追憶

祥之るう子

「なんでいっつも、私の気持ちが解るの?」


 いつもの、学校の屋上。

 いつもの笑顔で、黒いセーラー服姿で、彼女は笑う。

「第六感ってやつ?」

 僕の手の中のプリンを見て、目を輝かせている。

 僕はスプーンとプリンを差し出して、へらりと笑う。

「そんなのないよ」

「でも、君、いっつも私が食べたいなあって思うおやつ、持ってきてくれるじゃん」

「たまたまだよ」

「え~ほんとに~?」

 ちょっと太めのたれ眉を、さらに下げて笑う彼女は、相変わらず、三つ編みがよく似合うなあと思う。

「この前はチョコケーキだったし、その前はシュークリームで……その前はエクレア! あ、肉まんも買ってきてくれたよね! 全部ぜんぶ、ちょうど食べたいなあって思ってたときだったよ」

「そうだった?」

「そうだよ! 絶対、第六感ってやつ、あるんだよ! そうじゃなかったら、どうしてわかるの?」

「第六感なんて、僕にはないよ」

 へらりと笑うことしか、僕にはできない。

 でのが、僕はまだ見つけられてない。

 第六感なんてものがあるならきっと、見つけられるはずなのに。

「へへへ、ありがと」

 彼女は頬を赤らめて笑う。

 そして、そのまま、ぽろりと涙が頬を伝う。


「今まで、ありがとう」


 そして、ぴょんっと立ち上がって、フェンスを通り抜けて――


「大好きだよ! 早く私を忘れて、幸せになってね!」


 そう叫んで――


「うん」


 僕の声なんて聞こえてないんだろうな。

 涙をいっぱい流して、精いっぱい作った笑顔のまま、飛び降りる。


 


 これで、七周目だ。




「また失敗?」

 キィとドアが開いて、ブレザー姿の少女が入ってくる。

 幼馴染の有希だ。一緒にこの学校に入学して、もうすぐ一年。

 ずっとずっと、僕に付き合って、セーラー服のあの子が満足する方法を探してくれている大切な仲間だ。


 セーラー服は、この高校の、三十年前の制服だ。

 セーラー服姿のあの子を見つけたのは、七月の定期試験が終わったあとだった。

 有希に告白しようと心に決めて、有希を屋上に呼び出したら、そこにいた。

 最初は驚いた。幽霊なんて、見たのは初めてだったから、幽霊だと思わなかった。

 あの子は嬉しそうな笑顔で「お疲れ!」と僕に声をかけた。

 僕は有希に告白を切り出すまでの間を持たせるため、購買でプリンを買って持っていた。その袋を見て、あの子ははしゃいだ声を上げた。

「あ! プリンだ! また買ってきてくれたの?」

 またってなんだ? アンタに買ってきたんじゃない……とか、いろんな言葉が頭を巡ったけど、あの子は僕の返答や動きに関係なく、勝手にしゃべり始めた。

「なんでいっつも私の気持ちが解るの? 第六感ってやつ?」

 そこにやってきた有希は、僕の背中を見るなり息を呑んだ。


 有希には、霊感があったらしい。


 まあ思い出してみれば、うんと小さい頃、それっぽい言動をしていたなあと思うのだが、家族や友達には見えないものが自分に見えている、と理解してすぐ、有希は霊感について口を閉ざすことにしたのだそうだ。

 親に相談したら、精神科に連れていかれたので、これは誰かに話したらいけないことだ、と察したのだとか。それで、僕にもずっと言っていなかったと。

 水臭い。僕が有希を信じないはずがないのに。


 結局僕は、告白するチャンスを逃した。

 ただ、毎日、あのセーラー服の子の除霊なり成仏なりを目指して、放課後屋上で会うようになった。

 いろいろ調べたところ、三十年前、高校二年生の女生徒が屋上から飛び降りたという記事が見つかった。その後しばらく屋上は立ち入り禁止だったが、校舎を立て替えて、落下防止対策を何重にも施したということで、今は屋上を解放しているらしい。今の屋上は、高いフェンスがあり、その先三メートルくらいまだ屋上フロアがあって、さらに先にまた高いフェンスがあって、そこから一メートル先がようやく空中という形だ。もちろんフェンスはよじ登れない形状になっている。


 何周したら、あの子は満足するのだろう。

 あの子が欲しい言葉は、何なんだろう。

 きっと余命宣告されてから、飛び降りてしまうまで、毎日あの場所で大切な人に会っていたのだろう。

 あの子は最期の一週間を、あの場所に焼き付いてしまった古い動画のように、ずっとリピート再生している。

 毎日プリンを持って行っても、「エクレアだ!」とか「肉まんだ!」とか言って喜ぶ。何を持っていっても、僕が何を言っても、リアクションは変わらない。

 ただ、ちょっとずつ会話が成立していくような感覚があった。

 前後のあの子の台詞から、に立っていたのであろう人物の返答を予想して答える。その返答が正解したとき、あの子と目が合う気がするのだ。

 このことから、もしかしたら、全部上手に回答出来たら、成仏するかもしれないということになり、毎日有希と一緒にトライアンドエラーを繰り返しているというわけだ。


「ねえ、もしかしたらなんだけど」

 今日も失敗だったとため息をつきながらの帰り道、有希が足元を見つめながらつぶやいた。ショートボブの髪がちょうと有希の目を隠していて、マスクをしている有希の表情は読めない。

「私たち今まで、あの子と相手がもう恋人だったと思って台詞を考えてたじゃない?」

「うん」

 確かにその通り。今まで試した、あの最後の台詞は「君との付き合いは長いから」とか「ずっと一緒にいるから」とか「君のことが大好きだから」とか、恋人同時の台詞を想定したものばかりだった。

「もしかして、まだ付き合ってなかったんじゃないかと思って」

「え?」

 でも、あの子は最期に「自分のことを早く忘れて幸せになれ」と叫ぶ。それって付き合ってるって相手に言うことじゃないのかな?

「いわゆる、両片思いってヤツ」

 有希が僕を見た。

 瞳がうるんで揺れていて、不覚にもドキッとしてしまった。

「そ、そうか……も?」

「それで、考えたんだけど、次、この台詞で行ってみない?」



    ◇◇◇◇◇◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇



「第六感ってやつ?」

 僕の手の中のプリンを見て、目を輝かせている。

 僕はスプーンとプリンを差し出して、へらりと笑う。

「そんなのないよ」

「でも、君、いっつも私が食べたいなあって思うおやつ、持ってきてくれるじゃん」

「たまたまだよ」

「え~ほんとに~?」

 いつものやりとりをする。

 僕は心の中で、昨日有希に提案された答えを何度も繰り返した。

「この前はチョコケーキだったし、その前はシュークリームで……その前はエクレア! あ、肉まんも買ってきてくれたよね! 全部ぜんぶ、ちょうど食べたいなあって思ってたときだったよ」

「そうだった?」

「そうだよ! 絶対、第六感ってやつ、あるんだよ! そうじゃなかったら、どうしてわかるの?」


 さあ、今だ。

 緊張で、プリンを持つ手が震える。


「これからもずっと、毎日、君が食べたいものをずっと当ててみせるからさ。だから、僕と、付き合ってくれませんか?」


 三つ編みが揺れて、彼女が目を見開いた。

 バチッと目が合う。


 ふにゃっと、幸せそうに微笑んだ。


 僕の心臓は、期待と不安が綯い交ぜになって、うるさいくらい高鳴った。


「へへへ、ありがとう」


 ぴょんっと立ち上がる彼女。

 その目に涙はない。


「今まで、ありがとう」


 ふわりと、彼女の身体が浮き上がる。


「その台詞さ、ちゃんとあの子にも言ってあげてね! ずっとハラハラしてたんだから。人間、いつ死んじゃうか解らないんだから、伝えたい気持ちはちゃんと伝えて、一秒でも長くラブラブしなくちゃね!」


 初めて聞く言葉と、初めて見る笑顔。

 これは、記憶のリピートなんかじゃない。

 今、彼女が確かに僕に語り掛けてきた言葉だ。


「ちゃんと、幸せになってくれて、ありがとうって、孝則くんに伝えてね!」


「え?」


 たかのり? それは、父さんの名前だ。

「あの……!」

 父さんを知ってるんですかという問いが声に出る前に、彼女はウインクして、キラキラ光りながら消えていってしまった。



 キィ、と扉が開く。


「すごい……成功した……?」

 有希が、涙目でこちらを見ていた。

「うん」

 僕は、答えて、まだ高鳴っている鼓動を抑えられないまま、振り向いた。


 父さんの名前を、どうしてあの子が知っていたのか、それは気になるけど、今はまず、やらなきゃいけないことがある。


「すごいね、よかったね、すごく、綺麗だった。あんなの初めて見たよ」

 感動で泣き始めた有希を、僕は正面から見つめた。


「あの、有希。伝えなきゃいけないことが、あるんだ」


 目を見開いた有希の頬を、夕暮れが赤く照らした。


「有希。ずっと、ずっと前から好きだったんだ。僕と、付き合ってください」


 有希の目が、一度瞬きをして、大粒の涙が零れ落ちて。

 夕日に照らされた涙が、キラキラ光った。


「はい。喜んで」

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