歩みを止めるな!訳あってシャーマンはじめました
歩みを止めるな。
普段文章という形で表現しているが、実は違うジャンルのクリエイターとしての顔を持つ。
それは20年を優に超す。
作家としてメディアに取り上げられた事もあるが、それでも周知には至らない。
至らないからこそ、陽の光が差す日を夢見て、作風を支える為の努力をしてこれたのは中途半端な覚悟ではなすことが出来ない、厳しい現実と知るには充分だった。
安価で多くのものに溢れる世界に、手作りというonly oneのぬくもりを求め、自分の道を貫いてきた。
機械の技術の進化が、人の技術の努力を奪う結果を招いている現状があり、その世界ではより機械的な美しさが求められている様にすら思う時もある。
しかし私は技術の向上を目指すといえば格好いいかも知れないが、どんどん改変されていく機材を求めていては、どれもこれも同じ顔しかもたない。
どんぐりの背比べとなってしまう。
人の手が加わるからこそ、機械では表現出来ない部分というニッチな世界で生き残りをかけて、しのぎを削っている。
しかし未だに芽を出せないのは、製作販売業という形態より、作家としての気質を求めた結果の様にも感じる。
作る物に妥協をしたくはないし、作りたくない依頼が有るなら、平気で違う形態を提案するだろう。
それ程までに作品に関して強いこだわりを持つ。
過去の作品こそが最大のライバルと常に思い、越えること、越えた作品が見たいと思うのは、おそらく自分自身なんだと思う。
それ程作家=創作は生き物だと感じる。
作品に自分の魂を込めるからだ。
渾身の力を注ぐからこそ、仕上がるは作品となる。
商品を作るなら他に頼めばいいとすら思うほど、いつのまにか職人気質の、頑固親父になっている。
だからこそ仲間との衝突も、避けられなかった所以となる。
私達メンバーの中で一番博識で頭脳となっていたのは、言わずとしれた桜井である。
私も桜井を尊敬するが、しかし、事が創作となるなら、平気で裾を別ける事もいとわない。
創作で自分を曲げる事は出来ないのだ。
きっかけは小さなほころび、そして何度も出てきたキーワード【織田信長】だった。
一度織田を名乗るものが魔を制圧為に出ると名乗り出て、馬の足音まで聞いた桜井だったが、実は茶番で仲間の身を危険に晒す為の小細工だったという経緯があった。
これまでに現れた武将や偉人は、何人か居た。
その時のタイミングで、必要となれば天照大神によって、眠っているものですら派遣された。
話は戻り、信長の茶番をきっかけに、桜井はより堅固な姿勢を取るようになってゆく。
それは信長こそ、桜井が好きな武将だったからなおさらかも知れない。
その時信長は、魔でも光でもない存在。
どちらにも仇なす可能性の者としてグループライン内で話された。
その後月日がたち、十和田浄化から2年目。
光に帰依したい魔や闇の存在たちが、立ち続けに現れた。
私が恐れていた惡蝋略でさえ、光になるために現れた。
そしてそのタイミングで公開になった映画レジェンド・アンド・バタフライ。
私は、ポスターに魅了された。
信長と濃姫のファンアートとして、自分の想いを昇華させたいと考えたのである。
そして制作にあたり、作品を拝見し、その衝動のまま向き合うことで、自分の作風を変えることが出来たらと夢を抱いた。
普段どおり思いついた事をグループラインに投じた事で、思わぬ対立を生んだ。
桜井は、織田信長は第六天魔王である故作ってはならないと反対した。
私を含め、信心する法華経に仇なす存在だと反対されたのである。
同時に仏法をグループ内で勉強会として、何度かに分けて日蓮大聖人の教えや生涯を学んでいた時期で、私は神々から聞く話と仏法が同じであるとの理由から、自ら進んでその門をくぐったのだが、まだ入信に至らない他のメンバーに勧誘の話をする様があったのである。
その場面でも、私と桜井は衝突した。
宗教はものすごくデリケートな部分で、人の根幹にも影響を与える。
だからこそ、相手が望まない形での強引なやり方を非難した。
明日さえも保証されないのに、相手のペースを待つことで救えない命だったらどうするんだ。福運尽きてからでは遅い。
強固な姿勢で対立する中、メンバーの仕事先で大きな事故となりかねない出来事も起き、更に語気を強める桜井と対立した。
普段雪の多い東北の地方。
一部地域だけ降雪の少なさが際立ち、東京でも雪がふるような日ですら、私が暮らす土地近辺は春のような異常な陽気だった。
その日は朝から天気が荒れていた。
前日から織田信長の件で揉めていた。
あまりに不当な言い方に、私はあえてグループラインから離れていた。
そして一人心に決めていた。
何としても映画を観に行くこと。
そして桜井が言うように間違った道だとしても、例え魔の罠だったとても、私は獣道に入る事を望んだ。
作った結果壊れたとしても、それでも達成した世界を見たかった。
作品を見ずして非難するのは、世の中の全ての作家を敵にまわす発言だと感じた。
しかも信長=第六天魔王だから見てはいけない。
魂を注いで創作物だとしても、いけないという。
しまいには恵まれていた天気が荒れるのは私が仏意に反した為、諸天善神の守護を失った世界だと私を糾弾した。
私はとても悲しくなった。
私に何故、希望を抱かせるのかと正直思った。
懐いてはいけない想いなら、全てを諦めるから、答えをくださいと荒れ狂う天気に願った。
答えを与えてくださいと願いを込め、私は読経した。
生きる希望、表現をする自由を奪う位なら、私から全てを奪って下さいと願った。
二度と夢を見れない様に、諦める為の答えを求めた。
本気でシャーマンと名乗っているからこそ、答えすらも神々に委ねたのである。
その途端雪は止み、青空が出始めた。
それでも私の心は晴れなかった。
仕事帰り、ナイトショーに行く迄の天気が答えであると私は決めていたからだ。
一度自宅に戻り、反対方向を目指す。
雪道の渋滞や帰宅ラッシュみあいながらも、私は無事映画が始まる5分前に会場へ到着した。
映画の途中から涙が止まらなかった。
号泣した。
そして時代が違っていれば、幸せの形も違っていたではないか?その想いこそ、十和田湖で消えた魂そのものの叫びとリンクした。
そして託された未来を生きる私。
果たして命を賭けて守った先人たちの思いを、私達はどれ程きづいているだろうか?
その覚悟を爪の先程も、髪の毛の太さ程も、ちっとも理解できない現実として改めて突きつけられた気がした。
まさに、喉元に刃が有るように感じた。
このままだと大変だ。
このままでいいはずがないと警鐘が鳴る。
三年前に立てた仮説。
人由来の神様と自然界由来の神々の対立なのではないかと、真剣に考えていた。
それが絵空事ではないのではないかと、危機感を抱いていた。
それ以上に置かれた境遇により、人が人でなくなってゆく様。
我は既に人でなし、第六天魔王ぞと名乗ってしまう迄の背景がそれほど狂わせてゆく時代だったのか、その狂気に魅せられて後の明智光秀が謀反を起こす迄。
人の心が、いかほどにうつろいやすく儚ないのか。
神様にしても、人の時間はまばたき程の一瞬。
その一瞬に全てを賭けるほどの熱き想いで、成し遂げようとした事とは何かと、あまりに衝撃を受けた。
だからこそあえて覚悟し、発信している。
自分とは何者なのか、本当に何に突き動かされ動くのか。
ただ目立つための手段ではあらず、他者を陥れてまで争いを好まない自分が、それでもシャーマンとして伝えたい事とは、おそらく十和田につながる3年前と変わってはいない。
むしろ前世の時代から、何一つ変わっていないのかもしれない。
人として生まれゆく上で、人を大切にしてゆく尊さ。
命の輝きに魅せられ、死しても転生を信じたあの時の龍殿と変わらない。
人の可能性を信じ、歪んだ時代に少しでも修復しようとする「にしき」に何も変わっていない。
限られた命だからこそ、最大限に輝く瞬間を少しでも多くあれる様に。
個人がここでその根幹に気がつく為の石を投じるのが私の役目。
訳あってシャーマンはじめました。
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