第2話

 修治は夜の闇に紛れて閉店間際の宝石店に侵入し、一番近くにいたスタッフに拳銃を突きつけた。数日にわたって観察してきた通りに客はおらず、修治が静寂をもたらすまでもなく、店内は静かだった。見える場所にいた三人のスタッフに順番に照準を合わせながら、修治は最初のスタッフにボストンバッグを渡す。ガラスケースから無造作に宝飾品を引き出しバッグに入れていくスタッフの様子を見て、修治はマスクの下で息をついた。こんな頼りない強盗にも、真摯に対応してくれる。この店はきっといい店だ。

 やがて、バッグの底が宝石に覆われ見えなくなったところで、修治は謎の達成感に襲われ始めた。達成感というか、満足感に近い感情。なんなら遠慮や申し訳なさと言っても差し支えないような、危機感混じりの謙虚な気持ちだ。ストップと言うまでトリュフをかけ続けてもらえるレストランにでも足を踏み入れてしまったような心地で、あ、もういいです、と口から零れそうになる。もう充分です、付き合っていただいてありがとうございます。

 そんな心地のよい居心地の悪さを感じながら、修治は「この人たちは裏で警察とか呼んでないのかなあ」と疑問に思う。仮にも高価な宝石を扱うジュエリー専門店が、こんな見るからに気が弱そうな強盗にすら従順になってしまっていいものだろうか。

 それに、こちらとしては、口では変な動きを見せたら発砲すると言ってはいても、警察が来てくれないことには始まらないのだ。従順なフリをしてスタッフの誰かが通報するような緊急時のマニュアルを作ってくれていればいいのだが、もし仮に無抵抗をモットーとしているならば、もう少し世間を疑ったほうがいいと思う。なんなら今忠告してあげたほうがいいのだろうか。ただ立って待っているだけでは暇だし、自分だけ何もしていないなんて申し訳ないし──

「──あれ? それってアーティファクト?」

 不意に、何者かが修治の肩を掴んだ。無遠慮にして奔放な声量が、肩にのしかかる重みとともに、修治を過度に刺激する。……とても警察とは思えない、予告なしの接触。

「──え? うわ、あ、何──」

 あまりの驚きに、まともな声も出なかった。相手から距離を取るように身体ごと振り返り、よろよろと後ずさる。腰にガラスケースの縁が当たって、痛い。

 振り返った修治の視界に収まったのは、女のような男だった。いや、外国人のような──だろうか? 恐ろしく端整な顔立ちをしている。瞼は二重でぱっちりとしていて、瞳は青みがかった緑色。肌は健康的な張りがありながら美白をかけているかのように白く、瞳の鮮やかな色彩がよく引き立っている。伸びやかなテノールは明らかに男の声だが、ブロンドの長髪は後ろで一つにまとめられていた。

「……え、だ、だれ? 警察?」

 困惑気味にスタッフの方を振り返るも、さっきまでバッグに宝石を詰めていた女性スタッフは、怯えた様子で首を横に振るばかりだ。今の修治は曲がりなりにも宝石強盗であるから、一緒になって「誰でしょうね、びっくりしましたね」なんて共感の意を示してくれたりはしないのだ。もし仮に「警察です」と首を縦に振ったなら、修治が逆上して発砲する可能性もあるのだから、本当に警察だったとしてもイエスと言ったりはしない。

 とはいえ、修治の前に現れた青年は、私服警官にしても警官らしくなかった。強盗がいる店にふらふらと入ってきて、その犯人にいきなり後ろから話しかける行為自体もそうだし、それ以前に、この青年からは敵意らしき敵意も、警戒心すらも──全く感じなかったのだ。宿なし生活を強いられていたここ一週間で何度か職質を受けたからわかる。警察というのは抑止力だから、こちらの身が潔白寄りでもお構いなしに威圧感を放ってくる。疑いをかける段階でそんなだというのに、拳銃をばっちり所持してしまっている相手に対してそれはないだろう。向こうに拳銃を持った相手にも勝てるという自信があったとしても、現場に民間人が三人もいればもう少しは身構える。

「えー? 俺が警察? そう見えちゃう? やったあ、俺も少しは地に足ついた大人に見えるってことでしょ〜? ……でも残念、俺は警察じゃなくて宝石商なんだなーこれが。世界各地を飛び回り、魔女の遺したアーティファクトを蒐集する魔女の末裔! それがこの俺、諏佐すさ三津丸みつまるってわけ! 普段はこの店にも買い付けた宝石売りにきてんだぜー? ……ね? 佐々木さん?」

 諏佐三津丸──と名乗った男が、修治越しに宝石詰めをしていたスタッフに声をかけた。佐々木さんとやらが「は……はい」と遠慮がちに肯定するので、さっきの修治の問いに対する反応が、「わからない・答えたくない」ではなく「いいえ、違います」だったことに今になって気づいた。修治は慌てて、三津丸に銃を向ける。一瞬にして店内が緊張感に包まれるが、それを演出しているのは、修治と店のスタッフだけだ。三津丸は純粋な光を宿らせて修治を見つめる目を、一片たりとも曇らせない。

「お兄さんすごいよねえ。アーティファクトがちゃんとアーティファクトしてるっていうの? ちゃんと武器の形してんの久しぶりに見たよ。まー俺もできるけどさ。アーティファクトの〈処理〉。お兄さんは誰かに師事してたりする? ……わけねーかぁ」

「…………あの! わ、私はもう帰るので! 処理とかアーティファクトとか全然、知りもしませんし……だから、その、う、……撃たれたくなかったら、何も見なかったことにして帰ってください。……邪魔をしたら本当に……こ、殺しますから……!」

 チャックの閉まっていないボストンバッグをひったくるようにして肩にかけ、修治は拳銃を両手で構え直した。早く脱出しないといけない。じゃないと、宝石……宝石が……

「まあ待ってよ」

 三津丸が大の字に両手両足を開き、修治の行く手を阻むようにドアの前に立った。自動ドアが三津丸の挙動に反応して開く。……最初に三津丸に肩を叩かれた時、こんな音は果たして鳴っていただろうか。それとも修治が興奮して聞き逃していただけか。

「……撃ちますよ、本当に」

「撃てるもんならね」

 三津丸は余裕の微笑を浮かべていた。

「ところでさあ、お兄さんは、お金に困ってこういうことやってるってことでOK? じゃあさ、銀行強盗のほうがよっぽど楽だって思ったりはしなかった? まー確かにこの店は小規模だし、普通の銀行よりは狙いやすいと思うよ。お兄さんみたいな単独犯でも対応できる人数だろうしね。……でも警備システムのレベル的にはさあ、普通に考えて銀行も宝石店も大して変わんないと思うじゃん? もうめんどくさいからそういうことにしちゃうよ? でさ、だとしたら強奪すんの、現金と宝石だったら現金のほうが圧倒的にいいと思うんだよねー。俺は」

「……何が、言いたいんですか」

 試しに、銃の照準を本格的に相手の額に合わせてみた。……拳銃の撃ち方なんか、誰にも教わったことがない。事前にネットで検索したり動画を漁ったりしたわけでもない。

 でも、なぜか撃てそうな気がした。諏佐三津丸という美青年の頭に、小さな穴が開くビジョンが見えた。

「お兄さんは宝石に魅せられてんだよねって話」

 三津丸は常に笑っていた。白い歯が、唇の隙間から不敵に覗いている。

「……何を……」

「お兄さんはさあ、そのハンドガン、どうやって手に入れたか覚えてる?」

「…………え……?」

 白く細い指先が手元の拳銃を指し示し、修治はふと我に返った。まじまじと拳銃を見つめる。……光すらも呑み込みそうな、深い深い黒色。

 鯨幕。

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