第六かん

西沢哲也

第六かんが冴えわたる

 聞いてほしい僕、宮田圭吾は小説や漫画が大好きだ。

 小さいころからたくさんの作品に触れてきたこともあって、話の冒頭を読んだ瞬間に人気作かすぐに打ち切りになりそうかわかってしまうのだ。

 えっ? なんでわかっちゃうのかって?


   それは僕の


 なんだ洒落かよって言われても仕方ないけど聞いてほしい。

 第六巻がある=少なくとも今のエピソードはまあおそらく完結して次の巻に向けて新ヒロインが登場していたとしてもちゃんと描かれていることだろう。

 そして、コミカライズや映像化も十分狙える位置には立っている。

 逆に第六巻がない=途中で打ち切りになる可能性が高いか新ヒロインのサイドストーリーが薄くなったり、アニメ化など作品の展望の望みが薄くなってしまう。

 だから、1巻を読んでいるときに第六巻が働けば、続きが読めるから安心できてクラスのオタク友達にも安心しておすすめできたし、打ち切りがわかるなら申し訳ないけど期待をしなくても済むから僕には第六巻があるというのはいいことなんだろうなと思っていた。


~~~~そんな高校時代のある日~~~~

「なあ、圭吾? 最近昔語シリーズって知っているか? 特に初めの狐昔語が面白くてさあ!」

 オタク友達の博之氏がそう尋ねてくる。

「あー、その作品ね、有名な作品だよね続編の鼠・丑の上下巻それぞれ読破済み。昔話をモチーフにした推理ものかなって思ったらコメディーも恋愛ものも入っていてすごく面白かったよね……」


「そうだよな、そうだよな!続きが楽しみだよ! この前の紙面上での作者インタビューでは続編である寅昔語シリーズでいったんは終わりにさせたいって話もあるらしいし!」

「いや、続きは難しいんじゃないのかな?」

 僕はつい、思っていた懸念を口に出してしまったのだ。

 確かにこの作品は面白いし、最後の最後にはまた、次の伏線が用意されているようにも思える。ただ、冒頭を読んだときに第六感は働かなかった。この昔語シリーズはその時は狐昔語が上下二巻分、鼠昔語が一巻分、丑昔語が上下二巻分の計五巻発行されており、続編となるであろう寅昔語のイメージが全然わかなかったのである。もちろん僕にとっても中途半端に終わるのは不本意な結果であるが、第六感がそういうのなら仕方ない…… オタク友達も色々な作品を的中させてきた僕の勘を信じて、そうかもなと肩を落として去ってしまった。


~~~~しかしその数か月後~~~~

「おいおい、寅昔語出るってよ! ほら!」

「まじか!」と、博之氏が指さした文芸冊子の先には本当に3か月後発売と書いてある。

「びっくりさせたいからって圭吾も嘘つくなよ~」

「そんなつもりじゃなかったんだけどな~」


 なんで、僕の第六感は外れたのだろうか…… その日は授業もろくに集中できず、現国の教科書の小説たちをもう一回眺めながらその理由をずっと考えていた。


 家に帰って、録画しておいたアニメでも見ようかなとレコーダーを起動させてアニメを再生し始めてCMが流れる。深夜アニメといえばそのクールの円盤のCMが多くてこれもまた新しい作品に出会うチャンスだと思ってみていた。

 すると、先日映画化された涼川シリーズのCMが流れる。

(これもまた人気作だもんな…… これもいつも間にか熱中しちゃって第六巻が浮かばなかったわ…… ってえ?)


 何かの間違いだと思って、本棚から涼川シリーズの冒頭“涼川の鬱憤”をもう一度初めから読んでみると確かに第六巻が浮かばなかった。

 まさかこの能力第六巻は通算六巻目を浮かぶのではなくタイトルの6巻を思い浮かべる能力なんだなって今頃になって気が付いた。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ちなみに今は編集の仕事をしている。今も第六感が健在で担当の作品で先が見える作品はどんどんダイナミクスな展開を促すし、見えない作品はシリーズ形式を勧めるか、小さくまとめるように指示していってなんやかんやヒットメーカー編集者としてぼちぼちやっている。

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第六かん 西沢哲也 @hazawanozawawa

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