第14話 蒼一の想い②





 

 また仕事が始まる週明けになり、会社へ入ると、すでに咲良の噂が出回っているようで何人かに話しかけられた。


 パーティーに参加できず咲良の姿を拝めなかったので写真はないのかとか、いい奥さんを持って幸せだなとか、この前とはまるで違った人々に呆れつつも気分良く返答しておいた。


 咲良の間違った噂が落ち着いたことに少しホッとしているところに、聞き慣れた声が聞こえる。


「天海さん」


 振り返るとやはり、新田茉莉子がこちらに駆け寄ってくるところだった。


「新田さん。おはよう。パーティーお疲れ様でした」


「お疲れ様でした」


「色々準備も大変だったろうけど、さすがだね。トラブルなく終わったよ」


「そんな。ありがとうございます」


 はにかんで嬉しそうに笑う彼女は、普段とは違い少し子供っぽさが見えた。いつもはハキハキとしてまさにキャリアウーマン、という印象なので、そのギャップが面白いと思う。


 私が足を進めると、彼女も隣に並んだ。


「咲良さんも。疲れたんでしょうね」


「疲れただろうね。頑張ってくれてたから」


「以前お会いした時と随分印象が違ったので驚きました」


「はは、とても綺麗だったよね」


 なぜここで私がドヤるんだ、と自分でも思ったがつい言ってしまった。新田さんは不思議そうにこちらを見上げてくる。


「上手く行ってるんですか」


「え?」


「その、予定外の婚姻だったわけじゃないですか。しかも元婚約者の妹さんだし」


「ああ……うん、上手く行ってるんじゃないかな」


 そう小声で言った自分の左手には、指輪が光っていた。


 パーティの夜、疲れ切った咲良と家に帰り談笑した後、私たちは別々の寝室へ入った。


 その日ちょうど以前購入したベッドが届く日で、家政婦の山下さんに立会を頼み搬入してもらっていたのだ。タイミング的にバッチリだと思った。パーティーであんな普段と違う顔を見せてきた咲良を隣にして、一晩我慢できる余裕などないだろうと思ったからだ。


 別々の部屋に安心し、これでお互いゆっくり眠れると思った。ほっとしているところへ、風呂上がりの咲良が休みの挨拶をしにやってきたのでおやすみ、と返そうとして、私は気付く。


 彼女はもう指輪をしていなかった。


 スッキリした左手を見て、胸を痛める自分がいた。随分と自分勝手だ、パーティーが終わったら外してもいい、と言っていたのは自分なのだ。


 それでも——もしかしたら夫婦の証であるそれを咲良がつけ続けるかもしれないという微かな期待はあった。


 馬鹿馬鹿しい。そんなわけがないのに。周りのことを考えて仕方なく嫁いできた相手と同じ指輪なんて付けたくないに決まってる。そもそも咲良には他に好きな男がいるのに。


(……そういえば)


 ふと思い出す。以前街へ行った時に会った青年、北野蓮也という子を。


 咲良とは昔からの付き合いで、電話したりよく会う仲だという。彼は敵意にまみれた目で私を見ていた。その表情を見て気づかないわけがない、彼は咲良に想いを寄せている。


 そしてもしかすると咲良も……。私の前で見せる顔とはまるで違うリラックスした表情。蓮也の前では私を「夫」とは紹介しなかったことを、ちゃんと気づいている。本来なら、彼に指輪をはめてほしいと思っているのかもしれない。


 そう考えたとき、あまりに胸が苦しくなった。好きな人はいますと断言した咲良、その相手が彼かもしれない。


 だとすれば、想いを寄せ合う男女を見事に引き裂いているのが自分だ。言葉もない。


「うまく言ってる、って。夫婦としてですか、同居人としてですか」


 新田さんがそう言ってハッとする。つい反射的に彼女の顔を見てしまう。ポーカーフェイスを装うのは得意なはずなのに、考え事をしているところへ核心をついたことを言われて反応してしまった。


 『同居人』。それは、まさに。私と咲良の状態だった。


 触れることなく寝室すら別。誰がどう見てもおこれは夫婦ではなく同居人だ。


……仕方ない。私が望んだ。こんな形でも、咲良にそばにいてもらいたかったのは私なんだ。


「やっぱり」


 私の顔をみて、くすっと、彼女が笑う。私は一瞬崩した表情をすぐに整えて平然を装った。


「同居人なわけないでしょ。もちろん夫婦だよ」


「本当にですか? お二人からそんな感じ見られないから」


「そんな感じ?」


「夫婦って感じ。どちらかといえば、面倒見のいいお兄さんと妹です」


 ぐっと胸に言葉が突き刺さる。あまり聞きたくない言葉だった。


 わかっている。まさに私と咲良はそんな関係でやってきた。婚約者の妹として接し、彼女も兄のように慕ってくれた。私たちの間に家族愛はあっても愛情はない。


 息をするのが辛かった。自分の周りだけ酸素がなくなったのかと錯覚しそうなほど、あまりに苦しい。


 そっと自分の左手を盗み見る。どうしても私は外すことができなかった指輪、ペアの相手がいない指輪。あまりに虚しく、そんな冷たい輪に縋り付いている自分が情けなかった。


「……勘違いだよ、僕たちはちゃんと夫婦だ。パーティーに参加してた人たちはみんなそうみてたと思うよ。結婚は想定外のことだったけど、元々咲良と僕は幼馴染で仲良かったんだから」


「幼馴染で仲がいいからこそ急に男女になれないのでは?」


「……随分突っかかるね」


「いえ、そんなつもりじゃ。ただ、仮面夫婦だとしたら、姉の身代わりに妻を演じてる咲良さんも可哀想だと思って」


「ごめん、もう行かなきゃ」


 もう新田さんの方を見ることはなかった。私は彼女の言葉全てを聞き終える前に足を速め、わざとらしく腕時計を眺めた。これ以上聞きたくないという拒否だった。


 取り繕うのも限界だ。


 私は咲良を汚い手で自分のものにし、未だ縛り付けている罪悪感に押しつぶされてしまいそうだった。










「ただいま」


 夜、家に帰宅し玄関の扉を開けた時、いつもならこちらに駆けて来てくれる咲良の姿が見えなかった。


 今日は比較的早く帰ってこれたので、寝ているというのも考えにくい。風呂でも入ってるだろうか?


 一人首を傾げてリビングへ向かう。テーブルの上にはいつものように山下さんが作ってくれた料理が並べてあった。二人分だ。咲良も食事はまだらしい。


 適当に鞄をおいて洗面室の方へ向かった。廊下からドアを見つめているが、どうやら中は暗いようで光は漏れていない。


「咲良ちゃん?」


 外からノックしても返事はなかった。どこか不安になった自分はそのまま咲良の部屋へと向かう。別々になったばかりの個人の部屋だ。私はそこに向かって何度かノックした。


「咲良ちゃん?」


 すると中から微かな物音が聞こえてきた。しばらくそのまま待っていると、ゆっくりとドアノブが下がり扉がわずかに開かれた。隙間からちらりと咲良の顔が見える。


「……あ、お帰りなさい蒼一さん」


 その声と見えた顔色を見てすぐにわかった。彼女は掠れた声をし、顔は紅潮していたのだ。


「風邪ひいたの?」


 尋ねると、彼女は小さく頷いた。覇気のない顔で随分だるそうに見える。


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