第78話「姐さん」

 始業式の次の日。今日から授業が始まる。冬休みの気分が抜けない中、現実に引き戻されたような感覚だ。

 今は数学の授業中。木下くんが黒板に解答を書いている。早速高梨さんが「んんー分かんない、日車くん教えてー」と言って隣の僕に聞いてきた。まぁそれはよくあることだしいいのだが、


「なー日車、さっきの難しくね? 分かった?」


 そう、右隣から杉崎さんも話しかけてくるのだ。しかも回数が多い。本当に分からないのかな……。


「あ、うん、一応分かったけど」

「そか、すっごいな、なぁ教えてくれよーここなんだけどさー」


 そう言って杉崎さんは机ごと僕の方に近づいてくる。え、そこまでしますか?


「わ、分かった、教えるけど、ち、近――」

「なんだ? あたしが気になるの? やだなぁー胸とか見るなよ?」

「え!? い、いや、見ないから!」

「そか、でも日車だったら見せてあげてもいいかなぁ、ほれほれ」


 そう言って杉崎さんは胸を強調してくる。い、意外と大きいのか……って、意外は失礼な上に何を考えているんだ僕は。


「い、いや、大丈夫、そんな見せてこないで……」

「あははっ、日車可愛いねぇ、赤くなってるよ、ほんとは見たいんでしょ? 遠慮するなって」

「おーい、日車と杉崎、授業中だぞー、イチャイチャするのはやめろー」


 大西先生から注意されてハッとする。いつの間にか木下くんが解答を書き終わって授業が再開されていた。


「い、いや! イチャイチャじゃな……あ、す、すみません……」

「はーい、すいませーん」

「仲が良いのはいいけど、気をつけろよー。じゃあ続きやるぞー」


 周りからクスクスと笑い声が聞こえる。ああ、またやってしまった。久しぶりに聞いたな人の笑い声……僕は一気に顔が熱くなった。

 その時、この世のものとは思えないくらい鋭い視線を感じた。ビクビクしながら斜め後ろを見ると、絵菜がジトーを通り越して鬼のような目つきでこちらを見ていた。


(や、やばいやばいやばい! 絶対怒ってる……後でちゃんと謝らないと……)



 * * *



「そういや、席が離れちまったから、前みたいに机くっつけて弁当食えねぇな」

「ああ、そだねー、どうしようか」


 昼休みになり、僕たちは昼ご飯を食べる場所で迷っていた。前は4人の席が近かったので机をくっつけて食べていたが、今度はバラバラになってしまったのでそうもいかない。


「じゃあさ、学食に行ってみねぇか? あそこだったら4人座れるだろ」

「ああ、そうだね、そうしようか」


 うちの高校の学食は体育館に通じる廊下の途中にあり、かなり広い。売店も併設されており、パンや文房具も売っている。学食の人気ナンバーワンは卵がたっぷりのカツ丼だ。

 その学食に来てみると、人は多いがなんとか4人座れる席があった。


「お、今日はみんな弁当か、ここだったら弁当忘れた時も買いやすくていいな!」


 たしかに、お弁当を忘れても学食で買えばいいから楽だな……と思ったのだが、


「え、絵菜、ごめんね、怒ってる……?」

「……別に」


 お弁当を食べながら絵菜に話しかけるのだが、さっきからこんな感じだ。たぶん授業中の杉崎さんとのイチャイチャ……いや、イチャイチャしたつもりはないのだが、あれが気に入らなかったのだろう。


「それにしても、杉崎さんグイグイ来るねぇ、日車くんのこと好きなのかな」

「え!? い、いや、これまであまり話したことないからなぁ」

「話してみたら『やっぱいいかも』って思うかもしれねぇからなぁ、まぁ分からんが」

「う、うーん、そんなにグイグイ来られても困るんだけどな……いや、恋心は自由なんだけど」

「……団吉は、杉崎みたいにグイグイ来る女の子が好きなのか……?」


 絵菜が僕の左袖をきゅっとつまんで聞いてくる。


「え!? い、いや、そんなことないよ、僕が好きなのは、絵菜だし……」

「……でも、楽しそうだった。私ももっとグイグイ行った方がいいのかな……」


 左袖をつまんでいた絵菜が、僕の左手に右手をそっと重ねてくる。


「い、いや、絵菜は今まで通りで大丈夫だよ、うん、人にはそれぞれ良さがあるから」

「……そっか」


 ハッとして正面を向くと、火野と高梨さんがニヤニヤしながらこちらを見ていた。


「な、なんだよ……」

「いや、お前らは今まで通りが一番いいんじゃねぇかって思ってな」

「そそ、絵菜、日車くんは絵菜のこと大事に思ってるよ、大丈夫だよー」

「う、うん……」

「あ、日車じゃーん、こんなところで食べてたのかー」


 急に大きな声で呼ばれたので右を見ると、その杉崎さんがニコニコしながら立っていた。


「あ、うん、教室では4人座るところがないから……あはは」

「そかそか、なんだよー言ってくれればあたしも一緒に食べてあげたのにさー、なんちって」


 杉崎さんがまた近づいて頬をツンツンと突いてくる。ち、近い……と思っていたら、絵菜が僕の左手をぎゅっと握ってきた。


「え、絵菜……?」

「……はっ、ね、姐さん!?」


 姐さん? と思って杉崎さんを見ると、視線は僕ではなく絵菜の方にあった。


「ひ、日車、姐さんと仲良いの……?」

「姐さん? あ、もしかして絵菜のこと……? ま、まぁ、うん」


 さらに絵菜がぎゅっと僕の左手を握る。あ、あの、ちょっと痛いんですが……。


「そ、そうなのか、すげぇな日車、あたしなんて緊張して全然話しかけられなかったのに……」

「そ、そうなの? 別に普通だけど……」

「いや、すげぇよ、はっ! ということは姐さんとも仲良くなれるチャンス……!?」


 杉崎さんが何やらブツブツと言っている。どうしたんだろう?


「ね、姐さん! お願いします、あたしと仲良くしてください!!」

「……え?」


 杉崎さんが右手を拭いて絵菜に差し出す。え、何これ?


「……ね、姐さんって、私のこと?」

「はい! この高校で初めて姐さんを見た時から、ずっと憧れてました! あっ、ついに言っちゃった……」


 杉崎さんが顔を赤くしてあわあわと慌てている。よ、よく分からないが、友達になりたいってことなのかな。


「な、なんで敬語なのか分からないけど、ま、まぁ、仲良くするくらいなら……」


 そう言って絵菜が杉崎さんの右手をそっと握る。


「やった! ありがとうございます! 嬉しいです! あ、すいません昼飯の邪魔して! それじゃあまた!」


 杉崎さんは顔を真っ赤にしたまま、まるでスキップするかのように走って学食を出て行った。


「な、なんだったんだ杉崎の奴」

「さ、さぁ、絵菜と友達になりたかったのかな……ずっと憧れてたとかなんとか」

「わ、私もよく分からなかった……」


 絵菜が杉崎さんと握手した右手をボーっと見つめていた。何が起こったのかよく分からないけど、まぁ友達が増えることは悪いことではないよなと思うことにした。

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