第6話

 修治の父親は、修治の避難所として毎度のように座敷を貸す自分の父親には度が過ぎるほどに批判的だった。頼むから甘やかさないでくれ、と修治の自由を奪う悪役の立場であるにも関わらず、虐げられているかのように懇願するからタチが悪く、最後には「修治が社会に適合できなくなったら一切の責任を取れるのか」と口角泡を飛ばして激昂した。引きこもりになったら一生養ってやるつもりか、どちらが先に死ぬかは火を見るより明らかなのに──そんなことを修治のいる前で当然のように口にするものだから、たまらなかった。それでも祖父は修治が自分の家に入ることを拒まなかったし、それとなく外の世界に目を向けることを促したりもしなかった。祖父は黙って一方的な批判を受け止めて、そして無視し続けた。ただ一度だけ、「言霊というものは絶対に存在するからな」と修治の父親に──自分の息子に向かって言ったのみだ。それが修治の知る祖父のただ一度の反抗だったし、説教だった。

「お前が修治を『ダメだ』と言えばダメになる。『将来引きこもりになる』と言えば引きこもりにもなるだろう。修治の未来を決めるのは親であるお前たちだ、七耶ななや

 その後の修治の父親は何か変わっただろうか。少なくともこの人生で、修治は父親からも母親からも、「お前は将来的に犯罪を犯す」なんて言われた記憶はない。今の修治は修治自身が選び取った自分でしかなくて、そこに言霊も親の責任も介在しない。かといって愛されるようになったわけでもない。あれから二十年近く経った今と照らし合わせて答えを導き出すなら、あの時に祖父が報いた一矢は、なんの変化ももたらさなかったことになるだろう。

 だが、幼い頃の修治の中では、鴉六郎という人間は確かにヒーローだった。正義で、善で、唯一の味方だった。しばらくその感覚に共感を示してくれる人間と接したことはなかったが、まさか祖父の死後に出会うとは。


「あの、祖父とはどのような関わりを……?」

「ああ、彼、骨董屋をやっていたでしょ? そんで俺は魔女狩りが流行ってた大昔に発生したアーティファクトを集めるのが生き甲斐の男だからさ。古いもの集めるなら骨董屋ってわけ。六郎さんの店にもいくつかアーティファクトが漂着しててさ〜、言い値で買うから譲ってくれって頼み込んだもんだよ。……結局、普通の年代物のジュエリーと変わらない値段で譲ってもらっちゃってね。必要としてる奴の手元にあるのが道具にとっての一番の幸せだからってさ。その懐の深さに心打たれちゃって、定期的に遊びに行ってたんだよ。アーティファクトじゃなくても、宝飾品とか結構入れ替わり多い店でね。仕入れにもよく使わせてもらってた」

 まさかまだ残っていたなんてね──そう言いながら三津丸は、修治の手元に艶やかな流し目を寄越した。ぞくりとして、修治はブレスレットを掴んだ両手を自分の背中の後ろに隠す。

「あはは! 別に無理に奪おうなんて思ってないよ。俺がアーティファクトを必要としてるのは事実だけど、修治さんがそれを普通のジュエリーとして──あるいは六郎さんとの思い出の結晶として──かな? 持ってたいって思う気持ちも本物でしょ? 六郎さんの血縁者の前で、六郎さんの思いを踏み躙るような真似は、流石の俺にもできないからね」

 三津丸が修治の手元から目を逸らして、修治もようやく一息つくことができた。これから自分の身がどうなるのかは知らないが、祖父の形見の所有権がこの場で約束されるのなら、警察の手によって一時的に形見から引き離されても、横から掠め取られるような事態にはならないだろうと思った。

 だから、次の瞬間に自分の顎が掴まれ、気づけば三津丸の顔を至近距離で見上げていたことについては、修治に想像などできるはずがなかったし、そんな想像ができるほど、修治は諏佐三津丸という男の実情を知らなかった。

「──だからさ、修治さんが俺のものになっちゃえばいいんだよ」

 その男は蛇のように舌舐めずりをし、絡め取るような目つきで修治のことを見下ろしていた。

「………………は……へ…………?」

「修治さんはアーティファクトを手放したくない。俺はアーティファクトを手元に置いておきたい。だったら、アーティファクトを持ってる修治さんが俺の手元にいればいい。……違う?」

「ち、ちょっと待ってくださいよ……!」

 修治は慌てて両手を前に突き出した。左手の親指に引っかかったブレスレットのほうに、碧の瞳が吸い寄せられていく。距離を取った先から修治は手を引っ込めた。

「おかしなこと言い出さないでください……!」

「あれ? 俺なんか変なこと言ってる? 理屈は通ってるよね。それに修治さんはお金持ってないし、話聞く限りたぶん宿もないんでしょ? 俺の申し出を断って、まともに生きていけるとも思わないけどな」

「だ、だから……さっきあなたが言ったんでしょ! 警察呼べばいいじゃないですか! むしろ呼んでもらわなきゃ困ります! 私はもう……その、は、犯罪者なんですから……!」

「だから罪を償わなきゃいけないって?」

「そ、そうです」

「だったらその罪、俺が預かってあげるよ」

「は……?」

「俺が修治さんの代わりに罪背負ってあげるから、修治さんは俺に償ってよ。今日の強盗の罪」

「……ど、どうやって」

「働いて。もちろん俺の下でね」

「働……」

 言葉が出なかった。そもそもどうして自分は「どうやって」から訊いてしまったのだろう。罪は貸し借りできるようなものじゃない。犯罪者が罪を償う相手は自分が迷惑をかけた人間のみだ。罪を預かってもらう代わりになんて、そんなの、金の貸し借りと同じじゃないか。

「お金の貸し借りと一緒だよ。恩がある人に返す。当たり前のことでしょ?」

「な……」

 一緒なはずがない。迷惑と償いの間に第三者が割り入っていい道理なんかないじゃないか。相手に迷惑をかけたから償うんだ。お前に迷惑なんかかけてない。

「……私はあなたに借りなんか作りません」

「借りならあるじゃん。俺がアーティファクトの暴走から修治さんを助けてあげた」

「で、でも、私を占ったというのならわかるでしょう⁉︎ 私に撃つ気なんて最初からなかったんですよ! 暴走ったって、宝石を持ち出すか持ち出さないかの話で、暴走が続いたところで死傷者は出なかったんじゃないんですか。私は警察に捕まりたかっただけです。捕まったら、店の宝石だって元に──」

「ダイヤモンドはダイヤモンドで磨くんだ。それからね修治さん、モース硬度が二以下の石っていうのは、人の爪で簡単に傷がつくんだよ」

 急に話があらぬ方向に逸れて、修治は口を開けたまま言葉を止めた。怪訝に思って相手の様子を窺うと、三津丸は怜悧な視線をつと横にずらして淡々と言葉を紡ぎ始める。こんなこと言いたくなかったんだけど、と切り出した時と同じ目をしていた。

「俺が何を言いたいかって、要するにそのカバンだよ。修治さんが強盗に入って、佐々木さんたちはありったけの宝石をそこに詰め込んだでしょ? 相手が撃たないことを俺が教えたとはいえ、所詮は他人の言ったことだし、占いだし、その予言をした本人が自分と同じように銃突きつけられてないんじゃ全面的には信用できないよね? だから佐々木さんたちには余裕がないわけ。時間かけたら時間稼ぎだと疑われて撃たれちゃうかもしれない。だから、急いで宝石を詰めるしか道がない。普通の強盗が入った時と同じようにね。……そうなるとね、ケースに入れるものも入れないし、宝石を扱ってるとは思えない雑な扱いとか普通にするんだよ。カバンに投げるように入れたり、緩衝材も何も敷かなかったりね。売り物の宝石より自分の命を優先するのは当然だし、しょうがない。自分の宝石だっていうならまだしもさ。──彼らは新品なんだ。まだ誰の手にも渡っていない新品。俺の言いたいこと、修治さんならわかってくれるでしょ?」

 三津丸のしなやかな指が、修治のボストンバッグをまっすぐに示している。それなのに、まるで自分が連続殺人事件の犯人として名指しされているかのような心境に陥る。その指先が──三津丸の静かに滾る怒りの矛先が、修治の持つバッグではなく修治自身に向いている。……そんな被害妄想が掻き立てられた。

 修治は今すぐにでも肩にかけたバッグを床に降ろしたくなるが、宝石のことを何もわかっていない自分の動作が三津丸の眼鏡にかなうビジョンが見えない。何もせずバッグを宙に浮かせ続けていることこそが最善だと悟っているから、呼吸することすら憚られた。荷物の正体が子泣き爺であったかのように、途端に重量を増す。

「……宝石同士が擦れ合って傷がつく。中古品として売るルートならある程度は許容されるかもしれないけれど、新品としては到底扱えない。だから店には返せない。何も元には──そういう……ことですか」

「ホントだったらね!」

 三津丸がパンと手を叩く。修治が俯いていた一瞬のうちに三津丸の顔には弾けるような笑みが戻っていて、修治の肌は無意識のうちに粟立った。

「修治さん、占いっていうのは将来を憂いたり後悔に浸るためにやるものじゃないんだよ。未来を変えるために現段階の正確な未来を割り出してるだけ。誰かの宝くじが当たるなら番号を覚えて自分が先に買えばいい。失敗が見えているなら根本から潰して回避すればいい。転ばぬ先の杖、自分への投資ってやつね」

 そう言って三津丸は再び修治に歩み寄った。修治は喉を引きつらせながら身構えるも、その手が伸びた先は修治の肩にかかったボストンバッグだった。ジィーと間の抜けた音を発しながら、黒い筒が口を開ける。三津丸は容赦なくその中に手を突っ込むと、一本のネックレスをグーで掴んで引っ張り出した。釣れたての魚と記念撮影でもするような逞しい一連の動きは、到底宝石を扱う人間のそれとは到底思えない。

 三津丸が引きずり出したネックレスには、ハートを模したピンク色の石がシルバーの爪で留められていた。この宝石を、まるでトランプの番号を覚えておけとでも言わんばかりに修治に見せつけた三津丸は、次の瞬間、反対の手で赤い宝石を宙に放った。修治のアーティファクトを拳銃からブレスレットの姿に戻した時と同じ輝きを放っている。

「真実を射止めよ 柘榴石」

 指を鳴らし歌うように三津丸が唱えると、小粒の赤い宝石がたちまち一本の矢に姿を変える。

 赤い矢が貫いたのは、三津丸が持っていたネックレスの石だった。ハートの形にカッティングされていたはずのその石は、矢が刺し貫いた途端に角ばった板状の何かに姿を変える。元の状態から一回り以上大きくなったそれは、金属製の台座に入りきらずに爪から外れ、床に落ちてパリンと割れた。……繊細なガラスの音だ。

「修治さんが強奪したのは、全部ガラスストーンのアクセサリーだね。平たく言っちゃえばレプリカで、一銭にもならないわけじゃないけど割には合わない」

「それは……」

 それはつまり、この店がガラスストーンの商品のみを扱う、比較的安価で大衆向けのアクセサリーショップだったということだろうか。……そんなはずはない。そういう方針の店がないわけではないだろうが、そういった店の装備として、大量のガラスケースと大きなシャンデリアはいささか不釣り合いだ。店の見かけ上の高級感と、実際に置いてある商品の価値が一致しない。

「俺が修治さんの──いや、アーティファクトの存在をこの場所に見出せたのは、俺の占いの腕前あってこそだよね。で、俺は宝石商としても敏腕だから、この店に強盗が入るってわかった時、もう店に連絡を入れてたってわけ。通報しないでくれってことだけじゃないよ? 店の商品を──特にショーケースの展示品は全部、レプリカにすり替えることってね。おかげで本物の宝石には傷ひとつついてない。損害がないから賠償責任も生じない。レプリカのほうの金は俺が出すよ。……はい、これが俺の修治さんへの貸しひとつね。これでいいでしょ?」

「…………」

 あまりにも重い借りだった。これから彼の言う通り、諏佐三津丸という人間の下で自分が働くのだとして、一体どれほどの利益を出せば、このたった一つの借りを返済しきることができるのだろう。数字を明確にしておきたい、と得体の知れない男に対する防衛本能が働く一方で、海外の懲役年数ばりの莫大な数字が三津丸の口から飛び出すことを恐れる自分もいた。いっそこのまま逮捕してくれ、と思うも、肝心の凶器が今の修治の手元にない。人間の脅威になるものもなしに複数の店員を従わせ、金品を奪い取ったなど誰が信じてくれようか。かといって本当のことを言おうにも、修治にだってアーティファクトだの魔女だのの単語の意味がわからないのだから、説明のしようがない。三津丸が代わりに説明してくれるなら話は別だが──

「じゃあ修治さん、いこっか!」

 三津丸が修治の腕を満面の笑みで掴んだ。表情や容姿とは裏腹に力が強く、その指先から「離さない」という揺らがぬ意思が嫌というほど伝わってくる。警察なら自分で呼ぶから状況の説明をしてくれと頼んだところで、一蹴されるのがオチだろう。だったら今すぐに借りを金で返せと言われるのも嫌だし、唯一残った祖父の形見を手放すのも無理な相談だ。修治はへなへなとその場に座り込みたくなるのをぐっと堪え、代わりに深いため息をついた。一気に全身の力が抜ける。

「……行くって、どこに」

 溌剌とした声で「警察!」と返されることを一瞬だけ期待するが、現実はにべもない。

「決まってんじゃん、俺の家!」

 ぶわっと冷や汗が噴き出した。

「………………家、」

「だってそうでしょ? 俺が警察の代わりに修治さんの償いを取り立てるんだから、警察の役目は俺が全部全うするよ。食事と、居場所。だから修治さんは、俺の管理下でちゃんと働いてよね。借りを返し終えるまで」

 懲役は檻に入ってただ反省を促されるばかりではない。決まった時間には労働に従事し、社会貢献と更生を図る。決まっただけの報酬も出る。

 ……知らなかったわけじゃない。むしろ関心は人一倍あったほうだ。何せ、それが自分の将来だと割と本気で信じていたのだから。

 だが──

「……最初に言っておきますけど、私は全然、外国語とか喋れないので……」

「あーいいよ全然。俺、修治さんにはそういうのま〜ったく期待してないから!」

 面と向かって言われると流石に心がチクチクと痛む。……そんなトゲ付きの言葉を何食わぬ顔で吐いたのち、三津丸は急に声のトーンを落としてこんなことを呟いた。

「大丈夫、鴉は光るものを見つける天才なんだから。……修治さんはいてくれるだけでいいんだよ。俺の手元にね」

 同時に有無を言わせない力で出入り口へと引っ張られるので、肝心のその表情が見えなかった。ただ、店の自動ドアをくぐる頃には、明るすぎて逆に胡散臭い平常の笑顔が戻っている。なぜか鳥肌が立つ。

「このご恩は今度仕事で! 今日は付き合ってくれてどうもありがとうございま〜す!」

 店のスタッフに対しアイドルのように振り撒かれるその陽光じみた笑顔が、修治の目にはひどく安く映った。

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