第58話「訪問」

 日曜日、僕はバイトを淡々とこなしていた。

 パートのおばちゃんに、「なんか今日はいつも以上にニコニコしてる気がするねぇ」と言われた。そ、そうかな……顔に出ているのだろうか。

 今日は絵菜の家にお邪魔することになっている。学校が休みの日でも絵菜に会えるのは、特別な感じがしてなんだか嬉しかった。

 4時になり、僕は大急ぎで帰る準備をして、ダッシュで外に出た。外はだいぶ日差しが柔らかくなった。まだ寒いとまでは感じないが、今年もまた寒い季節が来るのだろう。夏と比べると冬はちょっと苦手だった。

 絵菜の家まで歩いて20分くらいだ。僕はスーパーからまっすぐ絵菜の家に向かう。朝バイトに行く前に日向が「お母さんに、失礼のないようにね!」と言っていた。そうだった、絵菜と真菜ちゃんのお母さんと初めて会うのだった。き、緊張する……。

 何を話そうかあれこれと考えているうちに、絵菜の家の前まで歩いてきた。僕はふーっと息を吐いてから、そっとインターホンを押す。「はい」と声がしたので、「ひ、日車です」と言うと、「まあ! お兄様! ちょっとお待ちください」と声がした。ああ、真菜ちゃんだったのかと思っていると玄関が開いた。絵菜と真菜ちゃんが迎えてくれた。


「い、いらっしゃい……」

「お兄様こんにちは! さあさあ、上がってください!」

「こんにちは、そ、それじゃあ……おじゃまします」


 ドキドキしながら靴を揃えて上がると、リビングへと案内された。「お母さん、お兄様来たよ」という真菜ちゃんの声がして、ふとそちらの方を見ると綺麗な大人の女性がキッチンからリビングの方へとやって来た。


「まあまあ、団吉くんね、絵菜と真菜の母で、沢井佳菜さわいかなと申します。二人がいつもお世話になっております」


 そう言ってお母さんは深々と頭を下げた。なんだか、真菜ちゃんをそのまま大人にしたようなお母さんだった。


「あ、は、初めまして、ひ、日車団吉といいます……」

「ふふふ、お話は二人から聞いてます、なんでも絵菜とお付き合いしているとか」

「あ、は、はい……その、絵菜さんとこのままお付き合いさせていただいてもよろしいでしょうか……!?」


 僕はそう言った後、「しまった!」と思った。い、いきなり「お付き合いさせていただいてもよろしいでしょうか」って、おかしい奴だと思われてないだろうか。おそるおそるお母さんの方を見ると、お母さんはクスクスと笑いながら、


「はい、もちろん。絵菜をよろしくお願いしますね」


 と言って、僕の手を取った。僕は恥ずかしくなって顔が熱くなった。


「は、はい……ありがとうございます」

「よかったですねお兄様、はいどうぞ、飲んでください」


 真菜ちゃんがニコニコしながら麦茶の入ったコップを出してくれた。


「あ、ありがとう真菜ちゃん」


 真菜ちゃんが出してくれた麦茶をいただいていると、絵菜が耳元で、


「団吉、こっち来て……」


 と、つぶやいた。なんだろう? と思いながらついて行くと、一つの部屋の前で止まった。


「ここ、私の部屋……」


 そう言って絵菜は僕を部屋に招き入れた。右側にベッドが置いてあって、いくつかぬいぐるみが置いてあるのも見えた。反対側の左側に机があり、全体的にモノトーンで統一されたような絵菜の部屋は、片付けられていて綺麗だった。


「あ、ここが絵菜の部屋か……綺麗だね」


 そういえば、日向以外の女の子の部屋に入るのなんて初めてだなと思って緊張していると、絵菜が突然僕に抱きついてきた。


「え、絵菜……!?」

「……ずっと、こうしたかった……いつもみんないたからできなくて、我慢してた……」

「そ、そっか……ごめんね、我慢させちゃったね」


 僕もそっと絵菜の背中に手を回した。やばい、今心臓が猛烈にドキドキしている。あの告白した時も絵菜が抱きついてきたけど、その時以上だ。心臓の音が絵菜に聞こえるのではないかと思った。


「団吉……大好き」

「僕も……大好きだよ、絵菜」


 そう言った後、絵菜は僕をとろんとした目で見つめて、「ん……」と小さな声を出して目を閉じた。


(え……えええ!? も、もしかしてこれって、きききキスしてほしいとかそういうこと……!? ど、どどどどうしよう、キスなんてしたことがなくてどうしたらいいのか……)


 絵菜を抱く手が震えてきた。必死に震えないように力を入れる。でもあまり力を入れすぎると絵菜もきついよなと思ったり……あああ、頭の中が混乱する。他の人はどうやってこういう状況を乗り越えているのだろうか。い、いや、ただちょっと、唇と唇が触れ合うだけ……。

 ええい、あまり考え込むと絵菜が目を開けてしまう。僕は覚悟を決めて、そっと絵菜の唇に――


「――お姉ちゃん? お兄様?」


 部屋の向こうから真菜ちゃんの声がして、僕と絵菜は同じようにビクッとして慌てて離れる。コンコンとノックの音がして、絵菜が「は、はい」と答えると、真菜ちゃんが入ってきた。


「なんだ、ここにいたんですね。いなくなっちゃったのかと」

「あ、ああ、せ、せっかく団吉が来てくれたから、案内してたとこ……」

「まあまあ! あ、お兄様、私の部屋もぜひ見てください! 可愛いぬいぐるみを先日ゲットしまして」

「あ、う、うん、じゃあ見せてもらおうかな……あはは」


 真菜ちゃんがニコニコで僕の手を取って「こっちですよ」と言ってくる。絵菜の部屋を出る直前に絵菜が、


「……また今度、して」


 と、僕につぶやいてきたので、僕の心臓の鼓動はまた一気に大きくなった。


(だ、ダメだ、心臓がいくつあっても足りない……火野と高梨さんはきききキスをもうしてるんだろうか……って、そんなこと聞けるわけが……)


 どこかにこういう状況を乗り越える方法が書いてないだろうか。僕は本気で検索したくなった。

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