魔女の宝石

蓼川藍

第1話

 人生で一番最初に犯す犯罪はコンビニ強盗だと思っていた。

「……こっ、これにありったけの宝石を詰めてください、じゃないと……」

 ここにいる全員を撃ち殺します、と一息に言った。途中で言葉を切ったら喉が詰まって噎せそうだったからだ。撃つつもりなど毛頭ない。撃たなきゃいけない状況に陥ったとしても、自分には撃てないだろうとすら思う。こんなことはやるべきじゃない。できないことは口に出すべきではないし、倫理に反する行動を起こせば平穏無事ではいられなくなる。犯罪なんてやるべきじゃない。でも──

 いつか自分は、犯罪に手を染めるだろうと思っていた。


 いつの頃だっただろうか。ニュース番組で報道されていた犯罪者の供述に、鴉修治からすしゅうじは「なるほど」と膝を打ったことがある。確か、小学生になるかならないかという年の頃だった。

 ──人を殺せば刑務所に入れると思った。生活が困窮していた。

 なるほど。やっぱり大人の考えることは一味違う──未だ無垢で幼かった頃の修治は、真似する・しない、できる・できないを勘定に入れる以前に、その会ったこともない殺人犯に感心を抱いていた。

 確かに、刑務所に入れば、質は決して高くないにしても毎日の食事は提供される。金に困って家がなくなっても、壁と天井のある部屋に自分の居場所が保証される。それって割と、救済だ。修治はテレビの前でぼんやりと、そんなことを考えていた。

 というのも、鴉修治は幼い頃から出来損ないだった。相手が同い年であろうと心優しい幼稚園の先生だろうと人と話すことが苦手で、保護者の前で披露する出し物はいつも緊張していた。

 緊張だけなら誰でもするが、いざ自分にスポットライトが当たって大勢の人間の目が自分に向くと、あれだけ練習して覚えた一行にも満たないセリフでも、出てこなくなった。単純に声が震えて誰にも聞こえない、ということもあったし、セリフそのものが頭からすっぽり抜け落ちてしまって、声が小さくてもいいから何か喋ってお茶を濁そう、という応急処置の道すら絶たれてしまうこともあった。保護者や先生たち大人はまだ寛容な目を向けてくれて、自分が憐れになるだけで済んだが、同じ舞台に立っているクラスメイトからの視線は痛かった。

 子供らしくからかわれることもあったし、せっかくの発表を台無しにするなと詰られたこともあった。お前のせいで失敗したんだ、とたまに言われた。それがきっかけで修治は「連帯責任」という概念を覚えたし、自分が他人に皺寄せを与える側に立つ人間であることを身を以て知った。そうやって人生経験を踏んでいくうちに、修治は人前で吐くようになった。園に行くために家を出なきゃいけない時や、発表の前なんかに。

 なんだかダメな方向に向かっているよな、と公務員をやっている父親が修治の背中をさすりながら言った。幼稚園なんて遊ぶだけのところなのに、こんなんで学校や社会でやっていけるのかね、と。まだ幼い息子には理解できないと思っていたのだろうが、修治は父親のこれを聞いて、本格的に自分が出遅れた人間なのだということを理解した。


 それで、今だ。

 不登校になりかけながらも学校には通い続けた。大学もどうにか卒業した。だが、就職活動だけはどうにも耐えきれなかった。自信のない目元を隠してくれる前髪は切らなければ話にならないし、紳士服店の安い量産品は、ただでさえ劣っていて周囲からも遅れている自分を無理やりにでも集団に組み込もうとしているようで気分が悪かった。大学のサークル活動やイベントごととはわけが違うとわかっていながらも、気づけば修治は就職活動を放棄していた。短期のアルバイトでどうにか食い扶持を繋ぎ、生きているだけの身。……先週まではそうだったが、ついに家がなくなった。いっそのこと燃えるなりして物理的になくなってくれれば保険も下りたろうが、家賃滞納で大家に追い払われてはただ失うだけだった。

 漫画喫茶で漫然と夜を明かしながら、家がなくても目減りしていく手持ちを見て、修治はようやく決断に至る。

 ──強盗を働こう。捕まって、衣食住を確保しよう。

 と。

 それからの修治の行動は早かった。なけなしの金で旅行用のボストンバッグとマスク、ニット帽を買った。本当だったらサングラスも欲しいところだったが、眼鏡の上からサングラスはあまりにもお粗末だ。かといってサングラスの優先順位を高くしてしまうと、度付きの高価な新品やコンタクトを購入する必要が出てきてしまう。そんな金はもはや、修治の手元にはない。

 標的にしたのは小さな宝石店だった。昼間でも滅多に客の姿がなく、スタッフの数も最小限。いくらこちらの目的が金品の強奪ではなく逮捕されることにあったとしても、あっさりと返り討ちにされてしまっては犯罪者としての面目が立たない。多額の金を我が物にしようとしているわけではないので、規模は小さいほうが何かと都合がよかった。

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