第3話
──半年ほど前、祖父が死んだ。大学を卒業し、されども次なる居場所の用意はなく、途方に暮れつつも細々と働き食い繋ぐ──そんな今とさほど変わらない生活を送っていた。まだ住所だけは持っていたその頃、実家から訃報が入った。……ショックだった。
修治が生まれた時から祖父は既に独り身で、老後の生き甲斐とばかりに小さな骨董屋を経営していた。平屋建ての古民家は耳にも目にも痛くない静かな環境で、修治にとって唯一と言える安息の地だった。子供の頃から、修治は祖父のいるその場所が大好きで、修治が遊びに行けば、祖父は必ず少しの駄菓子とジュースを用意してくれた。母方の祖母や祖父とは違って、近況を根掘り葉掘り訊かれることもなく、何も喋らなくても、喋っても──祖父はありのままの修治を許容してくれた。祖父は修治にとっての救いだったし、赦しでもあった。
葬儀の場で、修治は親族の誰とも、ほとんど言葉を交わさなかった。だから、祖父の意向があったのかも、両親が勝手にそうしたのかもわからない。ただ、不思議には思った。
献花の際に祖父の収まっている棺に近づいて、初めて気づいた。
痩せ細り冷たくなった祖父の手首に、黒い数珠が通されていたのだ。……いや、数珠というよりも、数珠風のブレスレットか。念珠と違って、房もなければ百八ほども石はない。黒い大粒の石は全て種類は共通のようで、これといった華やかさもなかった。だが、妙に惹かれた。ブラックホールに心ごと意識が吸い込まれるようだった。
気づけば、修治は祖父の手から数珠を抜き取っていた。花を供えると同時にその輪に指をかけ、棺から手を引く動作に紛れて、抜き取ったそれを自分の袖の中に押し込んだ。
我ながら完璧な仕事だった。……完璧だったからこそ、祖父に背中を向けた瞬間、自分の卑しさに肺が押し潰されそうになった。思えばこれが最初の盗みだったかもしれない。祖父ならきっと許してくれると心では思っても、もう二度と言葉を発することのない祖父に選択の余地などないことを知っているから──修治自身が祖父の意思を解釈して押し付けることしかできないとわかっているから──余計に自分の身勝手さを自覚せざるを得なかった。誰かが見咎めてくれればいいのに──そう願っても、修治の初めての犯罪は完璧すぎた。誰も棺から離れゆく彼の肩を掴まなかったし、仮にそうされたとしても、棺の中に不燃物はご法度だったはずだ。いけないと思ったから取り外しただけだと言ってしまえばそれまでだった。
かくして、黒のブレスレットは祖父の形見になった。修治はそれを、家の引き出しの奥に、隠すようにしまい込んだ。誰も自分のボロ家になんか入らないと知っているのに──
大家に家を追い出された時も、祖父の形見を真っ先に掴み取り、祖父の腕から引き抜いた時と同じように袖の中に入れて隠しおおせた。家の中のものは全て売り払い、滞納している家賃の足しにすると税務署のようなことを言われたから、着の身着のまま、通帳と印鑑以外はこの石しか持たずに、外に放り出されたのだ。
それから──そう、強盗を思い立つ前夜に泊まったネットカフェで、修治はそれを眺めたのだ。やがて眠気に襲われて、ブレスレットをテーブルに置いたまま寝た。
目を覚ますと、個室のテーブルの上には黒光りする拳銃が鎮座していた。オートマチックの、やたら角ばったシルエットの拳銃だ。修治はそれを見て、何も恐ろしさを感じなかった。むしろ当然のことのように受け止めていた。
──これを使って強盗をすればいいんだ。
そんな天啓を得たのは、修治が銃を手に取った直後のことだった。
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