第81話「異変」

「ただいまー……って、日向はまだ帰ってないか」


 ある日の放課後、僕は絵菜と一緒に途中まで帰った後、まっすぐ帰ってきた。玄関に靴がないので、どうやら日向はまだ帰っていないようだ。


(そうだ、母さん今日は遅くなるかもしれないって言ってたな、夕飯何にしようかな、日向が帰ってきたら聞いてみるか)


 食材は何が残っているだろうかと冷蔵庫を覗いていたら、玄関が開く音がした。日向が帰ってきたのだろうか、いつもなら『ただいまー』と元気よく言うのだが、何も聞こえてこなかった。

 そのままリビングのドアが開く。やっぱり日向が帰ってきたみたいだ。


「おかえり、今日母さん遅くなるかもって言ってたから夕飯作るけど、何がい――」


 そこまで言って僕は言葉に詰まってしまった。なぜかというと入ってきた日向の様子がおかしいからだ。いつもの元気がない。何かあったのだろうか。


「……日向?」

「……お兄ちゃん」


 日向はそうつぶやくと、僕にぎゅっと抱きついてきた。鼻をすする音が聞こえる。肩も少し震えているように見えた。


「ど、どうした? 何かあったのか?」

「お兄ちゃん……真菜ちゃんが……真菜ちゃんが……」


 日向が僕の胸でわっと泣き出した。真菜ちゃん? 真菜ちゃんがどうかしたのだろうか。


「お、おい、どうしたんだ? 真菜ちゃんがどうかしたのか?」

「……真菜ちゃんが、学校でいじめられて……私と長谷川くんが、真菜ちゃんは何も悪くないって言ったんだけど、聞いてくれなくて……ぐすん……真菜ちゃん、足に怪我したみたいで……」


 日向がぽつぽつと話してくれるのを聞いて、僕は胸がざわざわした。長谷川くんとはあの日向に告白してきた子か。いや、今はそれどころじゃない。真菜ちゃんが、いじめられた……?

 その時、僕のスマホが鳴った。僕は日向の頭をなでてから電話に出る。


「もしもし」

「もしもし、団吉ごめん、真菜が、真菜が……」


 電話をかけてきたのは絵菜だった。絵菜の声が震えているように聞こえた。


「今、日向から聞いたよ。真菜ちゃんはどこにいる?」

「リビングに座ってるんだけど、元気がなくて……私どうしたらいいのか分からなくなって……」

「分かった、今からそっち行くから、ちょっと待ってて」


 絵菜の家に行くことを伝えて電話を切り、泣いている日向にそっと話しかける。


「今から真菜ちゃんとこに行くけど、日向はどうする? きついなら無理しなくていいよ」

「……ううん、私も行く」


 日向はそう言って僕の手を握ってくる。今は真菜ちゃんが心配だ、急いだ方がいいなと思った。



 * * *



 大急ぎで絵菜の家に行くと、目を赤くした絵菜が僕たちを家に入れてくれた。真菜ちゃんはリビングのソファーに座って俯いていた。


「真菜ちゃん……」

「……お兄様」


 真菜ちゃんは僕を見ると、立ち上がってゆっくりと僕のところへ来た。足を怪我したと日向が言っていたが、まだ痛いのだろうか、少し引きずっているようにも見えた。

 真菜ちゃんの肩が震えている。僕は何も言わず、そっと真菜ちゃんを抱きしめた。真菜ちゃんもぎゅっと抱きついて泣いているみたいだ。あのクリスマスイブを思い出すが、今は関係ないと首を振る。


「真菜ちゃん、詳しいこと話せる? でも無理はしなくていいからね」

「……私、どうしても許せなかったんです。最初は『沢井さんのお姉さん、金髪でワルなんでしょ? 沢井さんも一緒なんだよね?』って言われて……そんなことないって言ってたんですけど、聞いてくれなくて、だんだんとアタリが強くなってきて……お兄様、金髪でワルくて何がいけないんでしょうか? 大好きなお姉ちゃんのこと言われるのが悔しくて……」


 ゆっくりと、でもしっかりと真菜ちゃんは話してくれた。自分のことよりも大好きなお姉ちゃんのことを色々言われたのがどうしても許せなかったみたいだ。


「……そっか、うん、僕も何も悪くないと思う。真菜ちゃんは強いよ。誰よりもお姉ちゃんのこと大事に思ってて、誰よりもお姉ちゃんが大好きで。悔しかったよね」

「……はい、私のことはどうでもいいんです。でもお姉ちゃんのことは悪く言わないでほしいんです」

「……ごめん、こんな姉で……」


 話を聞いていた絵菜がぽつりとつぶやいて、肩を落とした。自分のせいで真菜ちゃんがいじめられたと、思うところがあるのだろう。


「お姉ちゃん、謝らないで。お姉ちゃんは何も悪くないよ」

「でも、私のせいで、真菜が……」

「絵菜、悪いのはいじめた奴らだよ。絵菜も真菜ちゃんも何も悪くない。そうだ真菜ちゃん、足を怪我したって聞いたけど、大丈夫?」

「はい、画鋲があることに気が付かなくて、踏んでしまったんです。血は止まったけど歩くとちょっとヒリヒリします」


 真菜ちゃんが少しだけ笑顔を見せた。僕は怒りがこみ上げてきたが、怒りで我を忘れてはいけないと思い、ぐっとこらえた。


「……私、みんな真菜ちゃんに対しておかしいなって気づいてたんだ。でも何もできなくて、気がついたらどんどんひどいことしてて……ごめんね真菜ちゃん、もっと早く動くべきだった」

「ううん、日向ちゃんありがとう、長谷川くんと一緒にみんなに言ってくれて嬉しかったよ」


 真菜ちゃんの言葉を聞いて、日向はまたくすんくすんと泣き始めた。日向も真菜ちゃんのことが心配だったのだろう。


「お兄様、あの、よかったらもう一度ハグしてもらえませんか……?」

「ああ、いいよ、僕なんかでよければ、いつでも抱きしめてあげる」


 僕はそう言って、真菜ちゃんをまたぎゅっと抱きしめた。真菜ちゃんも僕の背中に手を回してぎゅっと抱きつく。石鹸のいい匂いがするのもあの時と同じだ。


「ありがとうございます、お兄様のぬくもり、すごく落ち着きます……」


 真菜ちゃんがまた少し泣いているようにも見えた。僕は真菜ちゃんが泣き止むまで、そっと抱きしめてあげた。

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