第78話「兄として」

 週末の土曜日、僕は三時までバイトをこなしていた。まだ先のことだが、三年生になると学業が忙しくて入れない日も多くなるかもしれない。今のうちにできることはやっておきたいと思った。店長も「日車くん、学業優先で、無理しないようにね」と言ってくれている。パートのおばちゃん達もいつも心配してくれるし、みなさんのためにも自分にできることはきちんとやりたいところだ。

 三時になり、家に帰る。外は涼しい風が吹いていた。今日はお客さんが家に来ることになっている。僕は緊張しつつ少し急いで帰った。


「ただいまー……あ、もう来てるのか」


 玄関に入ると、母さんと日向の靴の他に、見慣れない靴が一足あった。お客さんはもう来ているらしい。僕はドキドキしながらリビングに行く。


「あら、団吉おかえり」

「お兄ちゃんおかえりー、もう来てるよ」


 日向がそう言うと、座っていた男の子がスッと立ち上がった。


「お兄ちゃん、こちらが長谷川健斗はせがわけんとくん。健斗くん、私のお兄ちゃん」

「は、は、はじめまして! 長谷川と言います! よ、よろしくお願いします!」


 そう言って男の子は深々と頭を下げた。そう、あの日向に告白した長谷川くんがうちに来たのだ。


「あ、はじめまして、日向の兄で団吉と言います……よ、よろしく」


 こ、こういう時兄はどういう顔をすればいいのか分からなかった。妹に初めてできた彼氏だ。長谷川くんは僕と同じくらいの身長だろうか、スラっと細くて真面目そうでカッコいい雰囲気があった。チャラい感じではなくてよかった……と心の中で思っていた。


「お、お話は日向さんから聞いています、な、なんでも世界一、いや宇宙一のお兄さんだとか!」

「ちょ!? け、健斗くん!?」


 あ、日向も長谷川くんも、下の名前で呼ぶようになっているのか……って、気にするところはそこではない。真菜ちゃんと初めて会った時を思い出した。あの時も真菜ちゃんが世界一とか宇宙一とか言っていたな。日向は学校でどんな話をしているのだろうか。


「……あ、あれ? なんか違った?」

「い、いや、そんなに違うこともないんだけど……ご、ごめんねお兄ちゃん、あはは」

「い、いや、いいんだけど、日向が学校でどんな話しているのかすごく気になってきた……」

「え!? ま、まぁ、普通の話なんだけどね……あはは」

「そっか、それにしても長谷川くんと会う日が来るなんて、不思議な感じがするよ」

「ぼ、僕も、まさかあのお兄さんとお母さんと会うことになるとは思わなくて、じ、実は緊張しています……」

「な、なんか日向が色々言っているみたいだね……まぁいいや、長谷川くんは日向のどこがよかったの?」


 そこまで言って、なんだか兄というより父親みたいだなと思ってしまった。まぁうちは父さんが亡くなってから、男は僕一人だ。日向とは歳が二つしか離れていないが、優しかった父さんの代わりもできたらいいなと思っていたところはある。日向がどう思っているかは分からないけど。


「ひ、日向さんはいつも明るくて、元気で、人気があって、か、可愛くて、そんなところが好きになったというか……って、こ、これ話すの恥ずかしいですね……」

「そっか、よかったなぁ日向、こんなにカッコいい子が好きになってくれて」

「え!? あ、そ、そうだね……私でいいのかなーなんて……」

「なんだよ、日向も長谷川くんのこと好きなんだろ? そういえばラブレターもらった時も僕に見せてき――」

「わ、わーっ! お、お兄ちゃん、掘り返さないで! ご、ごめんね健斗くん……あはは」

「い、いや、そういえばラブレター渡したね……恥ずかしいな……」

「あの頃からずっと日向のこと想ってくれてたんだよね、日向もずいぶん待たせたなぁ、せっかく好きになってくれたのに」

「い、いえ、最初はたしかに断られて寂しかったですが、その後もよく話してくれて、あ、諦められなかったというか……」

「そっか、その諦めない気持ちが、日向にも届いたみたいだよ」


 ふと日向の方を見ると、顔を赤くしてあわあわと慌てている。なるほど、こうやって兄離れしていくのか。ちょっと寂しいなと思った自分もいたが、これも日向のためだ……って、本当に父親みたいだな。


「よ、よかったです、日向さんが好きだって言ってくれて、とても嬉しかったです。諦めてたら後悔するところでした」

「うんうん、諦めたらそこで試合終了なんてよく言うけど、本当にそうなんだなって思うよ。これからも日向のことよろしくね」

「は、はい! そ、それと、お兄さんともぜひ、仲良くさせてもらえると嬉しいなと……あ、お兄さんは勉強がものすごくできると日向さんから聞いていて、その、僕にも教えてもらえると嬉しいです!」

「ああ、いいよ、勉強はいつでも教えるよ。日向も長谷川くんを見習ってちゃんと勉強するんだぞ」

「う、ううー、お兄ちゃんがまた勉強のこと言ってる、アホー」


 ぶーぶー文句を言う日向を見て、みんな笑った。


「あ、せっかく長谷川くん来たんだし、ここじゃなくて日向の部屋に案内したらどうだ?」

「そ、そうだね、健斗くん、こっちに私の部屋あるから……」

「あ、う、うん、すみませんお兄さんお母さん、ちょっと失礼します」

「お兄ちゃん、い、一応勉強してるから、後で教えて……」

「うん、分かった、後で行くよ」


 日向と長谷川くんが日向の部屋に行った。僕はリビングでふーっと息を吐く。


「ふふふ、ついに日向にもいい人ができるなんてねー、健斗くんいい子じゃないの」


 黙って聞いていた母さんがニコニコしながら言った。


「うん、いい子みたいだね、チャラい子が来たらどうしようってちょっと心配してた……」

「ふふふ、団吉も一緒よ、絵菜ちゃんを初めて連れて来た時を思い出すわ。二人とも大きくなってるんだなって嬉しくなるわ。それにしても団吉はちょっとお父さんっぽかったわね、お父さんに似てきたのかしら」

「え!? あ、まぁ、自分でもちょっと父さんみたいだなって思ってしまったよ。父さんもたぶん喜んでくれてると思う」

「そうね、団吉も日向もこんなに大きくなって、お母さんも嬉しいわ。あ、なんか日向が呼んでる声がするわね、行ってあげたら?」


 え!? もう僕を呼ぶのかと思ったが、早く来てと言うので日向の部屋に向かった。

 その後二人の勉強を見てあげた。長谷川くんは真菜ちゃんと同じくらいかな、難しい問題でもコツを教えればちゃんと解けていた。そっか、母さんも僕が父さんっぽいと思ったのか。日向の成長を一番喜んでいるのは僕かもしれない。

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