第7話

「人ってさー、死ぬと宝石になるでしょ?」

 帰りのタクシーの後部座席で、三津丸が言った。窓の外は暗く、街の騒々しい明かりが目に痛い。

「…………は?」

 修治は心底軽蔑した目で三津丸を見た。これでもこの男は修治の生命線──文字通りのライフラインだが、だからという理由だけで話の調子を合わせたり、相手に媚び諂ったりできるほど、修治の社交性は高くなかった。むしろ社会不適合者の烙印を押されているのが鴉修治という人間の現状で、そんな自分の実力を自覚した上で、どうにかしてでも笑顔を引き出したいと思えるほど、修治は諏佐三津丸という男に好感を抱いてはいなかった。相手の気に入っているところと言えば、修治の祖父──鴉六郎のことを「いい人」と評したその審美眼くらいで、それ以外の全ては彼の強引極まる言動によってマイナスの補正が加えられていた。

 要するに、修治は諏佐三津丸という人間が嫌いだ。

「言っている意味が全くわからないです。人は死んだら骨ですよ。……もしかして、私たちとは常識の違うところで生きていらっしゃる?」

「わあ、なんか急に切れ味鋭くなったね修治さん。俺なんか嫌われることしたかな」

「そういうデリカシーも常識の欠片もないところじゃないですかね」

「いや俺にだって常識はあるよ? 人は死んだらそりゃ骨よ。俺が言いたいのはそういう常識の話じゃなくてさ、仕事のことなの。宝石のこと! ダイヤモンドってのは、要は炭素をめちゃくちゃ熱くしてめちゃくちゃ強い力でギュッてしたやつなんだけど、動物の骨でもおんなじことができるんだよ。ダイヤモンド葬って知らない? 人でもペットでもできるらしいんだけどさ、お墓いらないし身につけられるしで結構需要あるらしいんだよね。で、アーティファクトのでき方とダイヤモンド葬はかなり似てる。圧縮するかしないかの問題で、人を燃やして出来上がる宝石って部分はもう一致してると言って問題ないわけ」

「……そういえば、魔女が火刑に処されてできたのがどうこうって言ってましたっけ」

「そうそう! よく覚えてるね修治さん! 自分の犯罪を追及されてる真っ只中だったのに!」

 三津丸が嬉しそうに両手を合わせ、よほどテンションが上がったのか声を張り上げて言った。

 修治は三津丸の反応とは正反対に、小さく眉をひそめる。タクシーの運転手は、こんな風に怪奇現象に遭遇したり自分のトークの持ちネタを増やしたりしていくのだろうなと思った。もしかしたら今日のことも、夜に乗せた美男子が生き物の死体が宝石になる話をし、どうやら同乗している冴えない男は犯罪を犯したことがあるらしい、などと奇妙な客の代表格としてネタにされるかもしれない、と思う。修治は街灯の眩しさに目を背けるふりをして、バックミラー越しに運転手の様子を盗み見た。

「中世から近世のヨーロッパで起きた魔女裁判の流行には、宗教を守るためだとか財産目当てだとか、今となっては原因に色々理由がつけられてるんだけど、実際にその身に魔力を宿して魔法を使っていた『本当の魔女』も、その犠牲者の中にはいた。むしろ魔女狩りの流行を生み出した当時のお偉方の目的は、本物の魔女の処刑にあるわけ。未知の力を持った存在は凡人にとって脅威だし、恐怖の対象でしかないでしょ? だから見つけ次第殺して、偉いだけの凡人は自分の地位を守ろうとしたんだ。支配する側の地位ってやつをね。でも、普通の人間には理解できない力を持った人間の存在を公表するのは、お偉方にとっても悪手だ。当時は今よりも信仰の力が強かったし、傷や病気を癒したり、食糧を増やしたりできる人間は神に近しい存在として見られかねなかった。だから流行を作って殺したんだ。病気を蔓延させただの、異教の信奉者だのとなんだかんだ理由をつけて、人を大量に殺す流れを作った。そして渦中に『本当の魔女』を放り込んで抹殺した。魔力を持たない人間もろともね。そうやってできたのがアーティファクトなんだよ。本物の魔女の遺骨さ。魔力のこもった宝石は不思議な輝きで人々を魅了し、現在までいろんな人の手によって守られ、受け継がれてきたんだ。まさに至上のアンティークだよ」

「……まるで見てきたみたいに言うんですね」

 この世の歴史をその目で見守ってきたかのように断言し、世界を俯瞰でもしているかのように滔々と語る。そんな三津丸の様子は、どこか人間離れした美しい容姿と相まって、神様然としていた。……あるいは、悪魔然、魔女然とでも言おうか。何らかの方法で絶えない命を得た存在が、彼の言っていた中世ヨーロッパの魔女狩りの時代から今まで生き続けてでもいるようだ。

「実際に見てきた」

 つと滑った異国の瞳が、修治を見下ろす。暗闇にも飲み込まれない鮮やかな碧の色彩は、修治たちが生きているこの星の形をしていた。

「……人が書き残した書物とか読み漁ったからね〜。なんせ俺、魔女の末裔ですから?」

「……少しでもすごいかもと思った私が馬鹿でした」

「え〜⁉︎ 少しどころかめちゃくちゃすごくない? 魔女の末裔よ? 昔の人直筆の日記とか家の倉庫にあるんだよ? んでもって俺それ全部目ぇ通してんだよ⁉︎ 普通に考えてすごいって〜! もっと褒めてくれてもいいと思うんだけどなー!」

「はいはいすごいですね、魔女の末裔万歳」

 これは明らかな棒読みで言った。三津丸が「ノリ悪〜い」と頬を膨らませている。

「……第一、それが本当の話かどうかの証拠がないじゃないですか。直筆だって言うなら、昔の人が戯れで書いた小説か何かかもしれないですし。それだったら多少正史と被っててもおかしくありませんよ。当時の社会情勢に思うところがあって、そこに魔女っていうファンタジー要素を加えてフィクションに昇華しようとしたのかもしれない」

「じゃあ、修治さんが今日体験した一連の出来事はどうなるのさ。俺の占いは完璧に当たるし、修治さんはアーティファクトを〈処理〉できる。それって誰も彼もが同じようにできることじゃないよ? 凡人にはできない特別なことだ」

「……会った時から思ってたんですけど、その〈処理〉って一体なんなんです?」

「お、やる気出てきた? 俺の部下として働くやる気が」

「……早く返すものを返してあなたから離れたいだけです」

「〈処理〉っていうのはね、アーティファクトが秘めている力を最大限に発揮させるために、持ち主が手助けしてやることさ」

 修治の言い分を無視して、三津丸は再び語り始める。その悪趣味なまでに清々しい笑顔を横目で見て、修治は「聞いちゃいないんだから」と肩をすくめる。馬鹿馬鹿しくなって後頭部をシートにもたせかけた。

「処理自体は普通の宝石にも使われている手法なんだけどね。例えば石を色のついたオイルに浸して着色するとか。これは元々宝石と呼べるような綺麗な石には使わないから、厳密には『宝石』とは言えない処理方法だけど。大量生産向けの手法だね。宝石だって胸張って言える処理なら加熱だ。宝石が潜在的に持ってる色を引き出すために、人間が『加熱』っていう技術を使って宝石を援助してあげるんだよ。アーティファクトも一緒でさ、人間が手を貸すことで、アーティファクトの本来の美しさと性能を引き出すわけ」

「性能……ですか」

 それは宝石には無縁の言葉だろうと修治は思う。宝石は飾られるためにある。人に愛でられるためだけに存在する。……だったら、宝石の持つべき「性能」とは美しさそのものだ。それ以外の性能なんてものは、宝石には存在しない。

「アーティファクトは魔女の怨念であり遺骨そのものだ。──だから彼らは常に持ち主に語りかけてる。他者を攻撃せよ、奪い取れ、怨みを晴らせ──それに持ち主が呼応して初めて、アーティファクトは〈処理〉される。より美しい形に、より攻撃的な形に姿を変えることができる。さっきの修治さんが、そのヘマタイトに呑み込まれかけていたのも〈処理〉の副作用みたいなものだよ」

「呑み込まれかけてたのは事実として認めますけど。……でも『呑み込まれる』ってのもおかしな表現じゃないですか? 〈処理〉をする側の人間はあくまでも宝石に『手を貸してあげている』立場なんですよね」

「誰かを助けるために手を差し伸べて、相手の側に引き込まれないだけの体幹があれば、何を言っても許されると思うよ」

「ぐ……」

 痛いところを突かれて修治は呻く。結局のところ、ブレない心を持っている人間が一番強い。それがなければ、自分を否定する自分の声に打ち克つことすらできないのだ。自分で選択肢を狭めて首を絞めて、そのうち家賃も払えなくなる。社会に出られるほどの価値もないと思い込んでしまうから、収入と貯金が見る間にゼロに近づく。そうして、「社会にも出れず家賃も払えない情けない自分」すらも否定する気が起きなくなってくる。やがて「義務すらも守らず平然としている、悪い意味で剛胆な人間」の像が自分の周囲に築かれるようになって、周囲の認識と自分の中の自分像とのギャップに絶望する。とんだ悪循環だし、ひどい皮肉だ。

「……でも、そもそも、アーティファクトは遺骨で怨念なんですよね。魔女の。さっき諏佐さんは、魔女が『権力者によって被害を受けたかわいそうな人たち』みたいな風に言ってましたけど、死してなお攻撃の念を送ってくるって、それもう根が悪の側に傾いてませんか。アーティファクトの性能が美しさの他に攻撃に特化しているというのも、聞いていていい気分はしません」

 修治にとってのアーティファクトは、祖父の葬儀の日に手にした黒いブレスレットだけだ。周囲には理解されないながらも優しかった祖父の形見を、攻撃の手段として扱われるのは釈然としない。

「もしかしたら、魔女は過去に悪いことをしていたんじゃないんでしょうか。だから国を動かす立場の人間から狙われるようなことになって、最後には掃討される──ということに」

「──修治さんは、アーティファクトが嫌い?」

 修治はハッとして顔を上げる。隣にいるのはただのアーティファクトの偏愛家ではない。彼の言うことが本当なら、諏佐三津丸の先祖は魔女だ。当人にとっても顔も名前も知らない過去の人間だったとしても、自分と血の繋がった人物を悪と規定されて不快にならない人間はいない。

「…………す、すみません。何も知らないのに、わかった口を利いてしまい……」

「いいんだ。修治さんにはわかってほしくて色々話してるからね。……それで、修治さん的にはアーティファクトって存在は、あまり好かない感じ?」

「好かない……というわけではないと思いますけど……」

 修治は返答に窮する。何も三津丸に対して気を遣っているわけではない。ただ本当に、わからないのだ。

「私はついさっきまで、アーティファクトという言葉も、存在すら知らなかった身ですから。知っているアーティファクトだって、私が持つ祖父の形見これ一つですし。祖父のことはどうあっても嫌いになることはできませんが、私に武器の蒐集は荷が重い……と言いますか……」

 修治は他人を傷つけることに慣れていない。慣れていいものとも到底思えない。そんな人間が、人を傷つける前提を持った武器の蒐集に加担していいものかわからない。……いや、するのだ。加担するのはもう決まったことで、だからこそ、不安だった。

 危険物取扱者の資格を持たない人間がガソリンを扱ったら、事故が起きる可能性は当然上がる。修治にはアーティファクトの知識も、それに触れ続けるだけの勇気も度胸もない。あるのは前科だけだ。拳銃に姿を変えたアーティファクトを握りしめ、誘われるがままにふらふらと強盗に出向いてしまったという前科。

「でも、修治さんには才能がある。修治さんはアーティファクトを〈処理〉できる」

「ですが……」

「普通は誰かに教わらないとできないことだよ。それを無意識にやってのける修治さんは、アーティファクトに愛されてる」

 そう口にした三津丸は、すぐに窓の外へと視線を走らせてしまう。その仕草が修治から逃れるためのものに──自分とは違ってと言っているかのように見えて、修治は戸惑った。

「あの……」

 諏佐さんも〈処理〉ができるんですよね。アーティファクトに愛されているんですよね──

 そう言いたくて、息を吸った。

 それと同時に車がゆっくりとブレーキをかけ、停止する。今の自分にはとてもじゃないが払えない金額を請求されて、修治は吸った息を吐き出す術を失った。三津丸が軽々と財布から札の束を出す光景を間近で見て、自分はこの男に飼われる立場なのだと改めて自覚する。

「さ、着いたよ」

 空調管理の行き届いた車内から出ると、三津丸が修治を振り返って、一軒の建物を指さした。

「ここが俺の家! 兼事務所だね。ようこそ我が城へ、修治さん」

 三津丸が指し示したのは、夜目でもはっきりとわかるほどにシンプルな輪郭をしていた。明らかに雑居ビルだった。

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