第2話「約束」

「あ、あれ――」

「あ、お前――」


 体育館の陰に隠れていたつもりが、携帯の音が鳴るというある意味奇跡が起き、気づかれてしまった。もうダメだと思って出てみたところ、そこには見覚えのある女子が立っていた。


「――誰だっけ?」


 見覚えのある女子は少し首を傾げながらそう言った。


「え? あの……日車だけど……沢井さん?」

「日車……? あれ? そういや……」


 下を向いて右耳の後ろあたりをかく目の前の女子。どこからどう見ても同じクラスの沢井さんだった。


「日車……団吉……?」

「そう、日車団吉……って、なんでフルネーム?」


 日車ひぐるま団吉だんきち。それが僕の名前だ。正直に言うと自分でもあまり好きではない。この変わった名前で今までどれだけいじられてきたか……。


「日車……団吉……ふふふっ」


 僕の名前をつぶやいて、沢井さんはクスクスと笑い始めた。

 沢井さわい絵菜えな。たしかこんな名前だった。僕と同じクラスの女子。髪の毛は肩までの長さの金色で、スカートは少し短め。化粧は……しているようなしていないような。彼女はちょっと怖そうな見た目をしていた。中学は別だったがそこそこ有名だったらしい。同じクラスだが今まで話したことはない。見た目も派手だし何より近寄りづらいというか……。


「え、あ、何か面白いこと言った……っけ?」

「ふふふっ、ごめん、入学した時の自己紹介思い出して……」

「……あ、ああ……」


 この高校に入学してすぐの時、ホームルームでクラス全員短い自己紹介をすることになった。僕は普通に自分の名前を言ったつもりだったのだが、


「ひ、日車、だ、団吉です……よ、よろしくお願いします」


 こんな短い言葉の中で三回も噛んでしまった。名前が変わっているからか、噛んだからかは分からないが、クスクスと周りから笑い声が聞こえてきた。でも名前で笑われるのなんて今に始まったことではない。幼稚園の時からずっと笑われてきた。


「ふふふっ」


 沢井さんも笑っている。またか……という気持ちになった。


(あれ? でも笑っている沢井さん、けっこう可愛――)

「――何見てんだよ」


 ふっと笑いをやめ、沢井さんはそう言ってこちらを睨んできた。


「あ、ご、ごめ――」

「いや、ごめん、私も悪かった。急に笑ったりして」

「……え?」


 急に謝られたので、びっくりしてしまった。沢井さんも謝ったりできる人なのか……。


「――で? さっきの見てたのか?」

「あ、いや、その……」


(……あれ? でもよく見ると沢井さん、けっこう可愛――)

「――どうなんだよ?」


 こちらの様子を覗き込むように、沢井さんは僕に近づいてきた。やばい、こういう時どう返事したらいいのだろうか。ヘタに嘘をついたら後で殴られるかもしれない。いや、本当のことを言っても殴られるかもしれない。


「あ、ごめ……ん、見るつもりはなかったけど、そこでお弁当を食べようとしていて……」

「……そっか」


 沢井さんは左腕をゆっくりと動かし始めた。まさか僕を殴ろうとしているのか――


「いてて、あいつら……」


 ……僕を殴るためではなく、蹴られた左腕の状態を確認するための動きだった。まだ痛みはあるらしく、沢井さんは顔をしかめる。


「あ、大丈夫……? 口に血が……」

「……大丈夫だよ」


 沢井さんは右手で口を拭う。でも思いっきり蹴られたように見えたが、本当に大丈夫なのだろうか。


「そっか、見てたのか……誰にも言うなよ?」

「あ、は、はい……」


 睨まれて思わず敬語になってしまった。誰かに言うと今度こそ殴られるかもしれない。


「それと……」


 沢井さんはパンパンとスカートについた汚れを落としながら、こう言った。


「明日の昼休みも、ここに来い」

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