第6話 咲良の想い①
あまりに滑稽で恥ずかしくなった。
結婚したというのに一つ屋根の下にいながら手も出してもらえず、ついには寝室も別にされてしまった。私には触れないと言い切っていた蒼一さんだけど、いつかはちゃんと女性としてみてもらえるかもしれないって望みはかすかに持っていた。
それが、この有様だ。このままでいい、と勇気を出して言ってみたけれど、蒼一さんが離れたい、と望んだ。
恥ずかしくて死んでしまいたかった。
暗くなった部屋で静かに涙を流しながら、ふと考えた。もしかして蒼一さんは、いつかお姉ちゃんが帰ってきた時にやり直すつもりなのかな、と。だから私と夫婦関係を作らないというのもあるのかもしれない。
少しだけ掠れた声でそう聞いてみれば、イエスとは言われなかった。でもその代わり、『咲良ちゃんは好きな子とかいたんじゃないの』と尋ねられた。
その言葉はいとも簡単に私の心を砕いた。
そんなの、結婚相手に聞くことじゃない。私に好きな人がいると答えても、蒼一さんはきっとなんとも思わないんだ。きっとごめんね、と謝ってくれるだけ。
いないなんて嘘はつきたくなかった。私の子供の頃からの初恋を、なかったことになんてしたくない。
「好きな人は、います」
あなたです
口が裂けても言えない想いを押し殺した。案の定蒼一さんは私に謝ってくれた。その謝罪は悲しく、いっそ気持ちがなくても適当に抱いてもらえた方がずっと楽だと思った。
土曜日、私たちは街へ出かけた。
誘ってもらえた時は初めてのデートだと飛び上がって喜んだものの、家具屋にベッドを買いに行く用事だとわかった時はただ悲しくなった。
二人きりで出かけるなんて嬉しいことなのに、目的が夫婦別室のためのベッドなんて。
それでも、私が落ち込んでいることを悟られるわけにはいかないので、もう前向きに蒼一さんとの外出を楽しむことにした。嘆いていてもしょうがない、女として見られていないこの状況は変わらない。
朝早く起きて一番お気に入りのスカートを取り出し、あまり得意ではない化粧も頑張った。どこか子供っぽい自分なので、少しでもそれを隠したかった。お姉ちゃんはいつでも大人っぽくて綺麗な人だったなと思い出してしまう。
出かける時間に廊下へ出ると、私をみた蒼一さんは目を細めて『かわいいね』と褒めてくれた。嬉しさと恥ずかしさでうまく返事ができなかった。そういうことをストレートに言ってくれるのは罪な人だとも思う。
そう言う蒼一さんは、メイクなんて施していないのに私よりずっと綺麗な顔をしている。マスカラ不要の長い睫毛、ファンデーションいらずの白い肌。いつでも見惚れてしまうほど彼は素敵だ。
街中に出てその魅力を思い知らされる。蒼一さんと並んで歩いていると、女性からの視線が痛かった。いつもこんなに人から注目されているなんて落ち着かなそうだな、なんて。そして隣にいる私の場違い感がすごいったらない。
「ここだね、映画館。行こうか」
蒼一さんが見上げる。私のリクエストで、ミステリーの映画を見ることになった。恋愛ものはなんだか恥ずかしかったし、SFは苦手だ。消去法でいくとこの映画しか残されていなかった。
「ちょうどいい時間ですね」
「だね。咲良ちゃんポップコーンとか食べるタイプ?」
「欲しいですけど、お腹いっぱいになるとお昼困っちゃうから……」
「あはは、だね。ドリンクだけ買おうか。何にする?」
「え、っと、じゃあアイスティーを」
「好きだね。待ってて」
スマートな流れで私のドリンクも一緒に買いに行ってくれた。思えばチケットもすでに取ってあった。大人な男性、という感じ。私は少しドキドキしながら待つ。
でも。きっとお姉ちゃんと来てたんだろうな。長く婚約者として過ごしてたし、映画くらい見るよね。
そう考えると胸の奥がじわじわと影が広がる。
列に並ぶ彼の後ろ姿をこっそり盗み見た。周りの女の子がちょっと見惚れるように蒼一さんを見上げている。
今日は映画を観たのちランチをして、買い物に行く予定だった。雑貨と、私のベッド。多分ベッドは購入してから届くまで時間を要するはずだけど、蒼一さんと一緒に寝れるのはあとわずかということになる。
はあと息をもらした。
別室になったら、なおさら手なんか出してもらえないだろうな。本当に本当にルームシェアの完成だ。そりゃ蒼一さんのそばに入れるだけで嬉しいけど、私はルームシェアに立候補したんじゃない、蒼一さんの結婚相手に立候補したのに。
ぼんやりと考えながら立っていると、いつのまにか蒼一さんが隣に来て私の顔を覗き込んでいた。目の前に現れた綺麗な顔に、油断していた私は飛び上がって驚く。
「はは、ごめんびっくりさせた」
「す、すみませんぼうっとしてた!」
「ううん。はいアイスティー。行こうか」
「ありがとうございます……」
受け取ったドリンクをもち映画館へ入っていく。蒼一さんがスムーズに進んでいく姿を見て、やっぱりお姉ちゃんと来てたのかな、なんて思ってしまう。
座席について二人で腰掛ける。周りを見渡すとそこそこ空いているようだった。映画館独特の匂いが鼻につく。
「空いてますね」
「だね。公開して結構経つからかな」
ドリンクをホルダーに入れた時、ふと隣の蒼一さんとの距離にどきりとした。一緒に住んでいるというのに、並んで座ることなんかあまりないからだ。
触れそうで触れない肘がもどかしかった。
「この原作、すごく売れたみたいだよね知ってる?」
「あ、いえ……本好きなんですけど、ミステリーはあまり読まなくて」
「へえ、何読むの?」
「れ、恋愛とか……」
少し迷ったが正直に答えてみた。やや恥ずかしい。いやいや恋愛小説に罪はない、問題なのは私が恋愛小説好きなんて『まさに』で意外性がまるでないことなのだ。ミステリーやいっそホラーとか好きで意外性を出せば面白かったかもしれないのに。
蒼一さんは頷きながら納得したようにいう。
「なるほど、確かに咲良ちゃんらしい」
「意外性ゼロですみません」
「いや。僕たちは知り合ってこれだけ長く経つのに、まだまだ咲良ちゃんのことで知らないことだらけなんだなって思ってたよ。
色々教えてほしい。小さなことでも、なんでも」
私はつい隣の彼の顔をみた。
優しく笑っているその顔はあまりに愛しすぎて、同時に寂しさを感じた。
それは何のため? 夫婦でもないのに、蒼一さんが私のことを知ってどうするんだろう。同居していく上で上手くやっていきたいだからだろうか。
……なんて、ひねくれた考えをしてしまう私がおかしい。
一緒に暮らすんだからお互いを知っておいた方がいいに決まってる。それはごく普通の考えだ。蒼一さんのいうことは間違っていないしおかしくもない。
「はい、私も蒼一さんのこと知らないことばっかりだから、教えてください」
「そうだね。少しずつ知っていけばいいね」
どこか楽しそうに笑う彼に笑い返した。
少しずつ、なんて。
お姉ちゃんがもし万が一帰ってきたら、こんな関係終わるかもしれないのに
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