第16話
『こういうのはどう? ……あんたたちも魔女も全員殺すってのは』
意識の奥底まで届いた声に、一瞬で血が沸き立った。動揺と失望、怒りのあまり動悸がする……のに、首から上は貧血でも起こしたみたいに血の気が失せて焦点も定まらなかった。
……それでも、それこそが今の修治の感情だ。
「──やめてください」
口を塞いでいた三津丸の手をあらん限りの力で掴み、引き剥がした。言葉を発することを許されて最初に修治が口にしたのは、そんな小さな声だった。
「…………修治さん? 意識が……」
戻ったんだ──そうたどたどしく訊かれて、修治は曖昧に頷く。
最初に意識を失った時と違って、途切れ途切れだが途中の記憶はあった。三津丸に水晶を刺されたあたりからは、身体を操っている人格と自分の人格が同居しているような感じがして、気持ちが悪かった。おそらくは、魔女の支配力が水晶によって弱まったからなのだろう。
「代わってくれと言ったら、あっさり引き下がってくれました。……存外悪い人じゃないみたいです。ちょっと興奮していただけで……話が通じないわけでもありませんでしたし」
修治は己の内側に湧き上がるエゴイスティックな感情を押し殺し、呟くように答える。
そして、それは竜胆兄弟にも言えることだ。修治はその場に立ち尽くす二人をしっかりと見据えて、「行ってください」と告げた。背後で三津丸がわずかな動揺を見せるのを、修治は衣服越しに理解する。
「……今回のことは、事故みたいなものなんだと私は思っています。お互いがお互いに、準備もなく想定以上のことを要求されて……それで、少し驚いてしまっただけなんです、きっと……。だから咄嗟に過剰になって、殺すだとか脅しだとか、そんなことばっかり……」
見てきたことを復唱しているだけなのに、胸焼けがした。まあ、それも仕方のないことだろう。何しろ、修治が犯した一世一代の犯罪は、宝石店の強盗未遂なのだ。それでも立派な犯罪には変わりないだろうけれど、予知されて失敗に終わってしまったし、今はその罪だって一人の人間に預けてしまっている。修治の度量では、警察のお世話になることすらままならない。
「修治……」
虎嗣が感嘆の声とともに修治を見るので、少し笑ってしまう。虎嗣なんかは特に、憎めない人だと修治は思う。知り合うきっかけがこんなことでなければ、普通に友人として接していたかもしれない。……わからないが。こんなことでもなければ、修治のほうが怯えきって会話にもならなかった可能性もある。
でも、とにかく、悪い人ではないのだ。それだけは確かだと、信じたかった。
「……恩に着る」
修治が勝手な許可を出して、最初に動いたのは卯条だった。修治と三津丸に背を向け床の大穴に歩いていくと、それに虎嗣が続く。不意打ちには丁度いい位置関係だったが、三津丸は動かなかった。その事実に、修治は密かにほっと胸を撫で下ろす。
「……修治、と言ったか」
わずかに気を緩めた隙に、いつの間にか卯条が振り返ってこちらを見ていた。自分を支える三津丸の腕に緊張が走るのを感じて、修治はかすかに苦笑する。なんだか犬みたいだ。
「ええ。弟さんには名乗っていたんですが……鴉修治と」
「鴉、か。覚えておく。……私は竜胆家長男の竜胆卯条。もし今後もこの世界に身を置くのであればだが、入り用ならこの名を出せ。多少は融通が利く。……それと、」
卯条が懐から出した何かを山なりに放った。慌てつつもどうにかキャッチすると、それは取り上げられていた修治のアーティファクトだった。
「次に相見えた時は正式に手合わせ願いたいものだ。……一人の魔術師として」
「そ、それはどうでしょう……」
猛者からかけられる期待が重い。……だが、不思議と嫌な気はしなかった。能面のような卯条の表情が、割合綻んでいたからかもしれない。
「ふ、冗談だ」
静かに笑って、卯条は再び背を向けた。その足取りは迷いない。
「貴様がそちらにいる限り、我々は敵同士なのだからな。見えたならば潰すだけだ」
そう言い残して、卯条は穴の底へ消えた。虎嗣が後を追い、誰もいなくなって修治は長い息をつく。安心からか少し眠くなって、背後の三津丸に身体を預けた。
「……ねぇ、なんであいつら赦しちゃったの?」
三津丸が修治の後頭部に顔を埋める。低く凪いだ声は掠れていた。
「独断だったことは謝ります。でも、あのまま続いていたら死人が出ていました」
「赦す前から死人は出てたよ。修治さんが赦す前から」
何かの比喩か誇張表現だろうかと思った。人間の歴史は死の積み重ねだ。魔女は火刑に処され、おそらくは、アーティファクトをめぐって今日のような抗争が何度も起きた。
……あるいは、三津丸の家族が火災によって亡くなったことを言っているのか。
「……諏佐さん、気になっていることがあるんです」
だが、修治は敢えて話題を逸らした。我ながらずるい大人だと思う。臆病で出来損ないの、最低の人間だ。
「何?」
「私は諏佐さんにとって、大事なイタコか何かでしょうか」
三津丸は何も言わなかった。先刻までのような、筋肉の強張りすら悟らせない。ともすれば聞いていないのではないかと疑ってしまうほどに、無反応だった。
「魔女に取り憑かれる前、私はあなたの声を聞いたんです。あなたの呪文を。その時から身体の自由が利かなくなって、怖くて……」
言えればよかった。
ずっとあなたのことを心配していたんですと、あなたにこそ助けてほしかったんですと。
でも、それすらも怖かった。臆病で出来損ないの修治には、無条件に人を信頼することも、痛みを受け容れる覚悟をすることも、過去の全てを赦すことも、まだできそうにない。
「私の身体に魔女の意識を移すことができるなら、あなたは魔女と会話して自分のルーツを探ることができるんでしょう。それが私を引き入れた目的だったのかもしれません。あなたが大事にしているのは、私ではなく私のこの体質だけなのかも」
「……嫌いになった? 俺のこと」
「いえ、」
最初から嫌いでしたよと言いたかった。本心からの冗談が言える相手であってほしかった。
「俺から逃げたい? ……今なら全部返すよ。自由も、罪も、使命も仕事も」
俺と出会う前に戻してあげるよ。そう言われた。
あるいは脅しだったのかもしれない。でも、修治には到底そうは思えなかった。
「いいえ──付き合います。アーティファクト集めも、独りじゃない生活も」
三津丸が息を呑んで顔を上げた。その動揺につけ込んで、修治は三津丸の腕の中で身体を反転させる。下から睨めつけるように、その喉笛に噛みつくように──三津丸の碧い目を見た。
「でも、全部が全部あなたのためじゃありません。アーティファクトは集めます。あなたの目的を叶える手伝いもします。でも、あなたが目的を果たしたなら、私はあなたの手からアーティファクトを全て掠め取る。……それで、私は──」
──この世界からアーティファクトを全て消し去る。魔女の思念と肉体を燃やし尽くして供養する。
「……それが私の願いで、条件です」
はっきりしない意識の中で、修治に宿った魔女は言った。手段を問わず魔女の遺体を集めて、一体何を望むのかと。まさか丁重に葬ってくれるわけでもあるまいと。
だったら、魔女の望みはそこにある。魔女の意識は死んだ後も現代まで残り、今を生きる人間たちを縛っている。魔女は武器となって人間を触発し、人間は力を手に入れるために武力に訴える。先刻までの三津丸や竜胆兄弟がそうであったように。
修治はそんな争いなど、見たくないのだ。争いは魔女の望みですらない。魔女の意識の副産物だ。
ならば、アーティファクトそのものをなくすしかない。魔女の思念をあるべき場所に返し、魔術師から争いの火種を奪う。それが今の、修治の望みだ。
「──」
三津丸はただ瞠目していた。それから彼は弱々しく笑って、「いいよ」と答える。
「じゃあ期限つきにはなっちゃうけど、俺たち今日から家族だよね。──これからよろしく、修治さん」
あまりに至近距離から差し出された手にたじろぎながらも、修治は黙ってその手を取った。
信頼なんかしきっちゃいない。目的も手段もバラバラで、最後にはきっと対立もする。
諏佐三津丸は宝石を愛している。鴉修治は宝石を燃やす。
それでも修治のことを家族だと言い簡単に赦してしまう三津丸は、きっと罪深い人間だった。
その手を対等と偽って簡単に取ってしまう修治もまた、同じだけの罪を抱えている。
握った手のほのかな体温を愛おしく感じながら、修治はそんなことを考える。
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