第107話「危機」

 大学入学共通テストの日がやって来た。

 今日と明日、学校で受けることになっている。いつもと同じ環境でテストを受けられるのはありがたかった。少しは落ち着いて受けることができるかもしれない。

 北川先生も言っていたように体調管理が大事だと思って、昨日は早く寝た。寝る前にテストを受けるみんなから、『明日、明後日、頑張ろうね』というようなRINEが送られてきた。僕は返事をしながら、今まで頑張ってきたから大丈夫だと自分に言い聞かせていた。


「お兄ちゃん、ついに本番だねー、頑張ってね!」


 朝ご飯を食べた後、日向がみるくと遊びながら言った。


「うん、ありがとう。なんとか頑張ってくるよ」

「お兄ちゃんなら大丈夫だよー、全教科満点で学校のトップオブトップになるんだよね!」

「い、いや、さすがにそれは無理かな……でも、それに近づけるようになりたいな」

「ふふふ、ついに本番ね、団吉もみんなも頑張ってきたから大丈……あ、いた、いたたたた……」


 その時、母さんがコップを落とした。パリンという音がしてコップが割れた……のと同時に、母さんがダイニングで膝をついている。


「あ、母さん割っちゃった……って、母さん?」

「……いたた、いたたたた……」

「……あれ? お母さん……お母さん!?」


 日向がバタバタと足音を立てて母さんの元へ行く。母さんはお腹のあたりを手で押さえて、苦しそうな顔をしている。


「か、母さん!? どうしたの!?」


 僕も慌てて母さんの元へ行く。母さんに話しかけるが、苦しそうな顔は変わらない。


「お母さん! お母さん!!」

「……ちょ、ちょっとお腹のあたりが……痛くて……いたた、いたたたた……」

「母さん! どうしよう、これは病院……いや、歩ける感じじゃないな、救急車か……!」

「お兄ちゃん、お兄ちゃんは学校に行って! お母さんには私がついてるから! テストに遅れちゃう!」

「い、いや、それはできない、母さんを病院に連れて行かないと……!」

「いいから! お兄ちゃんは行って!!」

「できないって言ってるだろ!!」


 しまった、つい大きな声が出てしまった。日向がビクッとして目からぽろぽろと涙があふれていた。


「ご、ごめん日向、大きな声出してしまった……」

「……う、ううん、大丈夫……お母さん、お母さん!」


 僕は胸がざわざわした。そして父さんのことを思い出していた。父さんも倒れてから救急車で運ばれたのだ。嫌な予感がする。その予感は外れてほしいのだが、こうして考えている間にも時間は過ぎていく。母さんは動けそうにない。まずは救急車かと思ってスマホを取り出したその時、母さんに手を掴まれた。


「か、母さん……?」

「……団吉は学校に行って……お願いだから……お母さんは大丈夫よ……」

「……いや、それはできない、母さんのことが心配だ、救急車呼ぶね」

「……日向が……やってくれるから……お願い、学校に行って……こんなことで、団吉の人生、無駄にしたくないの……」

「お兄ちゃん、私が救急車呼んでついて行くから、お兄ちゃんは学校に行って……お願い……」


 日向が泣きながら僕に言った。二人を見た僕は――


「……分かった、行くよ。日向、何かあったら絶対にRINEしてくれ!」

「うん、分かった、こっちは大丈夫だから、気をつけて!」


 僕は二人の手を握った後、鞄を持って家を飛び出した。本当にこれでよかったのだろうかと、ずっと考えていた。



 * * *



 共通テストを頑張って受けた。頭の中では苦しそうな母さんの顔が浮かんでいたが、母さんのためにも頑張らないといけないと思った僕は、今までの力を全部出した。いつも以上に解けた気がする。

 テストが終わって、僕は誰とも話すことなくダッシュで学校を出た。RINEを確認すると、日向から『この病院にいます』とリンク付きでメッセージが送られてきていた。僕は病院を確認して、駅前から電車に乗った。しばらく揺られて病院の最寄り駅に着き、それからまたダッシュした。

 このあたりでは一番大きいと思われる病院に母さんと日向がいるみたいだ。病院の入口でふーっと呼吸を整え、日向が教えてくれた病室に行く。病室の戸を開けて入ると、奥に日向がいて、母さんがベッドに横になっていた。


「あ、お兄ちゃん、終わったんだね」

「ああ、今日のテストは終わったよ。母さん、大丈夫……?」

「……ごめんね団吉、大事な時にこんなことになって……もし団吉がテスト受けられなかったらどうしようと、心配で……」

「そんな、いいんだよ、テストなんて今日が一生で最後というわけじゃないし。日向は病院の先生の話聞いたのか?」

「うん、急性胃腸炎だって。お母さん昨日も熱があったのに、私たちに隠してたんだよ。私も怒っちゃったよ」

「……だって、団吉の大事な時なのに、心配かけたくなくて……」

「母さん、心配するのは当たり前だよ、僕たち家族なんだから。何かあった時は何でも話してくれないと……って、もう日向が怒ったならいいか。今日は入院になるのかな?」

「うん、念のため一日だけ入院しましょうって先生が言ってたよ。ゆっくり休めば大丈夫だって」

「そっか……実は父さんのこと思い出してね……まさかと思ってしまったよ。でもよかった、母さん、ゆっくり休んで」

「うんうん、お母さん、ゆっくり休んで元気になってね」

「……ありがとう、団吉は明日もテストでしょ? 団吉も日向も帰ってゆっくりしてね。みるくが待ってるわ」


 僕と日向は病院を出て帰ることにした。そうか、母さんは大丈夫か。急に全身の力が抜けたような感じになり、ちょっと立ち止まってしまった。


「お、お兄ちゃん? どうしたの?」

「あ、ごめん、安心して力が抜けたみたい……よかった、さっきも言ったけど、父さんみたいになったらどうしようと思ってしまって」

「うん……私も同じこと考えた。でもよかった……お母さん、早く元気になるといいね」


 日向がそう言って僕の手を握ってきた。日向も朝から頑張ったのだ、今日は許してやろうと思った。あれ? いつもと一緒か。

 家に帰るとみるくが「みー」と鳴きながら僕たちを出迎えてくれた。この家に早く母さんが帰って来れるといいなと思った。

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