第7話 咲良の想い②




 映画を観終わった後、予約しているランチのお店まで歩いて移動していた。


 人混みの中話ながら並んで歩くのは新鮮で素直に楽しい。緩む頬で先ほどみた映画の話をしていた。


「犯人私全然わかりませんでした……! あの眼鏡の人かなって思ってたんですけど」


「ああ、僕もそう思ってた! 完全に騙されたよね」


「絶対間違いないぞって思ってたのに。よくできてますね、面白かった」


「最後は切なかったね、ほんと面白かった」


「ちょっと泣いちゃいました……!」


 弾む会話に口数も増えていた。蒼一さんも笑いながら隣で話を聞いてくれている。ずっと憧れていた彼とのデートは、予想以上に心が躍ってしまう。


 ベッドを買いに行くという目的であっても、私は今日のことをずっと忘れないだろうなと思った。


 ふと周りを見渡すと、多くのカップルが楽しそうに街を歩いている。幸せそうな男女を見ながら、私たちも少しはカップルらしく見えてるだろうか、なんておこがましくも思い微笑む。


 けれどすぐに、手を繋いだり腕を組んでる様子を見て苦笑した。微妙な距離感がある私たちは、やっぱりあんな風にはいられないよね。蒼一さんと手を繋ぐなんて、一生ないのかも。


「あ、咲良ちゃん、お店はこっちに曲が」


「咲良?」


 蒼一さんが指をさした瞬間、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。二人で振り返ると、そこに立っていたのはがっしりした体つきの男の子だった。


「あれ、蓮也! よく会うね?」


 蓮也だった。ついこの前も偶然会ったばかりだというのに、まさかこんな街中でも会うなんて。彼は一人ポケットに手を入れたまま立ち尽くしていた。私と蒼一さんを交互に見ている。特に蒼一さんには、やや驚きの表情を見せていた。


 蒼一さんが小さな声で囁いた。


「友達?」


「あ、そうなんです」


 私は慌てて紹介せねば、と思い立ち蒼一さんに笑いかけた。


「幼馴染みたいな感じなんです、中学高校大学とずっと一緒で。北野蓮也くんです」


 私がいうと、蓮也は無言で少しだけ頭を下げた。さて次に蒼一さんを、と思ったところで、言葉に詰まってしまった。


 私の夫の、なんて言ってもいいんだろうか。戸籍上はそうだけど、何だかひどく違和感を覚えてしまう。


「えーと……天海蒼一さん、です、蓮也も知ってると思うけど……」


 やや言葉を濁らせた時、察したのか蓮也が声をだした。どこか冷たいように感じる低い声で、普段の彼とはまるで違う印象だった。


「咲良の結婚相手ですか」


 そんな蓮也の態度にも、蒼一さんは柔らかく笑って答えた。


「はい、そうです」


「……そっすか。何歳なんすか」


「二十九ですね」


「ふうん。七歳上か、咲良の姉ちゃんならちょうどいい年だったんでしょうね」


「……知っているんだね、結婚の経緯」


「知ってますよ、咲良の姉ちゃんが当日いなくなって身代わりになったこと。それでも結婚するんだからすごいっすね」


 流石に気づく。蓮也は敵意剥き出した。彼は私の結婚にかなり反感を持っていたから、蒼一さんにも冷たく当たってるんだろう。私は慌てて蓮也の腕を掴み、一度二人で蒼一さんに背を向けた。小声で訴える。


「蓮也! 変なこと言わないで!」


「別に真実じゃん」


「そ、そうだけど」


「咲良が気使う必要ないだろ。形だけの婚姻関係って言ってたし」


「でも、同居人状態でも上手くやっていきたいの!」


「……それは、まあ」


 口ごもる蓮也に一度睨んで念を押すと、くるりと振り返り蒼一さんの方をみた。その瞬間、どきりと胸が鳴る。


 普段、柔らかい表情でいつも笑っている彼が、どこか冷たい視線でこちらをみていた。今まであんな顔は見たことがない、と一瞬戸惑った。


 幼い頃からニコニコ面倒見のいいお兄ちゃん。そんな印象だった蒼一さんの、初めてみる顔。


 いや、初対面であんな失礼なことを言われたらさすがの蒼一さんも機嫌を損ねるのも無理はないか。私は慌てて頭を下げた。


「蒼一さん、すみません、蓮也に悪気はないんですけどちょっと口悪くて……!」


 隣の蓮也は一緒に謝る様子もなく、むすっとしているだけだ。蓮也はアホだけど、どちらかといえば誰にでも懐っこくていい子なのに、今日は随分と態度が悪い。まあ、私のために怒ってくれているのもわかるのだけれど。


 蒼一さんは一瞬、少しだけ目を細めた。けれどすぐにいつものように口角を上げる。


「ううん、お友達からすれば反感を買うのもわかるから。気にしないで」


「すみません……」


「咲良ちゃんが謝ることじゃないから」


 とりあえずこの変な空気をなんとかせねば、と強く思う。私はわざとらしく腕時計を眺めると、これまたわざとらしく大きな声で言った。


「あ! ランチの予約の時間が! えっと、蓮也ごめんまたね、今度電話する!」


 蓮也は何も答えず、ただじっと隣の蒼一さんを見つめていた。私は蒼一さんの袖を少し引っ張って、そのまま蓮也に背を向ける。


「じゃあ、蓮也くん、また」


 蒼一さんは短くそう告げた。ほっとして二人歩き出す。


 少し進んでちらりと後ろを振り返ってみたら、蓮也の後ろ姿が小さく見えた。反対方向に行ったらしい。私は胸を撫で下ろす。


 ああもう。蓮也に電話でもう一度非難しなきゃ。私のためとはいえ、蒼一さんに変な態度取るのやめてって。


「仲良いんだね。電話とかよくするんだ」


 隣の蒼一さんが言った。私はもう一度謝罪する。


「本当にすみません、蓮也根はいいやつなんです。なんていうか、その」


「わかるよ。姉の身代わりに嫁がされたなんて、友達なら怒って当然だ。彼は悪くないし、友達思いのいい子だと思うよ」


 大人な発言に安心した。さすが蒼一さんだな、と思う。普通なら怒っちゃうところだろうに。彼はまっすぐ前を向いたまま小さくつぶやく。


「まあ、あれは友達思い、っていうか……」


「え?」


「中学からずっと一緒なんだ?」


「はい、そうです。長い付き合いです」


「咲良ちゃんの表情みてわかるよ、随分気を許してるんだなって」


「あはは、腐れ縁ですからね」


「そっか、仲良い子か。そっか」


 蒼一さんは呟くようにそう言った。







 ランチは美味しいお店で舌鼓を打った。映画もランチもスマートに予約して誘導してくれる蒼一さんはやっぱり大人な男性という感じがした。


 その後二人で家具屋に向かい、ついに私のベッドを購入した。蒼一さんは色々なものを見て迷ってくれたけど、正直私は何でもよかったのですぐに決めた。


 到着するまで二週間要するとのことで、それまでは今のまま二人で寝ることになる。たった二週間じゃきっと私たちの関係は何も変わらない。


 これからはおやすみなさい、と挨拶を交わせば別々の部屋に入る。


 夫婦なんかじゃない、ただの同居人の光景になる。


 ベッドを購入した後は、適当な雑貨屋さんで食器や足りない調理器具などを購入した。可愛いブリザードフラワーなども買って家に飾ろうと話す。その会話一つ一つがとても幸せだった。


 さてそろそろ帰宅しようか、となったとき、蒼一さんが思い出したようにある店に入っていった。彼について行くと、ふわりといい香りが鼻につく。そこは紅茶専門店だった。


「わ……いい匂い」


 店内に足を踏み入れて驚いていると、蒼一さんが振り返って笑う。


「咲良ちゃん紅茶好きなんでしょ? 色々買ってみようよ」


「覚えててくれたんですか」


 確かにコーヒーが苦手で朝はよく紅茶を飲んでいる。家にはあまり紅茶はないから、好きなの買っておいていいよと言われたものの、結局私は買いに行けていなかった。


 彼は笑う。


「僕もたまには飲んでみようかな。どんなのが好きなの」


 並べてある多くの茶葉を覗き込むその姿を見て、胸が苦しくなった。嬉しいと同時に訪れるこの痛みはいつになったら消えるんだろう。優しくされる分、悲しみも訪れる。


「……蒼一さんは、優しいですね」


 心に思っていたことがポツリと声に漏れた。


 彼は驚いたように顔を上げてこちらを見る。茶色の瞳が私を捉えた。


「今日だって、映画も食事も買い物も、スムーズに進めてくれて。仕事も忙しいのに、私に気を遣ってくれて」


 私は彼の隣に並び、適当に目の前の一つを手に取って説明文を読んでみる。形だけの結婚相手なんて、放っておいてもいいのに。


「……僕は、咲良ちゃんが思ってるほど親切じゃない」


 隣からそんな声が聞こえて顔を上げた。笑みを無くした蒼一さんが私を見ている。


「僕はくだらない人間だよ」


「蒼一さんがくだらないなんて」


「ほんとに。

 きっと本当の僕を見たら咲良ちゃんは幻滅する」


 半分笑いながらそう言った蒼一さんの言葉を聞いて、私は反射的に反論した。


「絶対ないです!」


 思ったより大きな声。彼は驚いたようにこちらをみる。


「幻滅とか絶対ないです、本当に。絶対ないんですから」


 幼い頃からずっと優しく笑いかけてくれた。いつでも穏やかで、気遣いができて、頭が良くて、ありきたりだけど太陽みたいな人だった。


 私の初恋で、今も好きな人。今更蒼一さんに幻滅することなんて絶対にありえないのに。むしろ、幻滅できるならさせてほしい。報われないこの想いを諦めさせて欲しいのに。


 彼は少し黙った後、手元の茶葉に視線を移した。でも彼の瞳に、それは映ってないように見えた。


「じゃあもし万が一、僕が」


「え?」


「僕が……」


 小声で囁かれる声に耳を澄ます。一体何を言いたいんだろうか。


 それでも、蒼一さんはその後の言葉を発さなかった。小さく口角をあげて笑うと、持っていた商品を戻す。


「いや、なんでも。こっちのとかどうかな、ミルクティーに合うって」


「あ、は、はい、美味しそうですね」


 私たちはそのままぎこちなく買い物を続けた。蒼一さんが一体何を言いたかったのか、私は最後まで知ることはできなかった。


 

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