第28話「名前で」

 僕と沢井さんは、映画館からフードエリアに移動した。

 僕が「何食べたい?」と聞くと、沢井さんが「ハンバーガー」と言ったので、ハンバーガーショップに行った。以前火野の相談を受けた時に行ったハンバーガーショップと同じ系列のお店だ。

 席に着くと、沢井さんが「あの、その……」と何か言いたそうにしている。

 

「その、ひぐる……団吉は、いなくなったりしない……よな?」


 いなくなる? ああ、さっき観た映画の影響を受けているのだろうか。

 

「え、うん、大丈夫だよ、いなくなったりしないよ」

「そっか……」


 ……あれ? 何か今、いつもと違ったような気がするのだが。

 その違いに気がついた時、僕は顔が一気に熱くなった。

 

「あ、あれ、沢井さん、今名前……」

「あ、ああ、あのさ、これから名前で呼んでも……いいかな?」


 もじもじしながら恥ずかしそうに聞いてくる沢井さんだった。

 

「あ、うん、いいよ。でもなんか恥ずかしいな……」

「そっか、よかった……その、私のことも名前で、呼んでほしいというか……」

「え!? そ、そっか、じゃあ、え、絵菜さんと……」

「ふふっ、さんはいらないよ、絵菜がいい」

「え、あ、わ、分かりました……努力します……絵菜」


 急に敬語になった僕を見て、沢井さ……絵菜はクスクスと笑う。

 

「そういえば、さわ……絵菜と初めてしゃべった時も、こうやって笑われたね」

「ああ、あの時は本当に申し訳なかった、名前で笑うなんて最低だよな」

「い、いや大丈夫、絵菜が悪いわけじゃないよ」

 

 絵菜と呼んだだけで、さらに顔が熱くなった。やばい、今真っ赤じゃないだろうか。鏡はどこだと探したくなった。

 ハンバーガーをニコニコしながら食べる絵菜を見て、僕も食べる。おいしいのだが、だんだんと味が分からなくなった。

 

(やばい、緊張しすぎだ……って、これで緊張しない男なんているのだろうか……)

 

 

 * * *

 

 

 ハンバーガーを食べ終わった僕たちは、ショッピングモールの中を色々と見て回ることにした。

 お互いの服を見ながらこれが似合いそうだと話したり、僕が好きな本屋で絵菜に本をオススメしたり、ペットショップで絵菜が好きな猫を見たりしていた。

 もちろん……と言っていいのかどうか分からないが、絵菜は僕の手をずっと優しく握っていた。

 

(こ、これって傍から見ると完全に、かかかカップルに見えるよな……絵菜はどう思ってるんだろ……)


 ふと気になって絵菜の方を見ると、目が合って絵菜がニコッと笑いかけてきた。

 

(えっ、笑った絵菜、けっこう可愛――)


「――あら? 日車くんと、沢井さん?」


 後ろから声をかけられて振り向くと、なんと大島さんがいた。

 

「え!? 大島さ――」


 慌てた僕は手を離そうとしたが、絵菜がぎゅっと握って離してくれなかった。

 

「やっぱりそうだ、二人で何してるの……って、あ、あなたたち、まさか」


 僕と絵菜が手をつないでいることに、大島さんも気がついたらしい。大島さんはプルプルと少し震えているように見えた。


「つ、つ、付き合ってるの……?」

「あ、い、いや、そういうわけでもないんだけど、その、あの……ははは」


 僕がそう言うと、絵菜が手を思いっきりぎゅっと握ってきた。

 

「い、いてっ!」


 絵菜の方を見ると、さっきの笑顔が嘘みたいに真顔になっている。お、怒っているのかな……。

 

「……そう、今日は二人でお出かけ?」

「あ、うん、さっき一緒に映画を観てきて……大島さんは?」

「一緒に映画って……思いっきりデートじゃないの。私は一人でちょっとお買い物に来ただけよ」


 大島さんはそう言うと、ふーっと息を吐いてから話を続けた。

 

「……まぁ、付き合ってないのなら、私にもまだチャンスはあるわね」

「……はい?」

「負けないわよ、沢井さん」


 大島さんがニヤリと笑う。そんな大島さんを絵菜は黙って見つめている。

 な、なんですかこの空気は……夏なのに、すごく冷たい気がするのは気のせいですか……。

 

「それじゃあね、二人でごゆっくり」


 そう言って大島さんは僕たちが来た方向へ歩いて行った。

 

「な、なんだったんだろ大島さん……」

「……団吉は、大島みたいな女の子が好き……なのか?」

「えっ!? い、いや、そんなことはない……って言うのも大島さんに失礼なのかな」


 僕が少し困りながら答えると、

 

「団吉は、優しいな」


 と、絵菜がクスクスと笑いながら言う。

 

「えっ、そうかなぁ、そうでもないと思うけど」

「いや、優しいよ。じゃあ私たちも行こうか」


 僕たちはもう少しショッピングモールを見て回ることにした。僕の手に絵菜の手の温もりが伝わってくる。この時間が僕はとても嬉しかった。

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