第6話「優しすぎる」
一年生のテストの日の翌日、放課後になり、僕は帰る前にトイレに行っておこうと思って、鞄を机に置いたままトイレに向かった。たまたまトイレで木下くんと一緒になった。断じて連れションではない。いやどっちでもいいか。
昨日は家に帰ると日向が「も、もうダメ……」とヘロヘロになっていた。いきなりのテストで疲れたのだろう。しかしそんなことでは高校生活を楽しめないぞと一応先輩として忠告しておいた。でもちょっとうざかったかもしれない。
木下くんと本の話をしながら教室に戻っていたその時だった。
「――あ、お兄ちゃん!」
いきなり声をかけられたので振り向くと、日向と真菜ちゃん、そして見かけない子がこちらに来ていた。
「お兄ちゃんお疲れさまー、あ、木下さんお久しぶりです!」
「お兄様、木下さん、お疲れさまです」
「はひ!? お、お久しぶりです。そ、そうか、うちの高校に入学したんだね」
「お、おお、お疲れさま、みんな帰るところ?」
「うん、その前にちょっとお兄ちゃんに会いたいって言ってる人がいて。こちら、同じクラスの
日向に紹介された見かけない子が、一歩前に出た。
「こんちわ! はじめまして、潮見梨夏って言うますよ……あれ? なんか変だな?」
「あはは、梨夏ちゃん、敬語が変だよー」
日向と真菜ちゃんがクスクスと笑った。なるほど、梨夏ちゃんと言うのか。背は真菜ちゃんと同じくらいだろうか、髪を両サイドで結んでいて、なんだか可愛らしい子だった。ちょっと敬語が変だったが、言い間違いもあるよなと思った。
「あはは、ごめんなさーい、私敬語が苦手で。あなたがひなっちのお兄さん?」
「あ、は、はい……って、ひなっち……?」
「ああ、私梨夏ちゃんにはひなっちって呼ばれてるんだよー。真菜ちゃんがまなっぺ」
「あ、そ、そうなのか……」
なるほど、あだ名か。そういえば僕はあだ名で呼ばれたことがあまりないなと思った。まぁ、昔は友達も少なかったのだが……。
「へぇ、お兄さん可愛い顔してるね、名前何て言うの?」
梨夏ちゃんがさらにグイっと僕の方に来た。な、なんだろう、近いな……それよりも、名前か……また嫌なことを思い出してしまった。でも訊かれたからには答えないといけない。
「あ、な、名前は……日車団吉、です」
「ふむふむ、なるほど、団吉……いい名前だね! じゃあそうだな、お兄さんは『だんちゃん』で!」
「だ、だんちゃん……?」
「うん、我ながらいい名前だと思う! 隣のお兄さんは何て名前?」
「はひ!? ぼ、僕? あ、き、木下大悟と言います……」
「ふむふむ、大悟か……じゃあお兄さんは『だいごろー』で!」
「はひ!? だ、だいごろー……?」
「うんうん、二人とも可愛い顔してるね、えいっ!」
急に梨夏ちゃんが僕と木下くんの間に入って来て、僕の左腕と木下くんの右腕に絡んできた。
「え!? り、梨夏ちゃん!?」
「はひ!? え、あ、どういうこと……!?」
「あはは、だんちゃんのことはひなっちやまなっぺから聞いてたんだー、私とも仲良くしてくれると嬉しいなー!」
「あ、そ、そうなんだね、よ、よろしく……」
「り、梨夏ちゃん! あわわわ、あの、その……」
「り、梨夏ちゃん! は、離れた方が……」
あ、あれ? 日向と真菜ちゃんがなぜか慌てている。どういうことだろうと思ったら――
「――団吉、その子、誰?」
「――大悟、それどーいうこと?」
僕と木下くんの背後から恐ろしく低い声が聞こえてきた。僕と木下くんがおそるおそる振り向くと、なんと絵菜と杉崎さんが怖い顔で立っていた。
「ああ!! い、いや、これは、あ、こちら日向と真菜ちゃんの友達で、潮見梨夏ちゃんと言って……」
「はひ!? あ、い、いや、何でもないんだ、うん、何でも……」
「……しすぎる……」
「……え?」
「……団吉は優しすぎる! 私の気持ちも知らないで! もういい!!」
急に大きな声を出した絵菜が、廊下を走って行った。
「あ、姐さん! 待ってください!!」
杉崎さんも大きな声を出して、絵菜を追いかけて行った。
「あ、え、絵菜!」
僕も追いかけたかったが、左腕を梨夏ちゃんに掴まれたままだった。
「……あ、あれ? 今のって、もしかして……」
「り、梨夏ちゃん、今の、絵菜さん。真菜ちゃんのお姉さんで、お兄ちゃんとお付き合いしている……」
「……え!? あ、わ、私、二人が可愛いからつい……ごめんなさい、勘違いさせちゃったかも……」
梨夏ちゃんがスッと離れて少し下を向いてしょんぼりしている。
「あ、い、いや、梨夏ちゃんが悪いわけじゃないよ、大丈夫だよ」
そう言った僕だったが、心臓が今まで以上にバクバクしていた。え、絵菜を怒らせてしまった、ど、どうしよう……。
* * *
とぼとぼと家に帰った僕は、部屋で「はあぁ」と大きなため息をついてしまった。
絵菜を怒らせてしまった……たしかに梨夏ちゃんに突然抱きつかれたとはいえ、その場でやめてほしいとか言えばよかったのだ。悪いのは僕だ。優しすぎるのも問題だなと思った。
立ち上がったり、椅子に座ったり、ベッドに腰掛けたり、とにかく落ち着かなかった。少し前に絵菜に『ごめんね、僕が悪かった』とRINEを送ってみたのだが、既読にもならないしもちろん返事も来ない。
(うう、落ち着かない……絵菜に嫌われてしまったのかな……)
絵菜のことが頭から離れない。可愛い笑顔だったり、きゅっと手を握ってきたり、寂しくなって抱きついてきたり、ずっと僕のそばにいてくれた絵菜が、もしかしたら「もう無理、別れよう」とか言うんじゃないかと思うと、心臓がバクバクして止まらなかった。
コンコン。
部屋の扉をノックする音が聞こえた。「は、はい」と言うと、日向が入って来た。
「お兄ちゃん……大丈夫? ごめんね、私が梨夏ちゃんを紹介するなんて言ったから……」
「い、いや、日向が悪いわけじゃないよ、もちろん梨夏ちゃんも。僕が悪いんだよ。たしかに絵菜の言う通り、僕は優しすぎたんだよ」
「そんな、お兄ちゃんは優しいところがいいのに……」
「……でも、やっぱり絵菜に嫌な思いをさせてしまったんだ。僕が悪いよ」
「う、うう、どうしよう、絵菜さんがお兄ちゃんのこと嫌いになってしまったら……」
「だ、大丈夫だよ、それよりも日向は梨夏ちゃんが落ち込まないようにフォローしてやってくれ」
「うう……うん」
泣きそうになる日向だった。いや、泣きたいのは僕も一緒かもしれない。大丈夫だよと言ったが、不安で押しつぶされそうになっている。
どうしよう、こういう時どうすればいい? 必死に考えてみるが、なかなかいい答えは出て来なかった。
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