第8話「家で勉強」
「――そこは、こっちの式を展開してみて」
「……こうか?」
「そうそう! 出来てるよ」
僕の家に沢井さんが来てから一時間、僕たちは数学を復習していた。沢井さんが一番自信がないと言っていたこと、僕が一番得意な科目であることから、数学から始めることにした。数と式の基本的な問題を説明していたが、沢井さんはつまずきながらもなんとかついてきている。
途中で部屋の外に誰かがいるような気配がしたが、母さんも日向も入ってこないので、気のせいだったかもしれない。
「あ、もう一時間か、ちょっと休憩しようか」
「ああ」
沢井さんは「ふーっ」と息を吐きながら頭をテーブルにくっつけた。金色の髪がテーブルの上に広がる。
「日車、教えるの上手いんだな」
「え? そ、そうかな?」
「分かりやすくて助かる」
そう言うと沢井さんはふふっと微笑んだ。
(あれ? 笑った沢井さん、けっこう可愛――)
「――何見てんだよ」
「あ、ご、ごめ――」
「……冗談だよ。そういえば、日車にも妹さんがいるんだな」
またふふっと微笑んだ沢井さんは、妹の日向のことについて聞いてきた。
「あ、うん、ちょっと兄離れできてないんだけどね」
「そっか、可愛いな」
「そうかなぁ……そういえば、沢井さんも妹さんがいるってこの前言ってたような……」
「ああ、いるよ。私と違ってしっかりしてる」
またふふっと微笑んだ沢井さんに、僕は少しドキッとしてしまった。
「じゃあ、四人家族なのか?」
「あ、いや、父さんはいないんだ、僕が小学生の時に病気で亡くなって……」
「……そっか、ごめん」
「い、いや、謝らなくていいよ。沢井さんは四人家族?」
「いや、うちも父親はいないんだ。小学生の時に母と妹と逃げるように出ちゃって」
俯きながらそう話した沢井さんは、どこか寂しそうに見えた。
「私たち、なんか似てるな」
沢井さんはそう言うと、またふふっと微笑んで僕の目を見てきた。その目に僕はまたドキッとしてしまった。
「そ、そうだね、妹もいるし三人家族だし……」
「……一緒にするなって顔してるぞ」
「え!? そ、そんなことないよ!」
「……冗談だよ。さて、続きやるか」
その後二時間、僕たちはみっちりと数学を復習した。他の教科は大丈夫なのだろうかと気になったが、沢井さんが一生懸命考えている姿を見ると、何も言えないでいた。
* * *
「ふーっ、頭使うと疲れちゃうな」
沢井さんは大きく伸びをしながら、ちょっと眠そうな顔をしていた。
「もう遅いし、ここまでにしようか」
「ああ、そうだな、そろそろ帰る」
立ち上がろうとした沢井さんは、「そうだ」と言いながらスマホを取り出した。
「あの……さ、よかったら、RINEのアカウント、教えてくれないか?」
沢井さんは少しもじもじしながら、僕の目を見ずにそう言ってきた。
「え、あ、うん、いいよ」
僕も慌ててスマホを取り出し、RINEのQRコードの画面を差し出した。
「あ、ありがと……」
小さな声で『ありがとう』と言った沢井さんは、やっぱり僕の目を見ることができない。
(なんだ、沢井さんもありがとうとか言える人なんだな……あれ? やっぱり可愛――)
「か、勘違いすんなよ、その、一人でももう少し勉強頑張ってみようと思って……分からなくなったら聞きたいというか……」
「あ、うん……分かった、いつでも訊いてもらえれば」
僕を睨みつけるように見てきたが、怒っている感じではなかった。
「じゃあ、帰る……」
「あ、送ろうか? 遅くなってしまったし」
「大丈夫、そんなに遠くないし」
「そ、そっか……」
(あれ? 沢井さんの家って近くだったのかな? 中学は違ったはずだけど……)
「その……今日は、ありがと」
また小さな声で『ありがとう』を言った沢井さんは、母さんと日向にも挨拶をした後、そのまま帰って行った。
(沢井さん、テスト前だから数学のこと気になっていたのかな……)
そんなことを考えていると、スマホの音が鳴った。RINEの送り主は沢井さんだった。
『今日はありがと』
その一文の後、かわいい猫のスタンプが送られてきた。
(あ、猫が好きなのかな……)
部屋に女の子と二人きりのドキドキのシチュエーションだったが、小説や漫画のようなドキドキはなかったわけで。いや、僕はドキドキしっぱなしではあったが。
(ん? な、何を考えているんだろう……)
送られてきた猫のスタンプを見ながら、ふふっと微笑んだ沢井さんの顔を思い出していた。
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