番外編第1話「優しい日車」

(うーん、分かんないな……)


 私は問題集とノートを交互に見てうんうんと唸っていた。ペンが進むようで進まない。たぶん数と式の簡単な問題だと思うが、大苦戦していた。昔から算数や数学は苦手にしていたところがある。

 中学の頃は勉強をサボっていた。そのせいで高校入試がしんどかった。この金髪でも怒られないような高校はないかと探したら、なんと中学を卒業して引っ越す予定の家から歩いて行ける高校が校則が緩く、大丈夫だと知った。しかし私の頭では行けるレベルではなかったので、その時から勉強をかなり頑張った。あれは本当にきつかったな。

 中学の先生たちは「髪を黒くして来い」とうるさく、その度にぶつかっていたが、中学三年の担任の先生だけは「沢井さんのやりたいようにやりなさい」と、金髪でいることを許してくれた。私のようなどうしようもない奴でも見捨てることなく、毎日のように勉強も見てくれた。そのおかげで高校にも無事に合格した。


(うーん、日車にRINEで聞くか……いや、今度こそ『こんなのも分からないの?』って言われそう……)


 私は一旦問題集とノートから目をそらして背伸びをした。高校では真面目にしておきたいだけに、今度のテストも日々の勉強をサボったまま受けるわけにはいかなかった。

 そんな私に一生懸命勉強を教えてくれた人がいた。名前は日車団吉。今思い出してもちょっとめずらしい名字と名前だなと思う。


「ひ、日車、だ、団吉です……よ、よろしくお願いします」


 高校に入学した時のホームルームで、短い自己紹介をみんなすることになったのだが、日車はこんなに短い文章なのに三回も噛んでいた。周りからはクスクスと笑い声が聞こえていた。その時はめずらしい名前だなということしか思わなかった。

 私と日車はその後も話すことはほとんどなかった。チラリと見たことはあるが、日車もけっこう一人でいることが多い。あ、同じクラスの火野はよく話しかけているみたいだ。私も優子以外の人とはほとんど話さないので、とやかく言える立場ではなかった。

 そんな日車にこの前苦手な数学を教えてもらった。ほとんど話したことないこんな私にも、日車は優しく分かりやすく教えてくれた。たぶん勉強ができるんだろうな、どんな質問にも嫌な顔せず、バカにすることもなく、躓くこともなくすらすらと答えていた。

 学校で優子も入れて三人で勉強をしていた時、クラスメイトの陰口に日車は怒った。私はびっくりしたが、嬉しい気持ちになった。こんな私のために本気で怒ってくれるなんて思わなかった。

 私はそんな日車が少しずつ気になっていた。よ、よく見ると可愛い顔をしている……そして優しい……って、私は何を考えているのだろう。


(うーん……ダメだ、どうしても分からない。日車に聞くしかないか……)


 もう一度問題集とノートとにらめっこしてみたが、結局分からないので、日車にRINEを送ってみることにした。


『ちょっと数学で質問があるんだけど、今いい?』


 突然すぎるかと思ったが、そのまま送る。すぐに返事が来た。


『うん、大丈夫だよ、沢井さんも今勉強してるんだね』


 やっぱり私が勉強していることをバカにすることはなかった。私はちょっと嬉しくなった。


『ありがと、問題集の十五ページの問四なんだけど、分かんなくて』

『ああ、答え言っちゃうといけないから、ヒントを言うね。xが四乗になってるから、まずxの二乗でくくって二乗の形にするんだ。それは分かる?』

『あ、なるほど……うん、分かる』

『うんうん、そしたら、Aの二乗-Bの二乗=(A+B)(A-B)っていう因数分解に持っていけるのは分かる?』

『あ、そうか……AとBに当てはまるのが分かった』

『うんうん、大丈夫そうだね、基本的に二次式、xの二乗みたいな、その形に持っていくって覚えておくといいよ』

『そっか、四乗のままなんとかしようとしてた、ありがと』

『たしかに一瞬なんとかなるんじゃないかっていう形してるもんね、分かるよ』

『なるほど。日車って勉強できるんだな』

『え、あ、いや、数学は好きだから分かるというか、なんというか』

『そっか、私なんて全然ダメで。こんな問題も解けないのかって思ってるだろ?』

『え!? い、いや、そんなことないよ!』

『ふふっ、冗談だよ。教えてくれてありがと』

『ううん、大丈夫、分からなかったらいつでも聞いてね』


 いつでも聞いてね……か。やっぱり日車はこんな私にも分かりやすく教えてくれる。私はしばらく日車とのRINEのやりとりを見てニヤニヤしていた……って、あ、危ない人だな、誰もいなくてよかった。


 コンコン。


 その時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。私は飛び上がりそうになるくらい驚いてしまった。「は、はい」と言うと、真菜が入ってきた。


「お姉ちゃん、お風呂上がったから入っていいよ……って、あれ? 勉強してたの?」

「あ、ああ、テストが近いから、やっておこうと思って」

「まあまあ、そうなんだね。そうだ、お姉ちゃん高校で友達出来た? あ、優子さんはなしだよ」

「う、うーん、あんまりいないかな……」


 私は一瞬日車の顔を思い浮かべたが、恥ずかしくなって言うのはやめた。日車も私なんかに友達って言われるのは嬉しくないだろう。


「そっか、まぁまだ一学期だもんね。そのうちお姉ちゃんにいい人が現れますように」

「い、いい人って何なんだ……お風呂入ってくる」

「うん、ぬるくなる前に入ってきて」


 ゆっくりと湯船につかりながら、私は日車のことを思い出していた。優しくて、勉強もできて、実は可愛くて……って、わ、私どうしたんだろう、気がついたら日車のことばかり考えている。


(……日車はきっとみんなに対して優しいんだよな……私にだけっていうのも変だし……でも、私にだけ優しくしてほしいというか……)


 そこまで考えて、ブルンブルンと首を振った。わ、私おかしいのかな、早くお風呂から上がって続きをやらないと。

 日車も今頃勉強しているのかな、そんなことを思う私だった。

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