第51話「不穏」

 オープンスクールの次の日、僕はこの日もいつも通りバイトをこなしていた。

 よく一緒になるパートのおばちゃんから「日車くん頑張るねぇ、でも無理しないようにね」と言われた。たしかに無理をして倒れたりしたら大変なので、一応気をつけているつもりだ。

 三時にバイトが終わり、歩いて帰ってからスマホを確認した。着信が入っていた。しかも一件だけではない。二時くらいから数回にわたって着信があったようだ。電話をかけて来ていたのは全部絵菜だ。

 RINEは何も来ていない。おかしいなと思ってとりあえず絵菜に電話をかける。しかししばらくコールしても出なかった。


(あれ? 忙しいのかな、ちょっと待ってみるか)


 とりあえず待つことにしてリビングでのんびりしていると、五分後くらいに絵菜から電話がかかってきた。


「もしもし、ごめん、バイトで電話に出れなくて。何か用事だった?」

「……だ、団吉……」


 あれ? いつもの声と違う。まだ『団吉』としか言っていないが、声が震えているように聞こえた。それ以上絵菜は何も言わない。


「もしもし、絵菜? どうかした?」

「……団吉……わ、私……」


 ぐすんと鼻をすする音が聞こえた。もしかして泣いているのか? 


「絵菜? どうした? 何かあったの?」

「……ち、父親が、突然家に来て……勝手に上がり込んできて……真菜に手を上げたから、カッとなって、殴ってしまって……」


 絵菜が震えた声でぽつぽつと話す。僕は胸がざわざわした。絵菜の家はたしか両親が離婚していると言っていたが、父親が来た……? どうしてだろうか。とにかく今二人に大変なことが起きている気がした。


「絵菜、今絵菜と真菜ちゃんは家にいる?」

「う、うん……」

「分かった、今からすぐそっち行くから、そのまま待ってて!」

「……うん、団吉、助けて……」


 絵菜の声がどんどん小さくなっていく。僕は何度も『そのまま待っててね! 一旦切るね!』と伝えて電話を切った。ふと横を見ると心配そうな顔で僕を見る日向がいた。


「お、お兄ちゃん、大きな声出してたけど、どうしたの……?」

「ハッキリとは分からないけど、絵菜と真菜ちゃんに何かがあったみたい。ちょっと行ってくるよ」

「え!? あ、わ、私も行く!」

「そっか、分かった、急ごう、二人が心配だ」


 絵菜の震えた声が耳から離れなかった。とにかく今は急いで二人の元へ行くしかなかった。



 * * *



 僕と日向は走って絵菜の家へと向かった。ちょっと息が切れたので、呼吸を整えてインターホンを押す。しばらくして絵菜が出てきた。


「え、絵菜さん!」

「絵菜! 大丈夫!?」

「……団吉……日向ちゃん……」


 目を真っ赤にした絵菜は、ぎゅっと僕に抱きついて来た。鼻をすする音が聞こえるのでまた泣いているみたいだ。


「絵菜、怪我とかない? 真菜ちゃんは?」

「……ちょっとだけ右手がじんじんするけど、大丈夫……真菜はリビングにいる」


 三人でリビングに行くと、真菜ちゃんがソファーに腰掛けて俯いていた。


「真菜ちゃん! だだだ、大丈夫!?」


 日向がすぐに真菜ちゃんに駆け寄る。真菜ちゃんは顔を上げると、目から涙をぽろぽろとこぼした。


「真菜ちゃん、怪我はない?」

「日向ちゃん、お兄様……頬を叩かれましたけど、大丈夫です……」


 真菜ちゃんの肩が震えている。僕は真菜ちゃんの横に座って、そっと頭を僕の方に寄せた。真菜ちゃんはぎゅっと僕に抱きついて来た。


「絵菜、父親が来たの?」

「……うん、急に来て、金を貸せって言いながら強引に上がり込んできて……最初真菜が出て『帰って』って追い出そうとしていたんだけど、その真菜に手を上げて……それを見てついカッとなって、頬を思いっきり殴ってしまった……びっくりしたのか私を突き飛ばしてそのまま出て行ったけど、私、殴ってしまった……」

「……そっか、そんなことがあったのか、絵菜、こっちに来て」


 絵菜を呼び寄せると、僕は絵菜と真菜ちゃんを一緒に抱きしめた。二人とも僕に抱きついて泣いている。それぞれ背中をさすってあげた。


「父親とはいえ、大人の男だ、二人とも怖かったよね、でももう大丈夫だから、僕も日向もいるよ」

「あんな奴、父親じゃない……! 真菜に、真菜に手を上げて……!」

「うん、あまり人の家のことに口を出すのはよくないけど、僕も怒りがおさまらないよ。でも絵菜は真菜ちゃんを守ったんだよね、偉いよ、それでこそお姉ちゃんだ」

「お姉ちゃん、ありがとう、お姉ちゃんがいなかったら、私もっとひどい目にあってた」

「……でも、私、殴ってしまって……とっさのこととはいえ、よくなかったんじゃないかって……」

「ううん、大丈夫、仕方ないよ、そうしないといけなかったんだよ、悪いのは父親だよ、絵菜、あまり自分を責めないでね」

「……うん、団吉、ありがと……」


 二人の涙が止まらない。僕は二人の背中をさすってあげた。日向も何も言わずに絵菜と真菜ちゃんの手を握っている。

 その時、「ただいまー」と玄関から声がした。お母さんが帰ってきたみたいだ。


「――あら、まあまあ、団吉くんと日向ちゃんこんにちは……って、どうしたのみんな?」

「あ、こ、こんにちは、おじゃましてます。そ、それが……」


 絵菜と真菜ちゃんが話せそうになかったので、代わりに僕がお母さんに事の顛末を話した。


「……そう、そんなことがあったのね。絵菜も真菜もごめんなさい、二人に怖い思いさせてしまった」

「……ううん、母さん謝らないで、母さんは何も悪くない」

「うん、でもこうなってしまったのは大人の責任よ。でも二人とも無事でよかった。団吉くんと日向ちゃんもありがとう」

「あ、い、いえ、僕たちは大したことできてないので……」

「そんなことないわ、二人がいてくれてとても感謝しています。いつかちゃんとお礼させてくださいね」

「団吉、日向ちゃん、ありがと……二人がいてくれてよかった」

「お兄様、日向ちゃん、ありがとうございます……本当に感謝しています」


 少し落ち着いて来たのか、二人が僕と日向にお礼を言う。手を上げられたとはいえ、本当に二人が無事でよかった。でも二人の心の状態が心配だった。少し時間はかかるかもしれないけど、また二人の笑顔が見たい。そのために僕ができることは何でもしてあげたいと思った。

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