第5話
「……え……っとぉ……」
困ったことになったぞ、と修治は内心で顔をしかめる。いつの間にか商談に持ち込まれていた。
「あ、もちろんタダでとは言わないよ? それなりの報酬は出す。ヘマタイトは安価で手に入りやすい石だけど、これはアーティファクトだからね。入手難度と数の少なさで言ったらそこらのダイヤモンドなんか比較対象にもならない。もし俺に売ってくれるっていうなら、一生強盗なんかしなくても生きていけるくらいの対価は用意するよ。……まあ、豪遊はしないで慎ましい生活を送るなら、って話にはなってくるだろうけど」
「うう……」
一生を保証するほどの金、と言われると、揺れる。修治は宝石を奪い取るためではなく警察に逮捕されるために強盗を働いたわけだが、その動機だって、結局は金だ。金があれば全て解決する。人を脅して大金をせしめ、どこかバレない場所に隠れて暮らす度胸がないから、逮捕されてせめて最低限の生活だけは賄ってもらおうという結論に落ち着いただけの話だ。取引としてモノとカネの交換が成立するなら、それで得た金は罪の副産物ではないのだ。堂々と使っていいし、堂々と街を歩ける。犯罪を犯した罰として命だけを保証してもらうよりも、ずっといい選択のはずだ。
「……ううぅ〜ん…………」
でも、何かが腑に落ちなかった。一生を保証されてなお惜しいと思い、未来に未練が残りそうな気配をずっと、心のどこかで感じている。勝手に盗ったとはいえ、この黒のブレスレットは修治の大事な祖父の形見で、家すら持たない修治に唯一残った財産だ。これを手放したら、修治は人間ではなくなってしまう。……そんな気がした。たとえ人間的な生活を送れるほどの金銭力を得たとしてもだ。
「ねえ、お願いだよお兄さ〜ん。俺ぇ、このために今日この店来たんだよ? アーティファクトが今日この場所この時間に現れるっていうから、楽しみにして帰国したのに」
「え。……だ、誰がそんなこと言ったんですか」
「これだよこれぇ!」
三津丸が甘えるような声で取り出したのは、細いチェーンに繋がった水晶だ。細長くカッティングされ尖った先端は下を向いていて、振り子のように揺れている。
「なんですかこれは……」
「何って、ダウジングだよダウジング! これを地図の上にかざしてね、強い力を探るんだよ。アーティファクトは魔女の力の結晶なんだから」
「なんか途端に胡散臭いですね……」
「でも実際、お兄さんはアーティファクトを持ってここに来たじゃない」
「それは、まあ」
「それにさあ、さっきも言ったけど俺は魔女の末裔なんだって。だからお兄さんが今日ここに来るってわかったし、お兄さんのアーティファクトだって元に戻せたんだよ? ここまで条件が揃ってれば俺が魔女の末裔ってことは信じてもらってもいいと思うしさ、魔女の末裔が魔女の遺物を集めるのだって何も不自然なことないじゃん。自分のルーツが特殊だったら、探りたいと思うのも実際に探ってみるのも当然のことだし、俺にはその権利がある。でしょ? だからさ、譲ってよ」
「でっ、でも……」
「はー……、んじゃしょうがないなあ」
三津丸はため息とともに修治から手を離した。フリーになったその右手で、三津丸はデニムの尻ポケットから携帯を取り出す。タクシーでも呼ぶのかと修治がそれを見守っていると、三津丸が改めてこちらを向き、言った。
「ホントはこんなこと言いたくなかったんだけど、しょうがないから言うね。……俺はこれから、警察を呼びます」
「…………えっ」
「えっ、じゃないよ。元はと言えばお兄さんが強盗仕掛けたんでしょ。俺はその未来を予知しただけであって、お兄さんに強盗するよう仕向けたわけじゃないんだから、これはお兄さんの過失だよ。それにね、なんで今までこの人たちが警察呼んでないかって、俺が取引先のよしみでこの店にお願いしてたからなんだよ? 今日この時間に武器を持った人が店に来るかもしれないけど、俺はその人に用があるから俺が到着するまで通報せずに待っててほしいって。武器は持ってても攻撃する意思はないはずだからって説得してようやくだよ。でも交渉決裂ってなったら、もう俺にもお兄さんに用はないからさ」
ごめんね、と、これは店に残っていたスタッフの三人に向けて言う。……言われてみれば確かに、修治が拳銃を向けた時、修治の予想以上にスタッフは静かだった。普通だったら悲鳴をあげたり動揺してモタついてもおかしくないところを、この店のスタッフ──佐々木さんたちは従順に、粛々と──宝石を鞄に詰めていった。まるで強盗の襲来を、そして、強盗が発砲しないことを事前に理解していたかのように。
「…………あの、」
「何? 俺に譲ってくれる気になった?」
「いや、それは、その……すみません」
本当は手放したほうがいいのだとは思う。アーティファクトの使い方なんて修治は知らないし知る由もないけれど、一度修治自身の手でただの宝飾品を拳銃に変えてしまったのなら、いつ同じようなことが起こるかわからない。修治にはアーティファクトというものの力を引き出す才能が少なからずあって、無意識にその力を引き出してしまったのだ。その結果、きっと一時呑み込まれた。本当は気休め程度にしか心に留めていなかったはずの「逮捕されることで生活を保証してもらう」という身勝手極まりない行動を現実に起こそうとしてしまったし、その作戦の最中で、本当に宝石を持ち逃げしようとした。宝石の、金の、欲望の──誘惑に負けたのだ。
形見は形見でも、本人の許可もなしに盗んでしまったなら、それは呪いの品に転化してしまうのかもしれない。自分は悪いものに執着しているのかもしれない。……自分が盗んでしまったばっかりに。
……だからこそ、だ。
「……あの。……いいんです、構いません。呼んでください。……警察」
三津丸が静かに目をみはった。修治がこの店に強盗に入ることも、誰も撃つつもりがなかったことすらも彼には見えていたのに、動機だけは見えていなかったのだな、と、ぼんやり思う。なんだか妙にすっきりして、帽子とマスクを外した。
「私は最初からそのつもりだったんです。逮捕されるために強盗に入りました。お金に困っていたのは本当ですが、大金を手にしたかったわけではありません。……少しだけ人に迷惑をかけて、捕まって……それで少しの間でも、最低限の住まいと食事を確保できれば、それでよかった」
思えば、その「最低限」を、修治は心から求めていたのかもしれない。学校こそが社会性を学ぶ場だとはよく言うが、修治はその前から、社会に対して引け目を感じてきた。人と話すのが恐ろしく苦手で、陰気。勉強も運動も、音楽も美術も平均を下回るような出来で、特技どころか好きなことの一つも持っていない。バイトは辞めたり辞めさせられたりで長く続かないし、払うべき金も払わない。社会に組み込まれるほどの価値もない。……そんなどこか踏み外した人間たちが享受する、命を維持するためだけに用意された「最低限」というものを、修治はずっと前から探していた。こんな自分に相応しい、底辺ほどの生活を。子供の頃から、ずっと。
「……でも、実際に取り返しのつかない迷惑をかけてみて、わかったんです。……私のやっていることは間違いだ。だから……捕まります。生活のためじゃなく、罪を償うため……に……」
修治の宣誓は、最後に向かっていくにつれ萎んでいった。警察に連行されるのが今更怖くなったのではない。三津丸が、修治が言葉を発するにつれてどんどん近づいてきたからだ。それも、真顔で。
「…………あの……、なんですか……? 私の顔に何か……?」
今となっては相手の息がかかるほどに接近した、美青年の真剣な眼差しにたじろぐ。まるで魂でも鑑定されているかのような居心地の悪さだ。
「お兄さん、名前は?」
「……はい?」
「なーまーえ。答えてよ」
有無を言わせない語調の淡白さと、ねだられているようにすら感じる声の温度が、ちぐはぐだった。背筋をぞわりと撫でられるような感覚。無意識のうちに口が正答を吐いていた。
「……鴉、です。鴉修治」
「鴉……!」
「いやあ、珍しい苗字ですよね。よく不吉だとか汚いとか言われたもので。烏丸とかだと格好いいのに、なんで鴉だけだと不気味に感じるんだろう……みたいな……」
自分の苗字に関しては嫌な思い出しかなかったので、言い訳するように修治は早口になった。何を言われてもいいように──何を思われていても先回りできるように、修治はこの瞬間だけ饒舌になる。今喋っているのが本当に修治自身なのか自分でもわからなくなるほどだ。
だが、修治が自嘲気味に口を歪ませ気まずげに笑い、必死になって言葉を先回りした甲斐は、全くと言っていいほどなかった。三津丸は今まで修治が出会ってきた人間のように、名前から最初に弄ったり、鴉から連想されるだけの悪い印象をそっくりそのまま目の前の人間に当てはめたりはしなかった。むしろ、この秀麗にして奔放な青年は、碧い瞳に星を宿らせ、修治の両手を嬉しそうに握った。
「いや〜、俺って本当にツイてる! 集中して占った甲斐があったよ! 修治さん……修治さんね! 覚えたから。あなたは俺の魂だよ、運命の片割れ! ベターハーフってやつだね!」
「…………え? ええと……」
正当とはいえ、さっきまで自分を無慈悲にも通報しようとしていた人間が、次の瞬間には自分のことを魂の片割れだなどと宣う。あまりの手のひらの返しように、身勝手だなんだと反発を覚える以前に、修治の頭は真っ白になった。一拍遅れて、ようやく「なんで」と口を動かす。名前だけで罪の穢れを帳消しにして、魂の形まで把握した気になってしまうなんて、あまりにも早計じゃないだろうか。
「だって、修治さんは、鴉六郎って人を知ってるでしょ?」
「……!」
驚いた。まさかこの男の口から鴉六郎の名が出てくるなんて。
「祖父です、父方の……半年ほど前に他界しましたが」
「やっぱりね。修治さん、六郎さんの若い頃にそっくりだもん」
三津丸はニッと得意げな笑みを浮かべた後、その視線をしょんぼりと下に落とす。
「六郎さんにはお世話になってね。しばらくの間海外にいたから、訃報を聞いたのも帰国してからだし、葬儀にも参列できなかった。だいぶ時間は経ってしまったけど、お線香だけは後からあげさせてもらったよ」
それを聞いて、修治は内心で「なるほどな」と思う。三津丸が祖父の知り合いで、それも過去に世話になったというのなら、三津丸と修治が祖父の葬儀会場で会っていてもおかしくはなかった。特に三津丸は、アーティファクトなる宝石を蒐集している身だ。修治の持つ黒い石──三津丸が言うところのヘマタイトのブレスレットがそのアーティファクトだというのならなおさら、修治はもっと早くに諏佐三津丸という人物を見かけていて然るべきだった。だが海外にいたというのなら、祖父の訃報が届かなくても致し方ない。三津丸が引き受けるべきだったアーティファクトは彼の手に渡らず、遺体とともに燃やされる直前に、修治によって棺から持ち出された。
そして半年が経った今、あるべき出会いがアーティファクトによってもたらされている。……いや、祖父の──鴉六郎の名によって、だろうか。
「…………あの人はいい人だった。本当に」
三津丸は神妙な顔つきで天を仰いだ。それを見て修治は、ひとえに嬉しさばかりを感じていた。祖父をいい人だと言ってくれる人は、少ない。いつも無口で、何を考えているかわからないと言う者もいる。愛想がないからどことなく怒っているようだと言う者もいる。修治の父親に至っては、坊主憎けりゃ、と端から見ているだけでも思ってしまう程度には、祖父に付属する何もかもを否定していた。そこに一つとして例外はない。孫という存在でさえも。
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