し出したお粥を受け取り、頭を下げる。
「果物まで……ほんとありがとうございます」
「無理しないでいいからね、食べれる分だけで」
「あとは大丈夫です。ありがとうございました」
「すぐ追い出そうとするね」
「だって、うつしちゃいます」
「その時はその時だよ」
私の言葉に、咲良は困ったように視線を泳がせた。熱で真っ赤にさせた顔をさらに紅葉色にしながら、ポツンと小声で呟く。
「……シャワーは入ったんですけど……その後も汗いっぱいかいたから、その、匂いとか気になるんです」
誰だ? 今私の心臓を握りつぶしたのは。おかげで一瞬思考が止まってしまったではないか。
恥ずかしそうにしている咲良の横顔にため息を漏らしてしまいそうになるのを必死に堪えた。無意識にこんなに私の心を揺さぶる彼女が恐ろしいとさえ思う。
なんとか平然を装いながら笑ってみせる。
「そうなの? 全然わからないから大丈夫だよ」
「でも……」
「それより、咲良ちゃんの様子の方が心配だよ。その熱かなり高いでしょう。せめてちゃんと薬を飲むところまで」
私の食い下がりに彼女は折れた。小さな口でゆっくり食事をとり、果物も半分ほど食べた。水分をしっかり飲んだあと、ちゃんと薬も飲み込む。
そのまま重そうな体を横にしてベッドに丸まった。
顔を布団から半分だけ出している咲良がこちらを見ている。食器をまとめている私に小さな声で言った。
「蒼一さん、ありがとうございます」
「いいえ。これくらい当然でしょ。たくさん寝るんだよ。無理しないこと」
私が言うと頷いた。食器を片付けに一度外に出、そうだ頭を冷やすものでも、と思い出した。再度部屋を訪ねると、ノックしても今度は返事がなかった。
恐る恐るドアを開ければ、早いことに咲良はもう寝息を立てていた。だいぶ辛いのだろう、薬が効いて熱が下がればいいのだが。
私は起こさないようにそうっと近寄り、彼女の額を冷やした。冷たさに驚いたのか、少しだけ眉を顰める。たったそれだけのことが酷く愛しくなって、そのまま咲良の顔を覗き込んだ。
気持ちよさそうにすやすや眠る咲良の寝顔を見て笑いながら、もう寝室が分かれてしまったため寝顔を拝むこともあまりできないのだと思った。
咲良がいないベッドは広い。広くて、快適で、自由で、そして寂しい。もうこれで咲良と二度と一緒に寝ることがないのだと思うと自分で提案したにも関わらず苛立った。
ぼんやりと咲良の寝顔を眺める。布団から出ている左手が、やはりスッキリしていることに気づき無意識にその手を取った。私より小さくて熱い手だった。
「いつでも人の心配ばかりしてるね」
苦笑しながら呟く。私にうつすことばかり心配して、自分のことは二の次。もっと人に頼ることを覚えた方がいい。それとも、北野蓮也になら頼るんだろうか?
昔からそうだった。優しすぎて損することも多々ある。そうだ、例えば高校の文化祭。咲良が出し物のために必死にお菓子を焼いたのだが、他の女生徒が「自分が焼いた」と豪語していた。文化祭に参加した私と綾乃はそれが嘘だと気が付き注意しようとしたのだが、咲良はそれを止めた。
『あの子は好きな男子がいるから、ちょっと見栄を張りたいだけなの。別にいいから放っておいて』
せっかく努力した手柄を横取りされてもそう笑う始末。まあ、結局その女生徒から謝られたらしく大事にはならなかったらしいが。
そんなことばかりなのだ、彼女は。誰よりも努力家なのに報われないことも多い。それがいじらしく、私は目が離せない。
「……ごめんね」
小さく囁き、熱い左手を握った。
「こんなに追い込んでるのは僕だ。ごめん」
本当のことを告げたらなら、どんな顔をするだろう。失望されるのは分かりきっている。自分だって引いてるくらいだ、馬鹿なことをした。
君があの日、周りのことを気遣って立候補するのは分かりきっていながら綾乃を逃した。
そんな汚い手を使ってまで、欲しいものがあったんだ。
「……とはいえ、先のことを考えなさすぎた」
苦笑する。一生このまま同居人として縛り付けるつもりだろうか。咲良の幸せを奪ってまで? 私は幸せでも彼女にとっては不幸でしかない。
本当に好きな男と結ばれるのが幸せ。
ただ、それに私の精神が保てるかは別の話。
眉を垂らして少し子供っぽい表情で寝入る彼女の姿をじっと見つめ、何もはめていない薬指を撫でた。どこかに仕舞い込まれているだろうあの指輪、たった一日しか出番がなかったとは指輪にも申し訳ない。
その顔を見ていると心の奥から温かなものが溢れ出てくる。眠る彼女の額にそっと自分の顔を近づける。触れそうになった瞬間思いとどまりすぐに離れた。
苦笑いした。病気で寝込んでるところに手を出すなんて。落ちぶれたもんだな。
ため息をつきながら、それでも咲良の容体も気になるため床に座り込んだ。その左手だけは握ったままだった。体温を確かめるため……なんて、都合がいいか。
規則的に響く音楽のような寝息を耳に聞きながら、私はただ小さな左手を握っていた。
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