第11話
虎嗣は修治の奇行に動じなかった。もはや奇行とも思っていなかったかもしれない。虎嗣はある瞬間から修治のことを「同じ」魔術師として認めていたし、その行動を馬鹿にするだけの慢心を捨てていた。彼の中で「魔術師」の地位に立つものは全て──厳密に言えば実兄だけを例外として──同じ高さの壇上に立っている。
ゆえに、虎嗣は手加減なしに有言実行した。修治が一発の弾丸を放った直後、地面を蹴って標的の懐に飛びかかる。
その間、修治はもう一度発砲した。今度は下だ。虎嗣が縮める距離を引き延ばそうとするかのように後方に飛び退いたその足元に向けて、一発。
だが、虎嗣と修治の脚力には明確な差があった。それも前進と後退では使えるエネルギーの量が違う。二人の距離は縮まる一方だ。
自分の間合いに相手が入ったことを確認する少し手前──間合いに標的が入った瞬間に拳が打ち込まれるであろうタイミングで、虎嗣は拳を振り上げた。数瞬先に待ち構えている骨と肉の感触を想像し、それを現実へと手繰り寄せるように、丁寧に拳を振り下ろす。寸分の狂いなく、虎嗣の拳は修治の顔面へと入った。
──はずだった。
「薔薇鉄鉱〈アイアンローズ〉」
確かにそう聞こえた。修治が小さく呟くと同時に、足元の床から無数の金属が突き出してくる。
幾重にも重なった、薄い鉄の刃。
重力をも味方につけた重い重い虎嗣の拳が、一瞬にして鮮血に染まった。
「!」
傷自体は深くない。だが、如何せん数が多い。細かく線で刻まれたそれは、猫の引っかき傷のように虎嗣の指に赤い色を足す。
だが何より不可解なのが、血だ。
血が止まらない。たかだか一ミリやそこらの深さの、細い切り傷だ。本来なら滲む程度でおさまるような出血なのに、拳からは今もボタボタと血が滴って床に染みを作っている。
「……お前、何し──ッ、」
自らの拳に注視していた虎嗣が顔を上げた瞬間を見計らって、銃弾が飛んだ。反射で身を引き首の角度を変えるも、額に掠る。……たかがかすり傷なのに、刃物で切りつけられでもしたかのように血が流れ落ちてくる。ちょうど目に入る位置だ。小賢しい。
「……おいおい、まるで別人じゃねぇか。容赦がねぇな。まあ魔術師の美徳だけどよ」
「別人って、私は私ですよ」
左目をダメにした虎嗣を、修治は嬲るように見下げていた。……どこからどう見ても別人だろうが。
「ヘマタイトは血を元気にする石だと諏佐さんが。だからたぶんそれ、止まりませんよ」
修治が口の端を吊り上げ不気味に笑った。引き金に指をかけた右手の甲で口元を覆う仕草が、どこか女らしく妖艶で怯む。
まるで魔女じゃねぇか、と思った。魔術師という存在が誕生するより以前に滅びたはずの存在。兄ならまだ詳しいかもしれないが、頭脳労働にはめっぽう弱く家督も継ぐ気のない虎嗣は、かろうじて家に残されている魔女の記述にも、ほとんど触れたことがない。
それでも、思った。魔術師の血が、本能が──確信をもって虎嗣に告げている。
これが魔女というものだ、と。
「……わざわざ教えてくれてどーも。だがな修治、失血を狙うには俺はちとタフだぜ。傷が少ねぇし浅すぎる。殺すつもりなら一発くらい土手っ腹に開けてみろよ風穴をよぉ」
本能が脳を回していた。虎嗣が最も頭を使うのはほかでもない戦闘中だったが、虎嗣自身には「頭を使っている」という自覚はない。戦闘に没頭すれば自然と思考がフルで回転する。それゆえに、虎嗣は「戦闘は本能のみで成り立つもの」と考えているが、実際はコンマ一秒の駆け引きにだって興じることができるし、会話で相手を揺さぶることだって無意識のうちにやってのける。
だが、今ばかりは別だった。考えるべくして考えていた。言葉と間合いで相手の本質を掴む作業を、虎嗣は自らの意思で選択している。別人としか思えない相手をわざわざ「修治」と名前で呼び、その「修治」だったらどんな反応をしどんな行動に出るかを想定しながら、意図的に煽っていた。
全ては相手が変質しているかを見極めるため。
言葉の通りに腹を狙うか、狙わないか。撃つか、撃たないか──
なのに、虎嗣の謀は意味をなさずに潰えて終わる。
「その必要はありませんよ」
全ては択の外にあった。
相手は発砲しなかった。だが、敵の命を奪うことには貪欲だった。
「あとは私の勝利が花開くだけですから」
その瞬間、虎嗣の頭上が爆発した。
──いや。違う。
巨大な花。
鉄でできた薔薇が花開いて、その自重で天井ごと落下してくる。
無数の刃が塊となって降り注ぎ、虎嗣の退路を時間とともに着実に奪った。
「──まるで殺人現場のシャンデリアね」
巨大な影に押し潰される間際、虎嗣は修治の声で魔女の嘲りを聞いた。
「銃弾はどこに何発撃ったか記憶するのが定石ですよ。それを忘れてしまうなんて……」
あなたって本当に鶏の頭なのね。
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